二塚城(ふたづかじょう)
二塚城の基本情報
通称・別名
- 太刀城、舘の城
所在地
- 富山県高岡市二塚
旧国名
- 越中国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 名越時有
築城年
- 鎌倉時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 名越氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑(太刀城跡)
周辺の城
-
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二塚城の口コミ情報
2023年01月07日 RED副将軍
二塚城
越中国守護である名越時有の支城🏯
後醍醐天皇の皇子である恒性皇子の幽閉地
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
鎌倉時代末期に越中国守護である名越時有により築城。
名越時有が居城の放生津城とともに構えた支城
です。
1331年、後醍醐天皇が鎌倉幕府討伐を企てた元弘の乱が勃発。乱は失敗に終わり後醍醐天皇は隠岐に流罪となり、後醍醐天皇の皇子である恒性皇子も企てたとして二塚城に幽閉となりました。鎌倉幕府滅亡が近づくと名越時有は皇子を殺害しました。
1333年、鎌倉幕府の滅亡に際して放生津城は落城。名越時有は、妻子を海に入水させた後に自ら城に火をかけ自害したと云われます。二塚城も同時期に落城したと考えられますが不明です。
見所
遺構は消失し、城跡碑と「三ツ首」「鐘堀」の碑も立ちます。
「三ツ首」においては恒性皇子が殺された時にともに殺害されさらし首となった侍臣の日野直通、勧修寺家重、近衛宗康の3人のことです。
「鐘堀」は名越時有が造らせた梵鐘が堀から見つかり、見つかった堀は鐘堀と呼ばれたとされます。
また、浄誓寺に恒性皇子の墓がありますが、皇族であるため宮内庁管理となっています。
2022年06月27日 左兵衛佐Kent
二塚城
高速道路の高架下に石碑が並んでいるだけで、特に説明板などもないので、詳細は分かりませんでした。
アプリでは二塚城での表記ですが、石碑は太刀城となっているので、ご注意下さい。
2021年03月06日 曲輪但馬守削平
二塚城
二塚地区ウォーキングマップに従って歩いてみました。恒性皇子ゆかりの地を回るコースです。一周4kmとありましたが早足で1時間半ほどかかりました。スポット登録しましたので時間ある方はどうぞ。写真は城址碑の遠景です。区画整理前は南から目の前の水田を通って城址碑に向かって十七ヶ用水が流れており、その屈曲部が城の名残と伝えられていたそうです。明治の地図だと撮影場所の東側あたりと城址碑手前に屈曲部がありますが、どうなんでしょうか。高架橋は県道高岡環状線になります。2021.2.28
2020年08月18日 【城郭道】たっきー
二塚城
イオンモール高岡から歩いて行きました。現在(2020 0817)、高速道路の工事の影響で少し遠回りしていかないといけなくなっています。それで、徒歩14分なので行こうとすれば行ける距離です。田んぼの中に石碑がいくつか並んでいるのですぐにわかります。ベンチもあるのでそこでゆっくりすることができます。高岡城に行った際おすすめの場所なので是非、行ってみてください。