放生津城(ほうじょうづじょう)

放生津城の基本情報

通称・別名

放生津館

所在地

富山県射水市中新湊

旧国名

越中国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

名越時有

築城年

鎌倉時代後期

主な改修者

主な城主

名越氏、桃井氏、神保氏、前田氏

廃城年

江戸時代前期

遺構

消滅

指定文化財

市史跡(放生津城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

古国府城(富山県高岡市)[3.7km]
高岡城(富山県高岡市)[6.9km]
守山城(富山県高岡市)[7.3km]
願海寺城(富山県富山市)[7.9km]
日宮城(富山県射水市)[8.0km]

放生津城の解説文

放生津城(ほうじょうづじょう)は、富山県射水市中新湊の海岸部にあった平城。

鎌倉末期に越中国守護名越氏が置いた越中守護所を起点とする。南北朝期の争乱で落城したことが「太平記」に記される。室町期になると、守護畠山氏に代わり射水郡・婦負郡守護代神保氏が入城した。1493年、明応の政変で自害した畠山政長の重臣であった神保長誠は、政変で幽閉された将軍足利義材を迎え、上洛のための諸準備を進めた。1520年(永正17年)に越後守護代長尾氏の攻撃で落城。その後神保氏により再建され、前田氏により城代も置かれたが、近世初期に廃城となった。城跡は畠とされ、江戸後期に加賀藩前田家の米倉が設けられた。現在、遺構は射水市立放生津小学校グラウンド地下2メートルの位置にあり、地表から見えない。1988年、1989年、1991年に試掘調査が行われ、出土品の一部が射水市新湊博物館で常設展示している。なおグラウンド周囲に有る土盛りは砂止めであり、土塁遺構ではない。

放生津城の口コミ情報

まー宮内卿様[2016年08月15日]
小学校脇に【城跡】のみの石が置いてあり説明板があるのみ。その後ろにある土塁は関係ない。このすぐそばに放生津橋に室町幕府第10代将軍、足利義材の座像と騎馬像がある。

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