古国府城(ふるこくふじょう)

古国府城の基本情報

通称・別名

如意城、(越中国衛跡、勝興寺城郭遺構)

所在地

富山県高岡市伏木古国府

旧国名

越中国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

神保氏張?

築城年

天正年間(1573〜1592)以前

主な改修者

主な城主

神保氏

廃城年

天正12年(1584)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

放生津城(富山県射水市)[3.7km]
守山城(富山県高岡市)[3.9km]
高岡城(富山県高岡市)[5.6km]
飯久保城(富山県氷見市)[8.7km]
二塚城(富山県高岡市)[9.1km]

古国府城の解説文

古国府城(ふるこくふじょう)は、富山県高岡市伏木古国府に在った城。如意城(にょいじょう)とも言う。

規模
伏木港を見下ろす、やや高台となっている場所に築かれた平城。西約4kmに在った越中守山城の出城として、伏木港を押さえる役割を持っていたと考えられている。城跡には名刹勝興寺が建っており、城域は勝興寺の寺域全体に及ぶとされているがそれ以上である可能性も有る。寺の周囲を囲む大きな土塁や空堀は古国府城のものであるとされている。2007年には主郭の堀の北側に別の堀、腰曲輪が発見されている。

この辺りには国庁や国分寺、国守館などが在ったと言われているが、瓦の原料となる粘土が採れる地であり長年に亘り採掘され続けてきた事、また市街地である為に発掘作業は難航しており、古国府城の城域特定もなかなか難しい。

名前の由来
その名の通り越中国府跡であった。国府の全容は明らかになってはいないが、掘立柱建物や柵、溝、廊といった遺構が見つかっている。

歴史
天正年間、守山城主神保氏張によって築かれたと言われているが、それ以前から存在した可能性もある。
天正5年(1577年)12月23日、『上杉家家中名字尽』に神保安芸守(氏張)と勝興寺の名前が見える。
天正9年(1581年)4月、越中木舟城主石黒成綱によって越中安養寺御坊(勝興寺)が焼き討ちされ、焼亡。
天正11年(1583年)、佐々成政が越中平定。氏張も平定に尽力し成政の配下に名を連ねる。
天正12年(1584年)、成政が豊臣秀吉と敵対姿勢を強め、隣国の前田利家との争いも激しさを増す。成政は越中一向一揆勢力を味方に付ける為に古国府城の一円を勝興寺に寄進し、移設(再建)された。これにより古国府城は事実上廃城したと言える。
天正13年(1585年)、富山の役。成政は降伏して前田家の所領となるも勝興寺は手厚い保護を受けた。以降幕末まで前田家と勝興寺は血縁的にも密接な関係を保ち続ける事となる。

現在
跡地に勝興寺が建つ。土塁に古国府城の面影を微かに感じる事は出来るが、やはり「勝興寺」である。城郭伽藍としての色合いも残っており(隅櫓そのままといった趣きの太鼓堂など)、全国でもトップクラスの大きさを誇る本堂を始め重要文化財に指定されている12棟の建造物などを堪能する目的で行かれるが宜しいかと。因みに古国府城の案内板が建てられてはいる。

古国府城の口コミ情報

尾張守だもんで様[2016年06月20日]
勝興寺の周囲に見事な堀と土塁がのこっています。寺の境内に入るにはお金が必要ですが、堀と土塁だけを見たいなら北西の道路脇の「椿の道」という看板が立っている所から入って堀と土塁だけ見学することができます。近くに駐車場もあります。

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年08月28日]
伏木駅から勝興寺まで古国府町の観光案内図を見たが古国府城のに関する記述はなく、ふしき体験

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore