阿尾城(あおじょう)
阿尾城の基本情報
通称・別名
- 大ヶ崎の城
所在地
- 富山県氷見市阿尾字島尾502
旧国名
- 越中国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 菊池氏
築城年
- 永禄年間(1558〜1570)
主な改修者
- -
主な城主
- 菊池氏
廃城年
- 慶長年間(1596〜1615)
遺構
- 曲輪
指定文化財
- 県史跡(阿尾城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
森寺城(富山県氷見市)[4.4km]
飯久保城(富山県氷見市)[9.0km]
池田城(富山県氷見市)[9.3km]
石動山城(石川県鹿島郡)[9.6km]
守山城(富山県高岡市)[10.3km]
古国府城(富山県高岡市)[11.1km]
放生津城(富山県射水市)[14.4km]
七尾城(石川県七尾市)[14.5km]
高岡城(富山県高岡市)[14.6km]
金丸城(石川県鹿島郡)[15.6km]
阿尾城の解説文
阿尾城の口コミ情報
2024年05月06日 583系備前守きたぐに
阿尾城
井波城から加越能バス、城端線、氷見線と乗り継いで、氷見駅でレンタサイクルを借りるつもりが、砺波駅での列車待ちの間の昼食で飲酒してしまうというボーンヘッドをやらかし、氷見駅からひみ番屋街までバス、そこから2キロほど海に沿って歩きました。白い断崖の城跡に、海の向こうには雪を抱いた立山連峰が見えるので、気持ちよく歩け、遠くとは感じませんでした。登城口は神社の参道になっており、断崖の上まで楽に登れます。そこから、伝本丸までは土の道を歩きます。きつくはないですが、写真の説明書のとおり、遺構保存のために手を加えてない場所がありますので、ルートを外れたりしないよう、また、足元に注意して歩いてください。
伝本丸には展望台が設けられています。能登半島の付け根にいることが実感でき、ここに城を築いた気持ちがわかる気がします。
2023年09月23日 RED副将軍
阿尾城
海に面した断崖丘陵上にある前田慶次が城代を務めた城跡🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1493年から1561年の間に菊池氏により築かれたと伝わります。
菊池氏は肥後国の菊池氏の庶流と云われます。
天正年間(1573年〜1592年)の城主は菊池武勝・十六郎父子の名が伝わります。
菊池氏は、上杉謙信に従っていましたが上杉謙信が没すると織田信長の家臣で越中に侵攻してきた佐々成政に属しました。その後、佐々成政と前田利家が対立すると前田利家に寝返ります。すると佐々成政の家臣である神保氏張が阿尾城に攻め寄せましたが、前田利家の援軍を得て撃退したとされます。その時の援軍が前田慶次であり救出戦に参加。菊池氏が城を明け渡した阿尾城に前田利家と共に入城し佐々成政を退けました。
その後も菊池氏は前田氏の加賀藩に仕え、戦国の乱世を生き抜きました
見所
阿尾川河口の富山湾に突き出た断崖絶壁の丘陵上に築かれています。
丘陵基部から東の丘陵先端へ三ノ丸、二ノ丸、本丸と連なり、曲輪間は堀切状に両側が削られた土橋状の通路となっています。
現在は、榊葉乎布神社、白峯神社が祀られ改変を受けていますので、富山湾の眺望と断崖絶壁の遠景を楽しむのが良いと思います。
2023年04月23日 雪那【槍の又左】
阿尾城
2021.1.1未明大雪により、城跡北東側の崖面の崩落の影響で、先端部の伝本丸地区の立ち入り禁止は、岩盤の安定が確認され4月1日立ち入り再開となりました。
天正12年(1584年)、佐々成政との阿尾城攻防戦に勝った前田利家は、前田慶次郎らを入城させた。
(前田慶次郎は、『花の慶次』の主人公・慶次)
2022年05月03日 Yana右兵衛督
阿尾城
階段を登ると古いお社があります。その先が本丸なのですが、通行止めで降りられませんでした。
2022年05月02日 後藤大蔵大輔康家
阿尾城
リア攻めももちろんですが、遠目から見る白い断崖は必見です。
2022年05月01日 【城郭道】たっきー
光禅寺[阿尾城 寺社・史跡]
前田家の位牌が安置されている前田家ゆかりのお寺。位牌は利家公のは特別になっていることからきっと親近感があったんだと思います。氷見市指定文化財の前田利家公の肖像画もあります。
余談ですが、このお寺は藤子不二雄Ⓐ先生のお父さんが第49代住職を務めたこともあり、先生ゆかりの地となっています。山門をくぐると先生のキャラクター達がお出迎えしてくれるのでそこも見所です。
2021年11月06日 楊近江守威利
阿尾城
道の駅から車のナビ通りに行き、細い道を行くと左手にお寺があり、すぐに登城口があります。駐車場は3台ほどあります。公衆トイレあり。さほど大変でもなく城域に入れます。もう少し木を切ってくれると眺めは良かったかな…伝本丸へは崩落で行けず断念。道の駅から城の全景が横から写真は取れます。
2021年10月30日 まさ
阿尾城
2021年10月現在、一番先の本丸跡は、岩盤崩落によりいくことができません。
2021年10月07日 源道義
阿尾城
氷見の海岸のうち一ヶ所だけ断崖が白く見えているところにある阿尾城。遠くからでも判別できる海に迫り出した珍しくお城。登り口から登ると見晴らしの良い展望台と神社がある。曲輪や堀切とみられる遺構も観察できる。伝本丸跡には斜面崩落のため通行止めが続いている。なぜここだけ波に削られずに残ったのか興味が湧く。城の両サイドから回り込むことで絶壁が見れることもおすすめしておく。
2021年01月24日 曲輪但馬守削平
阿尾城
天気が良ければ白鳥城で正月のリベンジと思っていたのですが思わしくなく、ニュースになった阿尾城へ。
とりあえず8月に訪問した時の写真と今日の写真をアップします。記事の通り樹木ごと崩れているのが分かります。
本丸へ向かう土橋も柵で通行止めにされていました。
2021年01月23日 源山城守@ポンコ2…
阿尾城
以下北陸中日新聞ニュースからの転載です。
阿尾城跡 岩盤が崩落 氷見 大雪で周辺立ち入り禁止
氷見市阿尾の県指定史跡「阿尾城跡」の岩盤が崩落し、大雪のため三週間がたっても近くの海岸などが立ち入り禁止のままになっている。
阿尾城は富山湾に面した高さ約四十メートルの丘陵に築かれた山城。市博物館によると一日未明、湾側の崖が高さ約三十メートル、幅十メートルにわたり、厚さ一メートルほどが樹木の根ごと崩れ落ちた。安全確保のため県が海岸を、市が本丸跡と伝わる展望台前の通路を通行止めにした。
市博物館は雪解けを待って調査し、県教委に毀損届けを提出するが、史跡としての価値が損なわれたことはないという。
阿尾城の起源は十五世紀後半と推定され、十六世紀末ごろに廃城になった。十六世紀中ごろ、菊池氏が城主となり、佐々成政と前田利家の対立の舞台となった。
雪解け後に早く安全か確認されますように。
2018年08月03日 源山城守@ポンコ2…
阿尾城
373号線を北に「阿尾城跡口」のY時交差点を右に道なりに進むと、右手に「阿尾城」の看板が見えます。
右折し路地を進むと、3~4台駐車スペース、公衆トイレ、城域の案内板があります。
そこからの階段途中に大伴家持の歌碑があります。
初めの平地が伝三ノ丸で、ここに神輿舎資料館と少し高台に榊葉乎布神社、神社脇に土塁っぽいものがあります。
17時頃のせいか資料館も神社も閉まってました。
先の階段を上ると伝二ノ丸に、この上に白峯社が祀られており、ここも閉まってました。
海側に展望できる場が設けられ、ここからの富山湾・射水のほうに見える景観は素晴らしく、ガスで霞んだ立山も望めました。
アスファルト敷を上がり、社裏の階段を上がると社殿跡、その先に社の碑があり、ここが一番標高が高い地です。
伝本丸には碑の後ろの狭い土橋状の道を進みます。
道に柵がない崖、夏場は繁茂する草木、蜂などおり虫対策等がお勧めです。
本丸は展望台のほかに、何段かの郭があります。
駐車場から往復40分でしたが、景色がよいので、虫や草木、厳しい寒暖を思うと夏冬以外の時期の登城がいいと思います。
2016年08月06日 帰蝶大蔵卿びび姫
阿尾城
阿尾城から海岸までいって右に回り込むと、伝本丸跡下の崖下が近くで見れます。
フナムシたくさんいるので、注意。
本日時点で、伝本丸までの道にスズメバチがいたので、こちらも注意。蝉も突撃してきます。行かれる際は長袖、虫よけスプレー必須。
伝本丸からの眺めは最高です。
早朝が特にオススメ。
2014年10月03日 コロ助
阿尾城
氷見駅観光案内所でレンタサイクル(1日\200)を借りて30分程で到着。
伝本丸跡は草が刈ってあり歩きやすいですが、周囲の木が繁っているので、展望台に登ってもチビっ子な私ではあまり見通しがききませんでした。伝本丸跡への長い土橋状の道はかなりスリルがあります。
阿尾城の海に突き出た様がとにかくカッコよくて、比美乃江公園から眺め、ひみ番屋の足湯(無料)につかりながら眺め、たっぷり堪能しました。
ひみ番屋の温泉(\600)に入りながらでも少しは見えると思いますが、日が暮れてから温泉に行ったので確認出来ていません。今度は、温泉で朝風呂しながら眺めてみたいです。
2013年05月20日 藤乃左近衛少将龍神
阿尾城
伝本丸跡からの眺望は素晴らしいです 5月は城郭内の藤の花が綺麗です
海原にせり出した阿尾城を海岸線から堪能しました
2012年06月11日 【隠者】史学会帰新参
阿尾城
公園になって整備されている。本丸の手前に空堀がある。城跡から見晴らしはいい。阿尾城は後世の史料によると前田慶次が援軍に行ったとの事。氷見駅観光案内所ににレンタサイクルがあるので利用した。
2012年05月24日 あぶり餅征夷大将軍
阿尾城
お城北側の細い道路を入っていくと登り口に駐車場あり
駐車場から伝本丸跡までは3分〜5分くらい
伝本丸跡からは海がきれいに見れます
2010年09月26日 徳川内大臣源朝臣康武
阿尾城
富山湾に突き出した小島。海が天然の堀になっている。
大分県の臼杵城みたいだぁ
2010年09月25日 古楽侍従広家
阿尾城
前田慶次が城主を務めた城とされています。
氷見駅から海沿いに立山連峰を遠くに見ながら進む道中は、天気が良ければいい散歩道ですよ。
菊池氏は上杉謙信に従った後、織田信長と結び、越中入りした佐々成政配下として活躍した。信長死後は成政と対立した前田利家方につき、所領を安堵されたが、慶長年間(1596~1614)初めに当主が没したため廃城となった。
なお、阿尾城が前田方に明け渡された天正13年(1585)、阿尾城に入った前田方の武将のひとりが、かぶき者として知られる前田慶次郎である。このため、前田慶次郎が阿尾城の城代を務めたという説があるが、実際に城にとどまったのは3か月程度のことと考えられる。