石動山城(せきどうざんじょう)

石動山城の基本情報

通称・別名

所在地

石川県鹿島郡中能登町石動山

旧国名

能登国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

石動山宗徒?

築城年

不明

主な改修者

上杉謙信

主な城主

石動山衆徒、直江景綱(上杉氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(石動山)

再建造物

石碑(石動山)、説明板

周辺の城

七尾城(石川県七尾市)[5.0km]
森寺城(富山県氷見市)[6.4km]
小丸山城(石川県七尾市)[9.2km]
阿尾城(富山県氷見市)[9.6km]
金丸城(石川県鹿島郡)[11.9km]

石動山城の解説文

石動山城は、石川県鹿島郡中能登町を頂上に、七尾市・富山県氷見市にかけて位置する石動山(標高565m)にあった城郭である。

石動山の概要
加賀、能登、越中の山岳信仰の拠点霊場として栄え、石動山に坊院を構えた天平寺は、天皇の御撫物の祈祷をした勅願所である。最盛期の中世には北陸七カ国に勧進地をもち、院坊360余り、衆徒約3,000人の規模を誇ったと伝えられる。祭神は五社権現と呼ばれ、イスルギ修験者たちを通じて北陸から東北にかけて分社して末社は八十を数える。南北朝時代と戦国時代の二度の全山焼き討ちと明治の廃仏毀釈によって衰亡した。山頂一帯は国の史跡に指定されている。

石動山の歴史
開山は紀元前92年(崇神天皇6年)とも717年(養老元年)とも言われ、延喜式に伊須流岐比古神社として登場する。後に、虚空蔵求聞持法の修法や修験的な峰入り行が盛んになり、真言宗の寺院となって隆盛を極めた。後の太平記や太閤記が記すように任侠武勇をもって知られ、南北朝時代には宮方の越中国司中院定清をかくまったため、足利尊氏の命を受けた同国守護普門俊清に焼き討ちされて一時衰退した。

戦国期には復興し、北陸に一向一揆勢力が勃興する中でも隠然たる勢力を誇ったが、1582年(天正10年)本能寺の変直後の混乱に乗じて、越後の上杉方についていた能登畠山氏旧臣が蜂起し、天平寺衆徒と共に石動山に立て籠った為、前田利家、佐久間盛政、長連龍らの織田軍に焼き討ちされ、再び全山焼亡した。このときの焼き討ちは、主君織田信長の比叡山延暦寺焼き討ちに似ているともいわれ、数百人の法印のみならず児童子まで撫で斬りにしたとか、千六十の首を山門の左右に掛け並べたなど、凄惨な弾圧がなされた。

近世には前田家により復興されたが振るわず、明治に入って施行された神仏分離政策のもとほぼ全ての院坊が破却され、以後復興されることなく廃寺となった。

石動山城の口コミ情報

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年09月25日]
大宮坊を中心とする天平寺僧坊跡群。大宮坊の一部が復元されている。近くに、天平寺僧兵と共に織田勢に挙兵した、七尾畠山氏の残党が築いた荒山城跡がある。
てか、SoftBankでは山麓では攻略できず、山頂では圏外になった

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