小丸山城(こまるやまじょう)

小丸山城の基本情報

通称・別名

七尾城、所口城

所在地

石川県七尾市馬出町

旧国名

能登国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

築城主

前田利家

築城年

天正10年(1582)

主な改修者

主な城主

前田氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

七尾城(石川県七尾市)[4.7km]
二穴城(石川県七尾市)[9.0km]
石動山城(石川県鹿島郡)[9.2km]
金丸城(石川県鹿島郡)[14.8km]
森寺城(富山県氷見市)[15.3km]
阿尾城(富山県氷見市)[18.8km]
穴水城(石川県鳳珠郡)[20.9km]
富木城(石川県羽咋郡)[22.5km]
池田城(富山県氷見市)[23.1km]
飯久保城(富山県氷見市)[27.0km]

小丸山城の解説文



小丸山城(こまるやまじょう)は、能登国能登郡(のち鹿島郡)小丸山(現在の石川県七尾市馬出町子部)にあった日本の城。七尾城の北、七尾南湾に面した平山城。七尾港に近く、海城に分類される場合もある。

概要 

前田利家が能登一国の国持大名として七尾入りしてから、加賀に領土を加増され金沢へ拠点を移すまでの間、前田領の政治経済の中心地であった。現在、城跡は公園として整備され、春にはソメイヨシノ、シダレザクラなどが見られる桜の名所となっている(小丸山城址)。

歴史 

織田信長の指示により越前国府中城10万石の領主から能登一国の国主となった利家は1581年(天正9年)、七尾城に入城した。

しかし七尾城は要害ではあったが中世の山城であったため、防御上は利点があったが港から離れていて治世・経済上の利便性に難があった。そこで利家は七尾港に近い所口村の小丸山に平山城を築くことを決定し七尾城から移り住んだ。1582年(天正10年)に築城。河川と海が堀の役割を果たす水城でもあった。城は能登水軍の本部の役割も成していた。利家は、さらに周囲に29の寺院(山の寺寺院群)を建立し、能登半島方面からの敵襲の守りを補った。

1583年(天正11年)、利家は加賀半国を得て尾山城へ本拠を移した後、兄の前田安勝が七尾城代も兼ね居住した。前田家は秀吉政権下で越中三郡を加増、利長を守山城に入れ、利政が小丸山城に入り安勝の子利好が七尾城に詰める。1615年(元和元年)、一国一城令に従い廃城。

1920年(大正9年)、小丸山公園として整備される。

形式と構造 

北側に七尾湾、東西を御祓川に囲まれた丘陵地帯に位置する平山城で、梯郭式の曲輪が配置されている。廃城に伴って建築物が撤去されており、僅かに残る石垣や、土塁に当時の面影が偲ばれる。

遺構 

曲輪

  • 本丸
  • : 現在は第一公園として整備されている。当初は城址石碑のみ設置されていたが、NHK大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』の放映決定を受けて、2001年(平成13年)に利家と妻・芳春院(まつ)の銅像「前田利家松子之像」が設置された。櫓(巽櫓、坤櫓)跡には日像上人の銅像が設置されている。
  • 宮丸
  • : 愛宕山とも呼ばれ、愛宕神社が建立されていた。現在は七尾市愛宕山相撲場が整備されている。
  • 天性丸
  • : 第二公園として整備され、児童遊具が設置されている。また、本丸との間の堀上に橋が架けられている。北裾には前田家の菩提寺である宝円寺が建立されていたが失火で消失し移転・再建された[1]。跡地には浄土宗の西光寺が建立された。
  • 大念寺山
  • : 御貸山とも呼ばれ、南方からの攻めに対する防御のため砦が設置されていた。現在は御祓川の拡幅や七尾線整備により掘削され、当時の面影は残っていない。

関連建造物

  • 山の寺寺院群 - 小丸山城を築いた際に、奥能登方面からの防御のため配置した寺院群(本記事「歴史」項も参照)。このうち現在は16寺が現存。
  • 休岳山 長齢寺 - 曹洞宗総持寺派宝円寺末。高徳院(利家)、瑞龍院(利長)の石廟、七尾城代安勝、利好の墓碑がある。「絹本著色前田利春画像」や「長齢夫人画像」など前田家に関係する数々の寺宝を所蔵。

交通アクセス 

鉄道
  • 七尾駅(JR七尾線・のと鉄道七尾線)下車、徒歩約10分。

バス
  • バス停「小丸山公園下」下車、徒歩すぐ。
    • 北鉄能登バス(羽七東線、羽七西線、高浜線、和倉線、百海線、脇線、崎山線、水上線、七富線、満仁線)[2]
    • まりん号(西回り)[3]
    • 能登島交通(曲線)

  • 七尾駅より約3分。
    • 駐車場40台(公園北側入り口と小丸山交差点そばの2ヶ所)。

小丸山城の口コミ情報

2024年04月07日 加賀守いけっち
小丸山城



令和6年能登半島地震の影響で、本丸に続く通路は今も通行禁止となっています。桜がきれいな季節ですが、公園内でのお花見も禁止です。小丸山公園の入口の石碑を囲む石が崩れロープが張られています。

2023年10月22日 後藤中務少輔康家
小丸山城



きれいに整備されていてこじんまりしている印象。

2023年09月10日 ゆうり勘解由長官
小丸山城

駐車場から歩いてすぐ本丸跡になります。遺構は特に何もありませんでしたが、高台が作られていて景色が素晴らしかったです。駐車場の横には花嫁のれんの資料館がありました。

2023年07月10日 RED副将軍
小丸山城



前田利家の金沢に移るまでの居城🏯

⁡オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎⁡

1582年に前田利家により築城。柴田勝家の与力になっていた前田利家は、越前一向一揆衆を鎮圧し1581年に織田信長より能登10万石を与えられます。まず菅原城に入り、戦後処理が終わると七尾城に入りました。しかし七尾城は要害であり防御面では優れているも治世・経済上の利便性に難があるため、新たに能登水軍の基地としても有効な七尾港の近くに小丸山城を築いて本拠地としました。本能寺の変により織田信長が没すると翌1583年には加賀国へ加増され移り、代わって小丸山城には兄の前田安勝が入城しました。1615年、一国一城令により廃城となりました。

⁡見所
現在は、小丸山公園として整備されています。東側の第一公園が本丸跡であり南西隅と南東隅に櫓台が残ります。主郭西側の通路が堀切であり、堀切に隔てられた第二公園が天性丸、北側の愛宕神社が宮丸(愛宕山)、南側には宅地化により消失しましたが大念寺山と呼ばれる砦がありました。大きく改変を受けていますが、よく見れば城跡の名残りが至るところに認められます。

2020年11月01日 沼田上野介
本丸丑寅の展望台[小丸山城  関連施設]



本丸の丑寅の櫓跡に設けられた展望台。本丸から七尾湾がどのように見えていたかを体験できるように設けられている。樹木が大きくなってしまっているため能登島側は見えないが七尾湾入り口側の視界は開けている。


2020年11月01日 沼田上野介
城址公園・花嫁のれん館駐車場[小丸山城  駐車場]



駐車料無料、収容60台。公園とのれん館利用者以外は駐車禁止の但し書きあり。

2015年08月05日 まー刑部卿
小丸山城

現在は小丸山公園に整備されており堀跡も遊歩道に変わってる。周辺も住宅地や道路に変遷している。本丸跡の銅像や石碑くらいしか見るべきものはないかも。無料駐車場有り。

2012年05月23日 あぶり餅征夷大将軍
小丸山城

小丸山公園南側の国道沿いに無料の観光駐車場あり



2011年10月03日 大膳大夫マイリバ
小丸山城

大河ドラマ放送に先立ち、平成13年に「前田利家松子之像」が設置されていますが、利家の右手が何とも不自然な角度で止まっています
見る角度を変えると・・・あ〜ら不思議!「アイーン」だ

2010年07月23日 徳川内大臣源朝臣康武
小丸山城

[武将像]利家と松像
本丸に立像。馬セット。

2010年07月07日 tomm加賀守
小丸山城

先日、イメージキャラクターの「コン丸」がデビューしました!

鯰尾兜をかぶった7本の尾を持ったキツネですw

小丸山城の周辺スポット情報

 天性丸(遺構・復元物)

 長谷川等伯像(碑・説明板)

 前田利家・松子之像(碑・説明板)

 大念寺山砦(周辺城郭)

 伊予河野氏墓所(寺社・史跡)

 山の寺寺院群(寺社・史跡)

 七尾城史資料館(御城印)

 トイレ(トイレ)

 城址公園・花嫁のれん館駐車場(駐車場)

 本丸丑寅の展望台(関連施設)

 小丸山城址公園(関連施設)

 日像聖人像(その他)

 土俵(その他)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore