穴水城(あなみずじょう)
穴水城の基本情報
通称・別名
- 岩立城、白藤城、白波城、岩木城
所在地
- 石川県鳳珠郡穴水町川島
旧国名
- 能登国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 長谷部信連
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 長氏、温井氏、前田氏
廃城年
- 天正11年(1583)
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
天堂城(石川県輪島市)[13.2km]
二穴城(石川県七尾市)[15.8km]
富木城(石川県羽咋郡)[17.7km]
小丸山城(石川県七尾市)[20.9km]
棚木城(石川県鳳珠郡)[23.2km]
七尾城(石川県七尾市)[25.4km]
石動山城(石川県鹿島郡)[30.1km]
金丸城(石川県鹿島郡)[31.6km]
松波城(石川県鳳珠郡)[31.9km]
森寺城(富山県氷見市)[36.0km]
穴水城の解説文
[引用元:Wikipedia「穴水城」の項目]
穴水城(あなみずじょう)は、能登国鳳至郡穴水村川島、現在の石川県鳳珠郡[1]穴水町川島にあった日本の城。現在は町の史跡に指定され[2]、穴水城址公園として整備されている[3]。
概要
長きに渡り守護大名畠山氏の重臣、長一族の居城であった。長氏の祖にあたる長谷部信連によって1186年(文治2年)に築城されたと伝えられている。
畠山家滅亡後、1577年(天正5年)に上杉謙信の手に渡り、越中国人で上杉麾下の長沢光国が入城した。1578年(天正6年)に謙信が急死すると、長連龍が織田信長の支援の下、奪還に成功した(菱脇の戦い)[4][5]。1583年(天正11年)に廃城となった。
現状
城跡は公園となっており、桜が植えられている。また、長氏34代・長昭連の揮毫による穴水城趾の石碑が建てられている。三の丸跡から穴水港が遠望できる。
交通
- のと鉄道穴水駅より徒歩20分
参考文献
- 穴水町 2019「歴史を訪ねて(http://www.town.anamizu.ishikawa.jp/data/open/cnt/3/276/1/20180206200336.pdf)」『町勢要覧アナミズ(http://www.town.anamizu.ishikawa.jp/kikaku/chyouseiyourann.html)』pp.16-17
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穴水城の口コミ情報
2023年03月21日 信濃守学堂
穴水城
電車で行かれる場合。穴水駅からのと里山空港までのアクセスを路線バス使うと時間帯によっては1時間半間隔。そこまで時間要せず対応すれば1時間で登れるか?の勝負。本丸まで走って上がったら、雄のキジがいました(笑)!綺麗な姿が、長家の穴水城を更に魅力的なものにしてくれました!
2022年11月25日 気分爽快陸奥守
穴水城
多数の段郭があるとのことだが、藪化が激しく主郭と2郭のみで断念しました。
2022年11月10日 ( *¯ ³¯)っ旦
穴水城
車で行かれる方への注意です。車に傷がつくのが嫌、草木を擦っていくのも嫌、という方は下歩いて登ってください。本丸まで車で行かれる根性のある方は登るだけ登ると舗装されていない道に出ますが、左側に車一台が辛うじて通れる下り道があります。その先に駐車場があります。ターンには十分な広さはありますが、前もってすぐに出せるように後ろ入れしておくか、手前の舗装されていない道との三叉路の広いところに駐車しておくほうがいいです。
2018年05月30日 近江守Silvine
穴水城
穴水城跡として公園化されている箇所以外に、手前の車道側にも遺構があります。車道から見える削平地は屋敷跡で遺物が出土したとの事。そこから反対側の小屋の建っているところを登ると、藪は酷いですが、多数の削平地、土塁、堀切が確認できました。
2017年09月16日 石畳治部少輔三成
穴水城
本丸まで車で行けます。駐車場も完備されています。
近くの民俗資料館は、信長、勝家、利家、利長、長氏の書状が展示されています。利長の血判状には、はっきりと血痕が見て取れます。お城に関連する書籍も購入できます。