松波城(まつなみじょう)
松波城の基本情報
通称・別名
- 松鶴松波城、聴鶴山緑の城
所在地
- 石川県鳳珠郡能登町松波
旧国名
- 能登国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 畠山義智
築城年
- 文明6年(1474)
主な改修者
- -
主な城主
- 松波氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、庭園、搦手門
指定文化財
- 国名勝(旧松波城庭園)、町史跡
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
棚木城(石川県鳳珠郡)[9.2km]
正院川尻城(石川県珠洲市)[11.3km]
穴水城(石川県鳳珠郡)[31.9km]
天堂城(石川県輪島市)[32.7km]
二穴城(石川県七尾市)[33.4km]
小丸山城(石川県七尾市)[42.4km]
七尾城(石川県七尾市)[44.7km]
石動山城(石川県鹿島郡)[49.4km]
富木城(石川県羽咋郡)[49.5km]
生地台場(富山県黒部市)[53.1km]
松波城の解説文
[引用元:Wikipedia「松波城」の項目]
松波城(まつなみじょう)は、能登国珠洲郡松波(現・石川県鳳珠郡[1]能登町)にあった日本の城。
概要
文明6年(1475年)、能登畠山氏3代目当主畠山義統の3男とされる畠山義智により築城されたと伝わっている。以後、6代に渡り松波畠山氏の居城として奥能登一帯を統治することとなる。5代当主・松波義龍の代に、この地の有力豪族松波氏の名跡を継ぎ、松波氏を称し、松波城は能登畠山氏の居城・七尾城の支城的役割を担った。
天正5年(1577年)、七尾城陥落後に上杉謙信家臣長沢光国に攻略され、6代目当主松波義親が自害し落城した。のちに長沢は穴水城に入り、松波城は廃城となった[2]。
現在
現在は遊歩道などが作られ、城址公園として整備されている。2007年11月には、旧松波駅の駅舎が活用され、松波城の歴史を知るための情報館としてオープンしている。[3]
近年、15世紀後半から16世紀のものとされる枯山水式の庭園の跡が発掘され、1991年には県指定史跡に指定された。2012年、建物群や庭園跡を含む約4,000平方メートルが旧松波城庭園として国の名勝に指定された[4]。
搦手門は万福寺の山門に移築されたと伝えられ、現存している。
遺構
- 堀切、曲輪、土塁、空堀、搦手門
建物群・関連建造物など
- 武道館跡 - 本丸跡脇に武道館の建物が残る。
- 嘉尚閣址
- 院の山址
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松波城の口コミ情報
2022年05月04日 かげちゃん参號
松波城
【宗玄酒造】
R 249鵜島バイパスの旧道沿いにある能登で1番古い蔵元です。で、蔵元のHPによると御先祖様は、能登畠山氏らしいです。蔵元直営店には、珠洲市の道の駅では、売っていない銘柄の地酒もあり、手拭いとかのグッズも売っていました。女将さんのお薦めで先月末辺りから販売開始したしぼりたての地酒を購入しました。能登の城めぐのお土産には、最適かと
2021年07月23日 葵 弾正大弼
松波城
松波城。まだ発掘調査やってます。車は近くの松波駅跡に止めて、幼稚園の横の道から登城すると良いと思います。
2020年11月15日 鬼殺隊かーるおじ
松波城
現在は発掘調査中の為、主郭の他、各所が立入禁止となっています。
2017年02月23日 新米暴騰中納言速水右近
松波城
縄張りの広さに驚かされます。花もあちこち咲いて綺麗です。遺構など見所は増えるのでは?枯山水の復興を期待します。
2016年06月03日 芦屋能登守虎吉
松波城
車で本丸横までいけます。2016年5月現在も、ブルーシートで覆われた部分も多いのですが、見学自体に支障はありませんでした。
堀切の下を廃線が通っていたり、結構うねうねした竪堀や空堀もあるので、ライトに楽しめます。
庭園跡が今後どのように保全されるのか、気になるところです。
2015年12月29日 哉井能登守まや
松波城
2015年12月現在は発掘調査のため城址公園に入れませんでした。
松波城の周辺スポット情報
登城道(その他)