金丸城(かなまるじょう)
金丸城の基本情報
通称・別名
- 仏生山
所在地
- 石川県鹿島郡中能登町金丸沢
旧国名
- 能登国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 鎌倉時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 桃井氏、吉見氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
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金丸城の口コミ情報
2023年05月05日 RED副将軍
金丸城
アプリ開始から13年経ちましたが、まだ城内の写真が無かったので口コミ投稿
能登守護の桃井氏、吉見氏の守護所として機能したと云われる山城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細不詳。鎌倉時代から南北朝時代初期に能登守護職の桃井氏または吉見氏の本城として築かれたとされます。
金丸城は守護所として機能し、近くの徳丸城が居城であったと考えられています。
その後、畠山氏の家臣である崎山城の三宅長盛の支配となります。
1578年には織田信長の支援を受けた長連龍と温井景隆が争った菱脇の戦いが勃発。温井景隆は三宅長盛の兄であり敗戦。金丸城も落城したと思われます。
見所
通称仏性山と言われる眉丈山の南に伸びた標高97mの尾根上に築かれています。
削平された尾根を進むと浅い横堀が認められ段郭が連なり、その上のピークに約20m四方の主郭が広がります。
主郭北側背後には削り残した様な切り立った細尾根が長く伸びており一番の見所でしょうか。
行き方は、金丸集落の北側にありますが案内や登城路はありません。
駐車スペースは無いため、離れますが車は県道2号の路肩に駐車しました。
城域南東麓の民家奥にお墓と社が立っており、社の東側尾根を直登すれば辿り着きます。
人がほとんど入っていないためヤブ化していますが、残存度は良好。切岸が高く鋭いため登城に苦労しました。
写真
①②主郭背後の細尾根。細く両サイドは切り立っています。
③細尾根の先には砦の様な削平地
④主郭切岸
⑤主郭部はヤブ
⑥主郭東に連なる段郭
⑦登城路の尾根
⑧登城口(右側尾根上が登城路)
2011年07月18日 tomm加賀守
金丸城
調べてみても、イマイチ詳しい場所が判らないんですよね…
一部郭跡が残っているとも民家になっているとも田んぼになっているとも…
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