守山城(もりやまじょう)
守山城の基本情報
通称・別名
- 森山城、二上城、二上要害、海老坂城、獅子頭城
所在地
- 富山県高岡市東海老坂
旧国名
- 越中国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 桃井氏?
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 斯波氏、神保氏、上杉氏、前田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、竪堀
指定文化財
- 市史跡(守山城跡(本丸跡))
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
古国府城(富山県高岡市)[3.9km]
高岡城(富山県高岡市)[4.3km]
飯久保城(富山県氷見市)[5.1km]
放生津城(富山県射水市)[7.3km]
二塚城(富山県高岡市)[7.9km]
赤丸城(富山県高岡市)[9.6km]
阿尾城(富山県氷見市)[10.3km]
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池田城(富山県氷見市)[11.8km]
木舟城(富山県高岡市)[13.9km]
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守山城の解説文
[引用元:Wikipedia「守山城」の項目]守山城(もりやまじょう)は、富山県高岡市(越中国射水郡)にあった山城。
【概要】
守山城はまた、二上城、海老坂城ともいう。越中平野を一望に見下ろし、山高く道険しく前方は小矢部川、後方は氷見の湖水に挟まれた要害であり、築城時期は明らかではないが「南北朝末期(1371年)に南党の桃井直常が石動山天平寺の宗徒と示し合わせて、越中守護・斯波義将の本城・守山を攻め落とした」と書かれているため相当古いと考えられる。
【歴史・沿革】
松倉城(魚津市)、増山城(礪波市)と並び越中三大山城と称された。
永禄11年(1568年)3月、越後の上杉謙信は大軍を率いて越中へ侵攻し、守山城を攻撃している。当時の城主・神保氏張は、謙信に降伏して配下となっていた神保氏当主・神保長職と対立していた。この時は謙信の本国・越後で本庄繁長の乱が起きたため、謙信は守山城攻めを中止し、引き上げている。
この後、度重なる謙信による越中出兵に遭い守山城は陥落、上杉方の城となった。[続きを見る]
守山城の口コミ情報
2016年09月18日 まるき〜越中守
守山城
車で国道160号線から二上山万葉ラインという山道を5〜6分上がって行くと駐車場があるのでそこ自体が城跡のようです。
かつて城であったであろうと想像しもって探索してみても遺構等はほとんどワカラナ〜イ!
主郭部分?は展望広場に意味のわからぬどデカイ観音像があり、その下も曲輪っぽいのが三段…石垣を探すも草まみれ
城の説明版はあるが場所ごとの表記もされておらず、とても城跡であったと感じられない、そんな場所でした。
ぶっちゃけ越中三大山城と言う様な大げさな表現はいらないかも…
でも夜景は良かったです。
2016年06月20日 尾張守だもんで
守山城
越中三大山城ですが増山と松倉に比べて目立った遺構はほとんどありません。しかしせっかく来たなら巨像の立つ主郭から少し下って腰郭を見てください。切岸はもちろん、一部に少しだけ石垣が残っています。主郭からの眺望は素晴らしく、駐車場もあるので気軽に行けます。高岡城と古国府城とセットで訪れてみてください。