岩瀬城(いわせじょう)

岩瀬城の基本情報

通称・別名

西岩瀬城

所在地

富山県富山市四方西岩瀬定籍

旧国名

越中国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

桃井直常?

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

桃井氏、荒川長実(上杉氏家臣)

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

大村城(富山県富山市)[4.7km]
大峪城(富山県富山市)[6.7km]
願海寺城(富山県富山市)[6.9km]
富山城(富山県富山市)[7.0km]
白鳥城(富山県富山市)[7.3km]

岩瀬城の解説文

※この城郭は2019年4月6日に名称と位置が変更となりました。

岩瀬城(いわせじょう)は富山県富山市四方西岩瀬にあった城である。西岩瀬城ともいう。

遺構
神通川の左岸、富山湾に面する海岸砂丘の低湿地上に位置する。

現在は、城跡周辺は宅地となっており、その遺構を確認することはできないが、四方西岩瀬定籍に所在する北陸観音霊場第三十番・海禅寺のある場所が岩瀬城の本丸跡である(『海由』)。海禅寺によると、宅地が造成される以前、周辺は耕作地であり堀跡のようなものがあったという。

『富山市遺跡地図』では、海禅寺の北西約200mの「四方北窪(よかたきたくぼ)遺跡」を岩瀬城跡推定地としているが、明確な城郭遺構は検出されていない。ただし、上ノ国勝山館(北海道)や浪岡城(青森県)などから出土している天目模倣瓦質碗(天目茶碗の模倣品)が出土していることから、周辺に中世の権力者の存在を伺わせる。

歴史
築城年、築城主ともに不明だが、興国5年〔南朝〕/康永3年〔北朝〕(1344)に越中守護となった桃井直常が構えた城郭のひとつであるとも考えられる。

直常は、はじめ足利尊氏に従って室町幕府成立に功があったが、観応の擾乱が起こると足利直義方の中核武将として各地に戦った。しかし、直義が殺害された後は次第に追い詰められ、一説では最期、岩瀬城に火を掛けて自害して果てたという(『富紀』)。

戦国時代には、天正5年(1577)の手取川の戦いで織田軍を破った上杉謙信が、加賀・能登・越中支配のために配置した武将の中に、岩瀬城代として荒川伊豆守(長実)の名が見える(『佐す』)。

江戸時代になると、富山藩2代藩主・前田正甫(まさとし)が岩瀬城本丸跡に海禅寺を移し、放鷹の際の宿所とした(『海由』)。

交通
富山ライトレール富山港線蓮町駅から車で約10分

参考文献
『佐す』:『佐々成政のすべて(花ヶ前盛明編)』新人物往来社、2002年。
『富紀』:『富山国際大学地域学部紀要 第8巻』富山国際大学、2008年。
『埋紀』:『分譲宅地造成工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 四方北窪遺跡』富山市教育委員会、2000年。
『海由』:『海禅寺由緒略記』海禅寺。

岩瀬城の口コミ情報

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