寺家新屋敷館(じけあらやしきやかた)
寺家新屋敷館の基本情報
通称・別名
- 寺家新屋敷城、寺家新屋敷塁、田中氏第
所在地
- 富山県南砺市寺家新屋敷
旧国名
- 越中国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 田中貞行
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 田中氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- 市史跡(寺家新屋敷古館跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
野尻城(富山県南砺市)[1.4km]
福光城(富山県南砺市)[5.5km]
井波城(富山県南砺市)[6.2km]
庄城(富山県砺波市)[6.9km]
城端城(富山県南砺市)[8.4km]
安養寺城(富山県小矢部市)[8.6km]
蓮沼城(富山県小矢部市)[8.9km]
御峰城(富山県南砺市)[10.1km]
上見城(富山県南砺市)[10.7km]
木舟城(富山県高岡市)[10.9km]
寺家新屋敷館の解説文
[引用元:Wikipedia「寺家新屋敷館」の項目]
寺家新屋敷館(じけあらやしきやかた)、または寺家新屋敷古館(じけあらやしきふるやかた)は、富山県南砺市やかた231ほかにあった日本の城(城館)。田中氏第・寺家新屋敷城ともいう。「寺家新屋敷古館跡(じけあらやしきふるやかたあと)」として1962年(昭和37年)7月24日付けで南砺市指定史跡。とやま城郭カードNo.90[1][2]。
規模
ほぼ正方形の曲輪を持つ平城。規模は南北62メートル×東西80メートル。曲輪の周りには高さ3メートル程度の土塁を巡らせてあり、その四方を幅約5メートル×深さ約2.5メートルの堀で囲っていた。庄ノ城の出城とされている。
歴史
南北朝期に南朝方の有力者として活躍した越中国守護・桃井直常の家臣であった田中貞行が拠っていたという。またその後に彼の縁者と思われる田中太郎兵衛なる者が拠っていたともいう。その後寺家新屋敷館の名前が史料に登場する事は無いが、近年の発掘調査では江戸時代初期辺りまで使用されていた形跡がある事が判明している。
現在
曲輪があった場所は神明社の境内となっている。神明社の北側には土塁が残っており、東側にもその痕跡が見られるが、堀があった場所は耕地されておりその面影は無い。石碑、案内板が建てられている。
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寺家新屋敷館の口コミ情報
2020年08月15日 VTR美濃守シゲ
寺家新屋敷館
現在は神明社に 社内に説明板あります
内側の土塁は見事、外側の石垣は現世の工事の様です
駐車場は北側に福野文化創造センターヘリオスが有りますそこに止めさせてもらいました
トイレも有ります
2019年03月24日 橘若狭守次郎吉
寺家新屋敷館
寺家新屋敷館は築城年代など詳細な歴史は不明ですが、南北朝時代の桃井直常の家臣田中権左衛門貞行、または末裔の田中太郎兵衛が築いたと云われています。神社の境内に土塁が一部残るのみです。
2012年10月16日 三河守コーキしゃん
寺家新屋敷館
寺家新屋敷の信号を東へ進み、100m程行くと右手に神明社があります。
この神明社付近が館跡です。
専用駐車場がなかったので、広めの路肩に停めました。
神明社の裏に土塁の一部が残っています。