蓮沼城(はすぬまじょう)

蓮沼城の基本情報

通称・別名

日の宮、道林寺遺跡

所在地

富山県小矢部市道林寺、蓮沼、長他(地図は石碑の場所を示す)

旧国名

越中国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

遊佐徳盛?

築城年

永享年間(1429〜1441)前期

主な改修者

主な城主

遊佐氏、一向一揆勢、石黒氏、佐々氏

廃城年

天正13年(1585)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

今石動城(富山県小矢部市)[3.2km]
安養寺城(富山県小矢部市)[3.5km]
道坪野城(富山県小矢部市)[4.3km]
一乗寺城(富山県小矢部市)[5.2km]
木舟城(富山県高岡市)[6.3km]

蓮沼城の解説文

蓮沼城(はすぬまじょう)は、富山県小矢部市蓮沼に在った平城。

規模

東西二十六間、南北三十六間、堀の幅は五間であったと伝えられている。

歴史

室町時代の永享年間(1429年 - 1441年)前半、越中守護畠山氏の守護代として礪波郡を支配していた遊佐氏(遊佐徳盛か?)が築き、居城とした。

文明年間(1469年 - 1486年)、連歌師の宗祇が越後に赴く途中に蓮沼城主遊佐長滋の館へ度々立ち寄り、千句の連歌を興行したと伝えられている。なお、宗祇が著した『新撰菟玖波集』に長滋の詠んだ歌が載っている。

永正・大永年間(1504年 - 1527年)、城主遊佐慶親が埴生護国八幡宮に108段の石段を寄進しているがこの後、慶親は加賀一向一揆勢力の圧迫に抗しきれず越後に亡命。蓮沼城は遊佐氏の影響下から離れた。この後は一向一揆勢力の支配下に置かれていたと見るのが妥当であろう。また、一向一揆と敵対関係にあった木舟城主石黒氏が一時期支配下に置いていたとも云う。

永禄12(1569年)年以降、上杉謙信により松倉城を追われ礪波郡の一向一揆勢力に合流していた椎名康胤が拠っていた。

天正4年(1576年)9月頃、謙信に攻められて落城。康胤は敢え無く敗死した(『越登賀三州志』)と云うが、康胤終焉の地については諸説ある。

天正13年(1585年)、越中国を治めていた佐々成政は豊臣秀吉との直接対決が不可避であることを悟り、それまでの加賀前田領への侵攻策から自領へ招き入れての防衛策へと方針を転換する。蓮沼城はその重要拠点となり近隣から多くの兵糧が集められた。これを重くみた前田利家は電撃的に蓮沼城を急襲して城下共々焼き討ちを敢行し、佐々軍の救援が着くまでに素早く撤退した。蓮沼には当時北陸道が通っており、遊佐氏が拠った時期には礪波郡の行政の中心地であった事もあって大いに栄えていた。年間を通じて水量の変化が少なく水運に最適な小矢部川の恩恵も受け、その勢いたるや「蓮沼三千軒」と称される程であったが、全ては灰燼と帰してしまった。城下の機能はその翌年に築かれた越中国今石動城へと移行し、それに伴い北陸道のルートも変更されて蓮沼の繁栄は終焉を迎える事となる。

出城...

蓮沼城の口コミ情報

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