寺戸城(てらどじょう)

寺戸城の基本情報

通称・別名

所在地

京都府向日市寺戸町古城、西野(例慶公園)

旧国名

山城国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

竹田成忍

築城年

室町時代

主な改修者

竹田仲広、野田泰忠

主な城主

竹田氏、野田氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

物集女城(京都府向日市)[1.3km]
革嶋城(京都府京都市)[2.6km]
勝龍寺城(京都府長岡京市)[3.7km]
吉祥院城(京都府京都市)[4.6km]
淀古城(京都府京都市)[5.0km]
淀城(京都府京都市)[5.5km]
山崎城(京都府乙訓郡)[5.9km]
小泉城(京都府京都市)[6.4km]
嵐山城(京都府京都市)[7.0km]
向島城(京都府京都市)[7.3km]

寺戸城の解説文



寺戸城(てらどじょう)は、京都府向日市寺戸町古城にあった中世の日本の城。

概要 

寺戸城は、西岡地域に勢力を置く室町幕府将軍直轄の家臣団西岡被官衆(西岡中脈衆)の一角竹田氏の居城として知られている。

応仁・文明の乱では、東軍がこの城に陣取り、西岡の戦いが繰り広げられてた。

沿革 

寺戸城は、築城年代は定かでないが、1336年に竹田掃部左衛門入道成忍が足利尊氏より寺戸郷の地頭職を安堵されており、南北時代に竹田氏によって築かれたとされる。

竹田氏はこの地の土豪で、それ以前から寺戸地域に在していたと推測される。また、桂川西岸一帯に割拠した西岡被官衆の一角でもある。

応仁の乱では、応仁2年(1468年)に東軍の野田泰忠らが城主として陣取り、西軍が構える鶏冠井城への攻撃拠点として整備される。

翌年の応仁3年(1469年)には、西岡被官衆が寺戸城へ陣替えとなり、西岡の戦いが繰り広げられてた。

遺構 

寺戸城は、向日丘陵東側斜面を利用して築かれている。 向日市立図書館の北側にある「はり湖池」の北東側の堤防下に整然と区画整理された住宅地一帯に城跡がある。

現在、城址は宅地化されて遺構は残っていない。 しかし、推定地とされる例慶公園の一角に標柱碑がある。 周辺には「御所ノ内」「中垣内」「古城」など、城に関連する旧地名が残り、字古城にある例慶公園や北古城公園付近が、城の中心部と考えられる。

西岡被官衆 

  • 革嶋越前守一宣:革嶋城主、子孫は細川・明智家臣の後に帰農
  • 築山兵庫介貞俊:築山城主、細川家被官、子孫は熊本藩の在京家臣
  • 神足掃部春広:神足城主、子孫は熊本藩家臣
  • 能勢市正光頼:今里城主、子孫は足利義昭に仕え二条城討死
  • 中小路五郎右衛門:開田城主、子孫は細川家臣のち藤堂家臣
  • 志水対馬守重久:志水落合城主、子に志水清久、子孫は熊本藩家臣
  • 調子彦三郎武吉:調子城主、近衛家被官、子孫は調子村領主
  • 竹内宮内少輔季治:久我家被官、のちに堂上家(公家)となる
  • 鶏冠井孫六:鶏冠井城主、三好家被官<滅亡>
  • 物集女太郎左衛門尉:物集女城主、子孫は細川藤孝に謀殺<滅亡>
  • 竹田左京進仲広:寺戸城主、三好家被官<逃亡>→野田氏

アクセス 

鉄道

  • 阪急京都本線:東向日駅から徒歩約10分

自動車

  • 名神高速道路:京都南IC~国道1号~京都府道202号
    • 駐車場:なし

参考文献 

  • 「野田泰忠軍忠状」
  • 『日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井』新人物往来社、1980年。
  • 中井均 監修 城郭談話会 編『図解 近畿の城Ⅰ』戎光祥出版、2014年。ISBN 978-4-86403-124-0。
  • 仁木宏 福島克彦 編『近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編』吉川弘文館、2015年。ISBN 978-4-64208-265-5

寺戸城の口コミ情報

2024年07月14日 てっちゃん摂政@京都
寺戸城



現地は小さな公園で遺構はなかった。写真は近くのバス停

2024年04月30日 RED副将軍
寺戸城



西岡被官衆である竹田氏の居城

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。南北朝時代に竹田氏により築かれたその居城。
竹田氏は有力国人とされ、1336年に足利尊氏により竹田成忍が寺戸郷の地頭職を安堵された御家人であり、1351年には上久世庄の公文職となっています。
室町将軍直轄の家臣団である西岡被官衆にも竹田氏の名が残り、1468年に寺戸城に東軍が陣を布いたとされ、西岡の戦いの舞台となりました。

見所
現在は、宅地化により遺構は消失。推定地とされる例慶公園の一角に城跡碑が立っています。

2022年09月03日 有栖川もぼ
寺戸城



城跡の碑はあるものの、それについての資料がほぼない🙂

なので、ここは私の妄想でお話を膨らませたい😊

●●●妄想です●●●

本丸は公園になっています✨
おそらく、小さな天守があったであろう、今は滑り台。。。

天守(滑り台)を見上げるようにお茶室(ブランコ)がありました🙂

本丸への登城路はつづらおれになっています😊

向かいに小さな神社があります✨
きっとご利益のある神社なんでしょう😊

本丸(公園)を少しだけ下がったとこに二の丸(セブンイレブン)があります😊

ここで買う飲料水はほんとに美味しい💕

そう、妄想リアの為にここまで頑張って来たから美味しいんですね😆

2019年05月06日 ☘️ぷ~太郎
寺戸城跡[寺戸城  碑・説明板]



寺戸城跡?
大原野道が物集女街道と交わる南西の角は、江戸時代の耕地図によれば小字名を「御城ノ内」といい、周囲に堀跡らしき地割りもみられます。中世寺戸の土豪の館跡かと考えられてきましたが、発掘調査では明確な遺構が確認できませんでした。

2018年06月19日 杉ちゃん尾張守
寺戸城

例慶公園から少し東に行くと南北に伸びる丘陵地帯があります。個人的な推量ですが、その上にある五塚原古墳あたりはいましたが寺戸城跡だったのではないかと思いました。ちなみにこの南北に伸びる丘陵が[長岡]の地名の由来だそうです。

2017年05月12日 橘若狭守次郎吉
寺戸城

寺戸城跡推定地の「例慶公園」の一角に碑があります。遺構はありませんでした。例慶公園付近の地名に「古城」や「垣内」といった地名があることから、寺戸城跡の推定地となったそうです。

2015年08月16日 課長大和守Ver.B
寺戸城

あくまで推定地なので遺構等はありませんが城跡を説明する標柱があります。
付近に似たような児童公園がいくつか有り、「古城」を冠する公園も2カ所ありますが標柱があるのは「例慶公園」ですのでお間違い無く。

寺戸城の周辺スポット情報

 寺戸城跡(碑・説明板)

 向日神社(寺社・史跡)

 向日文化資料館(関連施設)

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