南山城(なんざんじょう)

南山城の基本情報

通称・別名

南山グスク、高嶺グスク、島尻大里グスク

所在地

沖縄県糸満市大里桃原

旧国名

琉球国

分類・構造

山城

天守構造

なし

築城主

南山王

築城年

14世紀頃

主な改修者

主な城主

南山王、承察度、汪応祖、他魯毎、尚巴志

廃城年

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

市史跡(南山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

八重瀬城(沖縄県島尻郡)[3.1km]
具志川城(沖縄県糸満市)[5.8km]
具志頭城(沖縄県島尻郡)[6.1km]
豊見城城(沖縄県豊見城市)[6.7km]
長嶺城(沖縄県豊見城市)[6.7km]

南山城の口コミ情報

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
尚巴志が、1416年に今帰仁城を攻略して北山を中山に併合してから、1429年に南山城を攻略して琉球を統一する迄に、13年も経つのは、その間に父の尚思紹王の崩御と、琉球国中山王への即位、浦添城から首里城への遷都がありましたのも、事実ですが、尚巴志の慎重な性格も影響しています。尚巴志は、勝連按司阿麻和利を警戒していたようです。其の為に、阿麻和利が謀反を起こしても、対処出来る様に時間を掛けて、他魯毎の勢力を削いでいきます。伝承では、南山城の水源であった嘉手志川(かでしかー、かー、とは琉球語で、泉や井戸の意味)と金屏風を交換した話があります。尚巴志が立派な金屏風を所持しているのを知った他魯毎が、尚巴志に金屏風の譲渡を願い出たところ、嘉手志川との交換を持ち掛けられたそうです。嘉手志川を首里城に持ち帰る事は不可能だと言って、他魯毎は金屏風と嘉手志川の交換に応じてしまいました。尚巴志は、嘉手志川の所有権は金屏風と交換したから自分にあると、嘉手志川を封鎖して、南山の住民が嘉手志川を利用出来ない様にしたために、他魯毎から人心が離れていったそうです。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
1415年から、尚巴志が琉球統一を成し遂げる1429年迄の南山王、他魯毎の居城です。1429年、尚巴志の攻略に因って南山城は、落城します。その後、他魯毎は山填毛(さんてんもう)に追い詰められて、自害し南山は滅亡します。島添大里城と豊見城城の口コミに書き込みしたように、南山王の居城は、尚巴志の攻略に因って、島添大里城→豊見城城→南山城と南に後退します。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月17日]
1415年から1429年迄、南山王だった他魯毎の居城です。南山王で居城にしていたのは、他魯毎だけです。承察度は、島添大里城です。汪応祖は、豊見城城です。南山王の居城は、琉球統一の野望を持つ尚巴志の攻略によって、島添大里城→豊見城城→南山城と、南に後退しています。

徳g琉球守もう一頂♪様[2018年06月08日]
リアされるなら
城跡沿いに7号線が走ってます。比較的広く駐車可能です。
城跡と高嶺中学校の間に道が走っていますが、どんどん狭くなり行き止まり!になり車ならバックで戻るしかありません。

説明書きがありますが、かなり大きな城だったと思われますが、大半は学校の校庭になっているようです。
ハブ捕獲の仕掛けがありました。ご注意を

ブイシカ太政大臣様[2011年10月28日]
那覇空港より糸満市へ331号バイパス「運動公園」前にて(σ・∀・)σ近くの海鮮系レストラン「まぐろ基地」はリーズナブルなお値段の上にボリューム満点!

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