南山城(なんざんじょう)
南山城の基本情報
通称・別名
- 南山グスク、高嶺グスク、島尻大里グスク
所在地
- 沖縄県糸満市大里桃原
旧国名
- 琉球国
分類・構造
- 山城
天守構造
- なし
築城主
- 南山王
築城年
- 14世紀頃
主な改修者
- -
主な城主
- 南山王、承察度、汪応祖、他魯毎、尚巴志
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣
指定文化財
- 市史跡(南山城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
八重瀬城(沖縄県島尻郡)[3.1km]
具志川城(沖縄県糸満市)[5.8km]
具志頭城(沖縄県島尻郡)[6.1km]
豊見城城(沖縄県豊見城市)[6.7km]
長嶺城(沖縄県豊見城市)[6.7km]
糸数城(沖縄県南城市)[7.7km]
玉城城(沖縄県南城市)[9.2km]
島添大里城(沖縄県南城市)[9.6km]
三重城(沖縄県那覇市)[9.9km]
首里城(沖縄県那覇市)[10.4km]
南山城の解説文
[引用元:Wikipedia「南山城」の項目]
南山城(なんざんじょう)は、現沖縄県糸満市大里にあったグスク。同市の文化財。
別称は、南山城跡、南山グスク、高嶺グスク、島尻大里グスク。
概略
南山王国の王城であり、また南山城がある現糸満市には首都が置かれていた。
国王が代々城主を継いだが、1429年に尚巴志により南山王国が滅ぼされ、琉球王国ができると、尚巴志が城主となった。
歴史
創建
細かい創建年代は分かっていないが、14世紀頃、南山城は南山王によって創建されたとされている。
王城
その後、南山王国の王が南山城を王城に用い、南山城がある大里は首都となった。
南山王国の滅亡
1429年、尚巴志が南山王国が滅ぼし、琉球王国が建国されると、大里は首都としての機能を失い、南山城には国王が王城として用いることもなくなった。
琉球処分
1879年に琉球王国がなくなり、沖縄県が設置されると、元琉球王国あたりは大日本帝国が領有した。
沖縄戦
1945年、アメリカ軍が沖縄に上陸すると、南山城がある高嶺村では約1600人が犠牲になり、高嶺村があった現糸満市は激戦地となった。そして、終戦後にアメリカは沖縄県を占領した。
交通
車
- 那覇市内からは直線距離でおよそ10kmあり、車で30分ほどで行くことができる。
[続きを見る]
南山城の口コミ情報
2024年07月15日 RED副将軍
真壁城[南山城 周辺城郭]
南山城の出城と考えられるグスク🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代や築城主等の詳細不詳。発掘調査による出土品から14~16世紀頃のグスクとされ、山南王の居城である南山城に近い為、真壁按司によって築かれた南山城の出城と考えられています。
見所
真壁集落北方の標高82mの丘陵上に築かれています。
3つの郭からなる連郭式で、城壁は琉球石灰岩の野面積みで一部が切石積み。自然石を利用した城門が特徴的でした。
現在は真壁公園として整備され駐車場も完備しています。
2024年04月21日 気分爽快豊後守
南山城
南山神社周辺の切石の石垣は、近代に積み直されたものとのことですが、いい感じで景色に溶け込んでいました。
ガジュマルに侵食された石積みが、御神体のようにも見えて神秘的でした。
①東側入口
②南側入口①
③南側入口②
④南側道路の行き止まり付近
⑤城内
⑥南山神社裏①
⑦ガジュマルに侵食された石積み。神秘的
⑧南山神社裏②
2022年06月04日 RED副将軍
南山城
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
14世期の琉球三山分立時代に栄えたグスク 。山南王の承察度の居城。三山とは、それぞれ北山城の今帰仁城、中山城の浦添城、南山城の島尻大里城のこと。1429年、琉球統一を狙う中山王の尚巴志によって滅ぼされました。
見所
神社の北東側に野面積みの石塁が残されていますがガジュマルに浸食されていまさした。切石による石垣が小学校、神社にありますがグスクの遺構ではなく後世のもの。
2021年04月07日 琉球守風のこうちゃん播守
南山城
糸満市立高嶺中学校を目指して行きましょう💨隣です☝️綺麗な石組みでした。南山城跡専用駐車場無し。トイレ無し。
2019年04月29日 鵲
カデシガー[南山城 関連施設]
南山が滅んだのは、最後の王であった多魯毎(たるまい)が、中山王尚巴志の持つ金屏風を欲しがるあまり、この泉と交換したことがきっかけともいわれている(糸満市のHPより)。
南山城から近いので足を運んでみてください。
2019年04月29日 鵲
カデシガーの説明板[南山城 碑・説明板]
南山が滅んだのは、最後の王であった多魯毎(たるまい)が、中山王尚巴志の持つ金屏風を欲しがるあまり、この泉と交換したことがきっかけともいわれている。(糸満市のHPより)
南山城から近いので足を運んでみてください。
2019年04月29日 鵲
公民館駐車場[南山城 駐車場]
南山城には駐車場は、見当たりません。
近くにあるカデシガーに行く場合、公民館に停めるように看板があるので、合わせて利用できます。
2019年04月29日 鵲
バス停[南山城 その他]
糸満市のデマンドバス停です。乗車には予約が必要です。
2018年06月20日 後中城按司 知名朝安
南山城
尚巴志が、1416年に今帰仁城を攻略して北山を中山に併合してから、1429年に南山城を攻略して琉球を統一する迄に、13年も経つのは、その間に父の尚思紹王の崩御と、琉球国中山王への即位、浦添城から首里城への遷都がありましたのも、事実ですが、尚巴志の慎重な性格も影響しています。尚巴志は、勝連按司阿麻和利を警戒していたようです。其の為に、阿麻和利が謀反を起こしても、対処出来る様に時間を掛けて、他魯毎の勢力を削いでいきます。伝承では、南山城の水源であった嘉手志川(かでしかー、かー、とは琉球語で、泉や井戸の意味)と金屏風を交換した話があります。尚巴志が立派な金屏風を所持しているのを知った他魯毎が、尚巴志に金屏風の譲渡を願い出たところ、嘉手志川との交換を持ち掛けられたそうです。嘉手志川を首里城に持ち帰る事は不可能だと言って、他魯毎は金屏風と嘉手志川の交換に応じてしまいました。尚巴志は、嘉手志川の所有権は金屏風と交換したから自分にあると、嘉手志川を封鎖して、南山の住民が嘉手志川を利用出来ない様にしたために、他魯毎から人心が離れていったそうです。
2018年06月20日 後中城按司 知名朝安
南山城
1415年から、尚巴志が琉球統一を成し遂げる1429年迄の南山王、他魯毎の居城です。1429年、尚巴志の攻略に因って南山城は、落城します。その後、他魯毎は山填毛(さんてんもう)に追い詰められて、自害し南山は滅亡します。島添大里城と豊見城城の口コミに書き込みしたように、南山王の居城は、尚巴志の攻略に因って、島添大里城→豊見城城→南山城と南に後退します。
2018年06月17日 後中城按司 知名朝安
南山城
1415年から1429年迄、南山王だった他魯毎の居城です。南山王で居城にしていたのは、他魯毎だけです。承察度は、島添大里城です。汪応祖は、豊見城城です。南山王の居城は、琉球統一の野望を持つ尚巴志の攻略によって、島添大里城→豊見城城→南山城と、南に後退しています。
2018年06月08日 徳にぃ図書頭銀座のすずめ
南山城
リアされるなら城跡沿いに7号線が走ってます。比較的広く駐車可能です。城跡と高嶺中学校の間に道が走っていますが、どんどん狭くなり行き止まり!になり車ならバックで戻るしかありません。
説明書きがありますが、かなり大きな城だったと思われますが、大半は学校の校庭になっているようです。ハブ捕獲の仕掛けがありました。ご注意を。
2011年10月28日 ブイシカ摂政
南山城
那覇空港より糸満市へ331号バイパス「運動公園」前にて(σ・∀・)σ近くの海鮮系レストラン「まぐろ基地」はリーズナブルなお値段の上にボリューム満点!