豊見城城(とみぐすくじょう)

豊見城城の基本情報

通称・別名

豊見城グスク、豊見グスク

所在地

沖縄県豊見城市豊見城863(豊見城城址公園〔閉園中〕)

旧国名

琉球国

分類・構造

山城

天守構造

なし

築城主

汪応祖(おうおうそ)

築城年

14世紀後期〜15世紀前期

主な改修者

主な城主

汪応祖

廃城年

遺構

石垣

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

長嶺城(沖縄県豊見城市)[2.1km]
三重城(沖縄県那覇市)[3.5km]
首里城(沖縄県那覇市)[4.9km]
天久城(沖縄県那覇市)[5.1km]
南山城(沖縄県糸満市)[6.7km]

豊見城城の口コミ情報

後中城按司 知名朝安様[2018年07月23日]
豊見城城の本来の正式名称は、豊見城です。城城とは重ねないのですが、今では、城城と重ねて呼ばれています。理由は、中城城の口コミに投稿しました様な、所在地の自治体と区別する為です。豊見城だけだと、豊見城市なのか、豊見城の城なのか、紛らわしいとの理由で、豊見城城と呼ばれるのが、慣例になっています。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
南山王の居城がクーデターによって、豊見城城から南山城に移ったと書き込みましたが、切っ掛けは島添大里城の口コミに書き込みしたように、南山の王位を廻る兄弟の争いです。1403年から当時の中山王だった、浦添城の城主である武寧の支援を受けて、汪応祖が南山王に即位します。此れを認めない達勃は、密かにクーデターを起こして王位を簒奪する機会を伺います。そして1414年、汪応祖を殺害します。しかし汪応祖の長男である他魯毎との戦い敗れ、久米島に逃亡します。達勃は、久米島で真達勃按司と名乗り、(久米島)具志川城の城主になります。達勃と他魯毎が争っている隙に、豊見城城は尚巴志に攻略されます。他魯毎は、達勃との戦いに勝ったにもかかわらず、尚巴志に破れた為に南山城に逃亡します。その為に南山王の居城は、豊見城城から南山城に移りました。南山王の居城は、尚巴志の攻略に因って、島添大里城→豊見城城→南山城と南に後退していきます。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月17日]
豊見城城は、1403年から1414年迄は、南山王の居城です。城主の汪応祖が、この期間、南山王だったからです。クーデターが起きた為に、南山王の本拠地は、1415年からは、糸満市の南山城になりました。この時に、尚巴志に攻略されて、中山の勢力圏に入ります。尚巴志は、豊見城城攻略した翌1416年に、南山城ではなく、北山王の居城であった今帰仁城を、攻略します。

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