島添大里城(しましいおおざとじょう)

島添大里城の基本情報

通称・別名

島添大里グスク、大里グスク、ウフザトグスク

所在地

沖縄県南城市大里大里

旧国名

琉球国

分類・構造

山城

天守構造

なし

築城主

汪英紫(おうえいじ)?

築城年

14世紀

主な改修者

主な城主

島添大里按司、尚巴志

廃城年

遺構

曲輪、石垣、井戸、拝所

指定文化財

国史跡(島添大里城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

佐敷城(沖縄県南城市)[3.5km]
糸数城(沖縄県南城市)[3.8km]
玉城城(沖縄県南城市)[5.0km]
幸地城(沖縄県中頭郡)[5.3km]
垣花城(沖縄県南城市)[5.3km]

島添大里城の解説文

島添大里城(しましいおおざとじょう)は、現在の沖縄県に存したかつての城(グスク)である。琉球最大のグスクであり、1429年に南山王国が滅亡するまで首府が置かれていた。 2005年まで存した自治体の大里村(現南城市)の村名は、このグスクの名に因む。現在は廃墟となっているが、2012年1月に国の史跡に指定されている。

歴史
承察度が浦添城において玉城を打ち破った1314年に南山王国の首府が置かれた。城郭は漁港である糸満および農村である大里近くの丘の上にあった。その丘の麓には小さな登り口があり、許可された商船と直取引を行っていた

。 島添大里城の戦略的な立地条件により、南山王国は北山王国や中山王国と繁栄を競った。しかし1429年、他魯毎の治政に中山の尚巴志により滅ぼされた。1950年代には城趾に小学校が建設され、2012年1月には国の指定史跡となった。

島添大里城の口コミ情報

後中城按司 知名朝安様[2018年06月20日]
失礼しました。島添大里按→島添大里按司です。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月19日]
汪英紫は、甥の承察度王をクーデターによって、追放して後に南山王叔として、南山の実権を握ります。南山王の叔父だから王叔です。そして三男のやふすを、自分の後継者に指名します。その為に、汪英紫の死後にやふすが島添大里按として、島添大里城の城主になります。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月19日]
島添大里城は、南山王だった承察度の居城でした。1394年頃、承察度王は、叔父である汪英紫のクーデターによって、島添大里城から追放されてしまいました。そして、山南王温沙道として朝鮮王国に亡命しました。承察度王は、帰国出来ずに1398年に朝鮮王国で病死しました。前年の1397年に汪英紫が病死していた為に、南山の王位を廻って汪英紫の遺児である、長男の八重瀬按司達勃(たぶち)、次男の豊見城按司汪応祖、三男の島添大里按司やふす(漢字忘れました)の三兄弟が争いました。その為に南山は、内戦状態になります。南山の混乱に乗じて、尚巴志は1402年に島添大里城を攻略します。この時に日本で最初に戦で鉄砲(明製、石火矢)が使用されました。この時にやふすは、戦死しました。1402年の島添大里城攻略戦は、「尚巴志、琉球統一への最初の戦い」です。

後中城按司 知名朝安様[2018年06月17日]
島添大里城が、南山の本拠地だったのは、1402年に、尚巴志が攻略するまでです。尚巴志が攻略してからは、中山の勢力圏に入ります。1403年から1414年迄は、豊見城城が南山王の居城です。1415年からは、糸満市に在る南山城が南山王の居城です。

たうべ様[2013年08月17日]
頂上からの眺めがきれい
全体的に整備されてて歩きやすいしおすすめの城
ただでっかいクモとかいるので注意

近くに出城があるっぽいのでまた行く機会があれば行ってみたいかな

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