佐敷城(さしきじょう)
佐敷城の基本情報
通称・別名
- 佐敷グスク、佐敷上グスク、上城(うぃぐすく)、サシチグスク、イーグスク、つきしろの宮
所在地
- 沖縄県南城市佐敷字佐敷
旧国名
- 琉球国
分類・構造
- 山城
天守構造
- なし
築城主
- 尚思紹・尚巴志
築城年
- 14世紀
主な改修者
- -
主な城主
- 尚巴志
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、石積、切岸、貼石状石列
指定文化財
- 国史跡(佐敷城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
垣花城(沖縄県南城市)[2.1km]
玉城城(沖縄県南城市)[2.5km]
知念城(沖縄県南城市)[2.6km]
糸数城(沖縄県南城市)[3.0km]
島添大里城(沖縄県南城市)[3.6km]
具志頭城(沖縄県島尻郡)[6.2km]
八重瀬城(沖縄県島尻郡)[7.6km]
幸地城(沖縄県中頭郡)[8.4km]
長嶺城(沖縄県豊見城市)[8.6km]
首里城(沖縄県那覇市)[8.9km]
佐敷城の解説文
[引用元:Wikipedia「佐敷城」の項目]
佐敷城(さしきぐすく)は沖縄本島南部のグスク。国の史跡に指定されている[1]。
立地
沖縄県南城市佐敷に位置し、三方を急峻な斜面で囲まれ後方は丘陵となっている。周辺には、県史跡の佐敷ようどれ(http://www.city.nanjo.okinawa.jp/about-nanjo/movie_ja/2012/02/post-51.html)など尚巴志に関する文化財が散在する。
歴史
第一尚氏の尚思紹・尚巴志の居城だが、石垣には囲まれておらず、居館的な性格が強かった。付近に馬天港や与那原港があり、尚巴志は与那原港に出入りする異国船から鉄を購って製造した農具を配布する事で民心を得て、三山統一に成功した。1938年には第一尚氏の王統を祀り、王統の守護神である「つきしろ」にちなんで命名された月代宮が建立された。また、跡地には展望台・屋外舞台が設けられている。
遺構
1979年に佐敷町教育委員会によって発掘調査が実施され、3段の平場で多数の柱穴が見つかった。遺物は平場の縁辺部に多く、中国製の青磁碗が一括して出土している。そのほか鉄・青銅製品、皇宋通宝、荊寧元宝などの銭や、玉類、炭化した米、麦、牛骨なども出土した。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(47.沖縄県)』、角川書店、1986年
[続きを見る]
佐敷城の口コミ情報
2021年04月05日 琉球守風のこうちゃん播守
佐敷城
国道331号線に「佐敷城跡」の道標、有ります☝️ここはまだ石垣が発見されてないようです🤨駐車場🅿有り、🚻無しになります。
2019年01月29日 源山城守@ポンコ2…
佐敷城
331号線から曲がるとこ間違え、
市立佐敷小の敷地に入ってしまい、
Uターンして331号線に戻り、
鳥居を潜り道なりに進むとグスク跡に
建つ月代宮前に着きます。
月代宮前は広場になってて駐車可です。
柱穴・石積など遺稿を探しましたが、
釜戸跡・内殿跡以外の遺稿は残念ながら
わかりませんでした。
草むらがカサカサというので、
ハブか何かいるのかもしれませんが、
目視できませんでした。
月代宮の社殿があるとこと、その前の広場が
曲輪跡のようで微高地にあるので、
眺めはよいと思います。
2018年06月21日 後中城按司 知名朝安
佐敷城
尚巴志が、父の尚思紹から佐敷按司の地位を禅譲されて、佐敷城の城主になった1392年は、日本史では室町幕府第三代将軍足利義満が、南北朝を合一して南北朝時代を終わらせた年でもあります。更に、高麗王国が滅亡して朝鮮王国が建国された年でもあります。尚巴志は、1372年生まれですが、1372年は察度王が明に進貢して、大琉球大交易時代が始まった年でもあります。
2018年06月20日 後中城按司 知名朝安
佐敷城
佐敷按司だった頃の尚巴志は、佐敷の小按司以外に鬼鷲(うにばし)と称されて、いわゆる「琉球語の万葉集」である「おもろさうし」に詠われています。琉球を統一していく過程は正に、獲物を狙う鬼鷲その物です。尚巴志の巴志は、鷲を明の役人が、ばし、との琉球語の発音から鷲では無く巴志と表記して、尚巴志の尚は大をうー、との琉球語の発音から、大では無く尚と表記した為だと思います。南山の承察度王の承察度は、大里を、うーざとぅの琉球語の発音から明の役人が表記した為だと思いますが、同じ大の発音の表記が承察度王と尚巴志で異なるのは、尚巴志が承察度王の承の字を避けた為だと思います。
2018年06月19日 後中城按司 知名朝安
佐敷城
尚巴志が集めた明製の鉄砲は、火縄銃ではなく、石火矢と呼ばれた物で、棒の先にロケット花火を付けたような形です。
2018年06月19日 後中城按司 知名朝安
佐敷城
尚巴志が、佐敷按司の地位を父の尚思紹から禅譲されて、佐敷城の城主になったのは、数え年齢で20歳の1392年です。尚巴志は、身長が150㎝未満だったので、佐敷の小按司と呼ばれていました。尚巴志は、小柄ながら力持ちだったそうです。尚巴志は、領内の馬天港と、与那原港を利用して奄美諸島、種子島、壱岐、対馬、九州、四国、堺と積極的に交易していたそうです。馬天港と与那原港は、南山王が明に進貢する時の出発港だった為に、尚巴志は、日本製の武器や防具以外に、明製の武器や防具も集める事が出来ました。その為に、1402年に島添大里城攻略する時に、日本で戦において最初に鉄砲(明製)を使用する事が出来ました。
2018年06月15日 後中城按司 知名朝安
佐敷城
佐敷城に有る月代の宮の、月代とは、尚巴志の妹、月代君にちなんでいます。月代が有るなら、太陽代も有るのか、と疑問に思う人もいると思いますが有ります。太陽代(てだしろ)君は、尚巴志の叔母です。尚巴志の父、尚思紹の姉です。沖縄には、琉球の時代から、おなり神、えきり神、が守ってくれるとの言い伝えが有ります。おなり神は、男性の姉妹で、えきり神は、女性の兄弟です。月代君と、太陽代君は、おなり神であると同時に、ノロでもあります。ノロとは、祝女、又は、神女、と書いて、かみんちゅ、とも呼ばれます。イメージ的には、卑弥呼が近いです。ノロの中でも、君と呼ばれるのは、極一部です。