具志頭城(ぐしちゃんじょう)
具志頭城の基本情報
通称・別名
- 具志頭グスク
所在地
- 沖縄県島尻郡八重瀬町具志頭
旧国名
- 琉球国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- なし
築城主
- 具志頭按司
築城年
- 14世紀中期
主な改修者
- -
主な城主
- 具志頭按司
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
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具志頭城の解説文
具志頭城の口コミ情報
2024年08月11日 RED副将軍
具志頭城
険しい断崖上に築かれた具志頭按司の居城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
14世紀中期に具志頭按司により築かれたと伝わります。
初代の具志頭按司は、英組王統第二代大成王の第三子であったとされ、具志頭城は6代に渡る代々の具志頭按司の居城となりました。
具志頭按司は、城下を流れる白水川の下流に広がる内海を貿易港として利用し、盛んに海外貿易を行ったとされます。
しかし14世紀後半に南山王の攻撃によって、具志頭城は落城したとされます。
見所
南側は海岸に臨む断崖上で北側から西側は川が流れる要害に築かれています。
石垣が一部残り、南側には高ヤックワと呼ばれる見張ヤグラがあります。しかし具志頭城址公園として整備されており、公園化により遺構はほぼ消失。
激しい沖縄戦の地でもあり、高知県と山梨県出身の戦没者を祀る慰霊碑が建っています。
公園の駐車場を利用することができます。
2024年04月21日 気分爽快豊後守
具志頭城
ぐしちゃん インパクトのある名前なので立ち寄りましたが、遺構はほぼないので、城跡を期待して行くとガッカリしますね。町民の憩いの場(昼寝の場)となっていました。なんとなく城址っぽい写真をUPします。
①東の端から見た郭
②中程から見た郭の東側
③中程から見た郭の西側
④展望台から見た郭の西側
⑤郭内の忠魂碑
⑥眺望は良い
⑦海岸に降りて見上げてみた
2021年04月07日 琉球守風のこうちゃん播守
具志頭城
ここは観光名所、景勝の地でしょうか🤔グスク跡より観光名所の色の方が強いです☝️石垣が一部残ってると書いてましたが、よくわかりませんでした😑景色は最高です😳現地、駐車場・トイレ・自販機有りです。
2019年01月20日 フー甲斐守
具志頭城
城址の真下には旧日本軍の壕があるようです。NPOが管理されていて有料と聞きましたが、現地に人はいないようなので、興味のある方は事前にお問い合わせが必要だと思います。観光バスも来ていました。
2019年01月20日 フー甲斐守
具志頭城
城跡の辿り着くのに苦労しました。
国道331号から信号のない細い道を曲がる必要があるんですが、ここが分かりづらいですね。マップコードでカーナビセットして、えっここ曲がるの!という所を思い切って曲がるとたどり着きます(メグラーは皆さん一度は酷道に入り込んで困った経験があるでしょうから、ちょっと心配になると思います)。331号を具志川に向かって南進する場合、道の駅やえせ迄行ってしまうと行き過ぎです。
又曲がってからも駐車場の案内無くハラハラしました。最終的には海岸側にも城址側にも駐車場あるんですが…
2018年06月21日 後中城按司 知名朝安
具志頭城
具志頭城も、1402年から1404年にかけて、尚巴志が攻略しています。1405年に浦添城を、攻略する直前には、現在の南城市全域、南風原町全域、与那原町全域、そして、具志頭城が在る八重瀬町の半分(旧具志頭村全域)が、尚巴志の支配下になります。これは、南山の東半分になります。
2016年10月14日 立花左近将監統虎
具志頭城
呼び名がかわいい「ぐしちゃんじょう」
国道331号線の向陽高校が近くにあります。
曲がり道は少し分かりにくいですが案内看板に沿って進むと、広々とした公園が具志頭城跡です。
無料駐車場、トイレあります。
公園内には土佐の塔、甲斐の塔と戦没者を祀る慰霊碑が建てられています。
展望台からは絶景が観られます。
歴史
文献史料がなく伝承もないため、歴史は不明。ただし、面積は約3万m2に及び、沖縄本島南部の中でも有数の大規模なグスクであることから、かなり有力な按司のグスクであったと考えられる。14世紀の中期頃、英組王統第2代大成王の大三子である具志頭按司が築城し、具志頭按司が代々の居城としたという説もある。現在は具志頭城公園になっており、整備の際に展望台のある場所で発掘調査が行われている。見つかった遺物は多くが14世紀後半から15世紀前半のものだ。
遺構
具志頭集落の南側、東西方向に展開する標高58mの丘陵頂上部に築かれている。グスクの大部分が公園整備の際に大きく改変されてしまっており、かつての全容はわからない。北辺に、約140mにわたり石積みが残る。北側の斜面に沿って積まれた石積みだ。具志頭城は南側は太平洋に面した急崖、北側は緩やかな傾斜である。緩斜面の防御を固めるべく、石積みを障壁のように用いて固めていたようだ。
西端部の最高所で、南側の急崖と北側の石積みが繋がる。最高所は「高ヤックァ」と呼ばれ、見張台として機能していたようだ。石積みの高さは2~3.5m、3か所の張り出しが確認できる。
交通
・琉球バス具志頭売店前バス停から徒歩約7分参考文献
・『沖縄の名城を歩く』、吉川弘文館、2019年。・現地案内板