幸地城(こうちじょう)
幸地城の基本情報
通称・別名
- 幸地グスク
所在地
- 沖縄県中頭郡西原町字幸地
旧国名
- 琉球国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- なし
築城主
- 伊波按司
築城年
- 15世紀前期
主な改修者
- -
主な城主
- 伊波按司、熱田子
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- 町史跡(幸地グスク)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
浦添城(沖縄県浦添市)[2.3km]
首里城(沖縄県那覇市)[3.1km]
伊祖城(沖縄県浦添市)[3.8km]
島添大里城(沖縄県南城市)[5.2km]
天久城(沖縄県那覇市)[6.2km]
長嶺城(沖縄県豊見城市)[6.5km]
中城城(沖縄県中頭郡)[8.0km]
豊見城城(沖縄県豊見城市)[8.0km]
三重城(沖縄県那覇市)[8.3km]
佐敷城(沖縄県南城市)[8.4km]
幸地城の解説文
幸地城の口コミ情報
2024年05月27日 RED副将軍
幸地城
中城城から首里城を結ぶハンタ道を押さえるグスク🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細不詳。
15世紀前半に今帰仁王子である伊波按司の2代目の分家が幸地按司(熱田子)と称して築いたと伝わります。中城城から首里城を結ぶ峰道が城内を通過する交通の要衝であることが特徴で関所の役割を担っていたとされます。
見所
首里を起点として中城城を結ぶ中城ハンタ道にある西原間切に築かれています。標高115mの丘陵上であり、最高所には現在は祠が鎮座していますがかつては物見の櫓台であったと云われます。
物見の北東下には郭があり井戸跡が残ります。
行き方は、物見の直ぐ下まで車で登ることができます。道路は細いですが舗装されており駐車スペースもあります。
2021年04月02日 琉球守風のこうちゃん播守
幸地城
近辺の道路に「幸地城跡」の道標は見当たらずでした。地図通り行って下さい!駐車スペース有り☝️トイレ無しです。
2012年12月25日 螺鈿紫檀琵琶法師
幸地城
高台にある幸地城攻略経路は2本ありますが、児童公園側は悪路です。もう一方を上がると駐車できるスペースがあります
周辺には案内看板は見当たりませんでした
グスク内の頂上付近には現在祠が建っているが、この場所はかつて周辺を観察するための櫓台と考えられる。そこから北東下には、30メートル×30メートルほどの広さをもった曲輪となっている。この曲輪の北寄りには井戸があり、居住地化された場所と思われる。また、西方から北西にかけても、幅が10メートルほどの削平地が数段造られ、この場所も居住地化されていった可能性が高い。
幸地グスクについて『遺老伝説』(18世紀前半)に「幸地グスクの城主は、熱田子と呼ばれ、腕力も強く人々からおそれられていた。熱田子は隣の津記武多按司といさかいを起こし、その一族を滅ぼした。訃報を聞いた今帰仁按司は、自ら仇討ちに出かけたが、熱田子の策略にはまり、殺された。その後、今帰仁按司の息子4人が兵を挙げ、ついに熱田子を滅ぼした。」と、記されている。
このグスクの注目すべき点は、峰の上を通過する「峰道」がグスク内を通過することにある。一種の関所的機能を持ち、戦時には道路を封鎖する目的で造られたと考えられる。
幸地グスクは、15世紀前半にでき、その後数十年間グスクとして、あるいは関所として、また戦乱期の後には領地内支配の拠点的な機能も複合的に期待された形で存在した可能性がある。
参考文献
・『西原町の文化財』ウェブサイト。