禅定寺城(ぜんじょうじじょう)
禅定寺城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺奥城土
旧国名
- 山城国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
関津城(滋賀県大津市)[6.7km]
槇島城(京都府宇治市)[8.3km]
白栖城(京都府相楽郡)[8.7km]
瀬田城(滋賀県大津市)[10.8km]
草路城(京都府京田辺市)[11.4km]
水主城(京都府城陽市)[11.6km]
向島城(京都府京都市)[11.7km]
伏見城(京都府京都市)[11.7km]
膳所城(滋賀県大津市)[13.4km]
山科本願寺(京都府京都市)[13.8km]
禅定寺城の口コミ情報
2023年08月27日 課長大和守Ver.B
山口城[禅定寺城 周辺城郭]
山口城は別名郷ノ口城、宇治田原城とも呼ばれ天正年間初頭に山口甚助秀康により築かれたと見られ、その後関ヶ原合戦にて山口氏が滅んだことにより城も廃されたようです。
神君伊賀越えのルート上且つ家康が休息を得た地でもありますが遺構はほとんど残っておらず、僅かに堀であったという水路や段丘状の茶畑とその周辺の地形に面影を見るのみです。
なんでも第二次大戦直後までは石垣も残っていたようですがその後水害により消滅したとか…
またすぐ脇にある極楽寺の門が裏門を移築したという伝承があるようですが見る限り古さを全く感じられません(^^;
ただ近くの私有地には家康が歩いたという古道が(宇治田原町内には戦国期の地形が八割残っているとか!)現在でも残されているらしいので是非公開してもらいたいところです☆
城跡は郷ノ口郵便局西側手前の路地を北へ入ったところで交差点には城跡への看板があります。
この先湯屋谷や遍照院等伊賀越えの要所要所には説明板や幟も立っていますので伊賀越え巡りの一環として訪問されてみては如何でしょうか。
2022年06月27日 毘沙門天摂津守
禅定寺城
車で行かれてリア攻めされる場合、猿丸神社駐車場に車を停め、向かいの筋を登って行けば、茶畑あたりでとれます。しかし、城の名残りなどありません。
2022年05月07日 修理大夫ヒロロ
禅定寺城
山の中すぎて車でリアするのはちょっと無謀でした
2016年10月16日 vino-s
禅定寺城
勝之助丹後守さんぬご報告のように禅定寺とはかなら離れたら位置で攻略地図のプロット地点の丘陵頂部で(比高差20mほど)平削地のみのようだ 京都中世城郭報告によると禅定寺の西の尾根頂部には庄地城舘跡 南西部には城山城跡があります。 勝之助丹後守さんのおっしゃる岩本城はいぃです
2016年09月12日 勝之助若狭守
禅定寺城
府道783号から南京都変電所へ向かう道中の茶畑に囲まれた小高い山が城郭のようです。すぐ麓に駐車できるスペースもあります。
遺構は全く残っていませんでしたが、山頂部から北側にかけてやや平になっているあたりが主郭であろうと思われます。
西側と南側は現代になって大規模に山域が削られているようで残念な状態になっていました。
山頂の南西からの眺望は良いので、当時大和から近江へ通じる街道「田原道」の監視には適地であったと思われます。
すぐ北側にある「禅定寺峠」と共になるべく遺構保存して欲しい城跡だと思いました。
周辺には城山城、岩本城、山口城など興味深い城跡があるので是非訪れて欲しいと思います。
なお当城より西に1km程の府道沿いにある寺院「禅定寺」は名称が同じですが特に当城とは直接的な関係はないようです。
2016年04月28日 雅昌 周防守☆✴︎☆
禅定寺城
流石にお寺さんなので檀家さんなど関係者のみ境内に入れて、一般の方は門の所に賽銭箱が用意されています。また、門には大きな草鞋が迎えてくれています。
入口横には宝仏殿が有り石材店の方が門番にいました。ちなみに、宝仏殿に入る方のみパンフをもらえるそうです!
駐車場から門まで石段を登りますが、今日は雨降りなので…滑るので要注意でした(ーー;)