草路城(くさじじょう)

草路城の基本情報

通称・別名

草内城

所在地

京都府京田辺市草内宮ノ後

旧国名

山城国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

遊佐氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(水堀)

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

水主城(京都府城陽市)[3.8km]
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禅定寺城(京都府綴喜郡)[11.4km]

草路城の解説文



草路城(くさじじょう)は、京都府京田辺市草内宮ノ後にあった中世の日本の城。

概要 

草路城は、草内地区の咋岡神社境内一帯の築かれていた。 現在も残る地名である「草内」は草内という漢字に改められているが、読み方は当時同様「くさじ」と読む。

この地域は、かつて国を二分し京を火の海にした大乱「応仁の乱」(1467年) 後に続いた守護大名の畠山氏の跡目争いを端に発生した「山城国一揆」で戦場となった。 境内脇の削平地には明瞭な土塁が残り、咋岡神社の周囲には水堀が巡らされている。

沿革 

草路城の築城年代は定かでない。山城国の国人草内氏によって築城されたと考えられている。

「大乗院寺社雑事記」によると、文明14年(1482年)畠山義就方の山城打入りの計画を察した畠山政長は、これに対処するため草路城に遊佐長直兵庫助を大将とする軍勢を派遣した。しかし、義就勢が草路城を攻め落とし、数十人を切腹させた。

との記述があり、応仁・文明の乱後も南山城地域では東西両軍の対立は続き、文明14年に東軍の畠山政長が東軍諸勢を草路城へ集結させて西軍の畠山義就に備えたが、西軍に攻められ落城していることが分かる。

文明17年(1485年)の山城国一揆では、東軍の拠点となっていた。 しかし、同年12月11日に決起された国一揆により12月17日に両畠山氏は交渉の末、山城から撤退。

国一揆の結成で畠山氏の争いは収まり、義就の河内・大和領有は確定、政長は河内と山城を失う結果に終わった。

遺構 

神社の参道入口脇に神社の案内板があり、草路城趾と書かれた石碑がある。

城の縄張りは、西側が凸状となっているが、基本的には方形単郭の居館形式であったと考えられる。

城の遺構は、神社境内の西面と南東角に土塁が残っている。神社社殿の北側には、幅約3~4m程の水堀が良好な状態で残る。

アクセス 

鉄道

  • 近鉄京都線:興戸駅下車 徒歩約12分

バス

  • JR片町線京田辺駅・近鉄京都線新田辺駅~バス:草内郵便局前

自動車

  • 京奈和自動車道:田辺西IC~国道307号
    • 駐車場:なし。

参考文献 

  • 京田辺市教育委員会
  • 『日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井』新人物往来社、1980年。
  • 福島克彦『戦争の日本史11 畿内・近国の戦国合戦』P23 - P34、吉川弘文館、2009年。
  • 中井均 監修;城郭談話会 編『図解 近畿の城Ⅰ』戎光祥出版、2014年。ISBN 978-4-86403-124-0。
  • 仁木宏;福島克彦 編『近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編』吉川弘文館、2015年。ISBN 978-4-64208-265-5

草路城の口コミ情報

2022年05月18日 いのちゃん刑部卿吉法師
草路城



現在は神社の敷地になっており、遺構はほとんどありません。案内板には草路城跡と記載があります。閑静な農村地帯に位置しています。

2021年07月25日 福山治部丞武市
草路城



くいおか神社の敷地全体が城跡のようです。周囲には堀跡と見られる水路のようなものがあり、土塁は片面に分かりやすく残ってました。

2021年06月03日 課長大和守Ver.B
伽和羅古戦場跡[草路城  寺社・史跡]



草路城より北西の住宅街のど真ん中に伽和羅古戦場跡という碑が建っています。

とは言えいまいち何の戦いにまつわるモノかが良くわかりません…(^^;
隣には説明板もあるのですが「伽和羅」という名称の由来説明に終始しており合戦の地であったかどうかもハッキリとはしません。
ただそのエピソードから崇神天皇の頃あった武埴安彦の反乱による輪韓河の戦いの舞台、あるいは応神天皇の頃大山守命が絡んだ宇治川の戦いの地だったのかなぁ?と推測することは出来ますが(笑)

いずれにしろ戦国期より遥か昔の古戦場なのでこういう形で伝承が残るだけでも大したモノなのかもしれませんね(^^)

2021年01月27日 菊姫
田辺城[草路城  周辺城郭]

進入は東の山手幹線道からが楽です。幹線の更に東の公園奥のピーク部にも土塁付の郭、竪堀あります。

2021年01月27日 菊姫
興戸城[草路城  周辺城郭]



同志社大学、京田辺キャンパスの北側にありますが、現在造成が進んでおり消滅するかもしれません。構成は、北側から二郭、薄い土塁に囲まれた主郭、後方郭、堀切、畝堀、大学駐車場。西側に大池と畝堀です。

2020年12月15日 菊姫
木原城館[草路城  周辺城郭]



虎口は、東側ですが進入できません。西からになります。ガードレールが写った写真は北側からです。

2020年12月15日 菊姫
南山城[草路城  周辺城郭]



マークの南の道路に石碑と消えかけた案内板があります。

2017年04月30日 征夷大将軍クララ姫
草路城

【伊賀越え】草路城下にある飯岡地区の共同墓地には穴山梅雪のお墓が。堺にいた家康や梅雪一行は本能寺の変の知らせを受けると、梅雪が一行のしんがりをつとめ、一日遅れで家康と同じ道筋で帰城しようと伊賀を目指したが、ここ草内で絶命したことから悲運の武将として、飯岡の村人がこの地に手厚く葬ったと伝えられています。

2013年08月06日 課長大和守Ver.B
草路城

城域は現在昨岡神社境内になっていて、周囲を堀跡とされる水路が巡っていたり土塁が残っていたりします。
車で5分程度の飯岡という所には穴山信君の墓所もありますので併せて見学されると良いと思います。

草路城の周辺スポット情報

 田辺城(周辺城郭)

 興戸城(周辺城郭)

 南山城(周辺城郭)

 木原城館(周辺城郭)

 井手城(周辺城郭)

 伽和羅古戦場跡(寺社・史跡)

 穴山梅雪の墓(寺社・史跡)

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