草路城(くさじじょう)
草路城の基本情報
通称・別名
- 草内城
所在地
- 京都府京田辺市草内宮ノ後
旧国名
- 山城国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 遊佐氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(水堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
水主城(京都府城陽市)[3.8km]
稲八妻城(京都府相楽郡)[6.0km]
津田城(大阪府枚方市)[6.7km]
高山城(奈良県生駒市)[8.6km]
白栖城(京都府相楽郡)[8.7km]
鹿背山城(京都府木津川市)[8.9km]
槇島城(京都府宇治市)[9.7km]
木津城(京都府木津川市)[9.7km]
交野城(大阪府交野市)[10.0km]
禅定寺城(京都府綴喜郡)[11.4km]
草路城の口コミ情報
2022年05月18日 いのちゃん吉法師
草路城
現在は神社の敷地になっており、遺構はほとんどありません。案内板には草路城跡と記載があります。閑静な農村地帯に位置しています。
2021年07月25日 福山治部丞武市
草路城
くいおか神社の敷地全体が城跡のようです。周囲には堀跡と見られる水路のようなものがあり、土塁は片面に分かりやすく残ってました。
2021年06月03日 課長大和守Ver.B
伽和羅古戦場跡[草路城 寺社・史跡]
草路城より北西の住宅街のど真ん中に伽和羅古戦場跡という碑が建っています。
とは言えいまいち何の戦いにまつわるモノかが良くわかりません…(^^;
隣には説明板もあるのですが「伽和羅」という名称の由来説明に終始しており合戦の地であったかどうかもハッキリとはしません。
ただそのエピソードから崇神天皇の頃あった武埴安彦の反乱による輪韓河の戦いの舞台、あるいは応神天皇の頃大山守命が絡んだ宇治川の戦いの地だったのかなぁ?と推測することは出来ますが(笑)
いずれにしろ戦国期より遥か昔の古戦場なのでこういう形で伝承が残るだけでも大したモノなのかもしれませんね(^^)
2021年01月27日 菊姫
田辺城[草路城 周辺城郭]
進入は東の山手幹線道からが楽です。幹線の更に東の公園奥のピーク部にも土塁付の郭、竪堀あります。
2021年01月27日 菊姫
興戸城[草路城 周辺城郭]
同志社大学、京田辺キャンパスの北側にありますが、現在造成が進んでおり消滅するかもしれません。構成は、北側から二郭、薄い土塁に囲まれた主郭、後方郭、堀切、畝堀、大学駐車場。西側に大池と畝堀です。
2020年12月15日 菊姫
木原城館[草路城 周辺城郭]
虎口は、東側ですが進入できません。西からになります。ガードレールが写った写真は北側からです。
2020年12月15日 菊姫
南山城[草路城 周辺城郭]
マークの南の道路に石碑と消えかけた案内板があります。
2017年04月30日 【落水】征夷大将軍クララ姫
草路城
【伊賀越え】草路城下にある飯岡地区の共同墓地には穴山梅雪のお墓が。堺にいた家康や梅雪一行は本能寺の変の知らせを受けると、梅雪が一行のしんがりをつとめ、一日遅れで家康と同じ道筋で帰城しようと伊賀を目指したが、ここ草内で絶命したことから悲運の武将として、飯岡の村人がこの地に手厚く葬ったと伝えられています。
2013年08月06日 課長大和守Ver.B
草路城
城域は現在昨岡神社境内になっていて、周囲を堀跡とされる水路が巡っていたり土塁が残っていたりします。
車で5分程度の飯岡という所には穴山信君の墓所もありますので併せて見学されると良いと思います。