鹿背山城(かせやまじょう)

鹿背山城の基本情報

通称・別名

所在地

京都府木津川市鹿背山鹿曲田、藪ノ浦、古寺

旧国名

山城国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

木津英清

築城年

文治4年(1188)

主な改修者

松永久秀

主な城主

木津氏、松永氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀、井戸

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

木津城(京都府木津川市)[2.0km]
多聞山城(奈良県奈良市)[5.8km]
稲八妻城(京都府相楽郡)[6.2km]
上狭川城(奈良県奈良市)[6.4km]
白栖城(京都府相楽郡)[6.6km]
超昇寺城(奈良県奈良市)[7.3km]
鬼薗山城(奈良県奈良市)[7.5km]
西方院山城(奈良県奈良市)[7.5km]
草路城(京都府京田辺市)[8.9km]
笠置城(京都府相楽郡)[9.1km]

鹿背山城の解説文



鹿背山城(かせやまじょう)は、京都府木津川市鹿背山字鹿曲田(旧・山城国相楽郡[1])にあった中世の日本の城。

概要 

標高136メートルの通称「城山」の山頂に位置する。遺構は東西350メートル、南北300メートルにわたり、南山城地域で最大級の規模の城郭だった。

文明11年(1479年)10月、「木津執行」が「加世山に引退了」との記述が『大乗院寺社雑事記』にあることや、木津氏の子孫の系譜に「出丸城、鹿背山北ニ置二カ所」と記されていることなどから、鹿背山には木津氏の置いた出城のようなものがあったと推測される。

永禄11年(1568年)9月には、多聞院英俊の使いが三好宗渭の軍勢に攻められ「カセ山」に逃げ込んでおり(『多聞院日記』)、鹿背山城は三好宗渭ら三好三人衆と敵対する松永久秀方の城だったと考えられる。永禄2年(1559年)に大和に侵攻して以降、松永久秀は大和を支配しており、鹿背山城はその北側の守りを担う城だったとみられ、今に残る遺構は久秀による修築の結果と考えられる。

天正2年(1574年)4月には「カツ山ノ城」が落ちたとの記事が『多聞院日記』にある。この「カツ山」が「カセ山」を指し、この時鹿背山城が落城した可能性がある。

アクセス 

鉄道

JR西日本
  • 木津駅(関西本線・片町線・奈良線):徒歩20分

参考文献 

  • 【書籍】「木津町史 本文篇」

鹿背山城の口コミ情報

2024年11月17日 土支田大膳大夫
海住山寺遺跡[鹿背山城  周辺城郭]



海住山寺遺跡は海住山寺旧境内を含む地点の遺跡である。海住山寺は天平7年(735)に平城京の鬼門にあたるこの地に、聖武天皇の勅願によって初代東大寺別当の良弁が開山したと伝わる。承元2年(1208)に貞慶(解脱上人)によって中興された。

この寺には複数の平坦面と堀切が確認されている。詳細不明だが、主要伽藍のある尾根の付け根に2ヵ所の堀切がある。この堀切については境内の仕切りの可能性もあるが、『京都府中近世城館跡調査報告書』にこの遺跡が載っていることと、堀切が防衛施設の可能性もあるので一応「周辺城郭」の枠で登録する。

2024年11月17日 土支田大膳大夫
瓶原城(津越)[鹿背山城  周辺城郭]



実を言うと、「瓶原城」という城は木津川の北岸に4ヵ所ある。
この地点の瓶原城は「津越」という地点の瓶原城である。瓶原城は15世紀後半にいた瓶原七人衆と呼ばれる国衆たちの城である。
城付近には字「東垣内」「西垣内」「的場」という地名があり、遺構らしいものはない。しかし、周辺には切通道や微高地などの城跡らしい雰囲気の地形がある。また、城跡は東に尾根状に伸びる台地の付け根に位置するが、台地の先端には長福寺跡がある。

2024年11月17日 土支田大膳大夫
瓶原城(朱雀)[鹿背山城  周辺城郭]



実を言うと、「瓶原城」という城は木津川の北岸に4ヵ所ある。
この地点の瓶原城は「朱雀」という地点の瓶原城である。瓶原城は15世紀後半にいた瓶原七人衆と呼ばれる国衆たちの城である。この地点の城は松浦朱雀と朱雀氏の居館と伝わり、南北朝時代に松浦朱雀はこの地に土着したという。
城は恭仁宮の南側、恭仁京の朱雀大路の上に位置している。現在は朱雀(すじゃか)の井戸という六角形の珍しい井戸が残るのみで、遺構は全くない。

2024年11月17日 土支田大膳大夫
瓶原城[鹿背山城  周辺城郭]



実を言うと、「瓶原城」という城は木津川の北岸に4ヵ所ある。
この地点の瓶原城は「小田」という地点の瓶原城である。瓶原城は15世紀後半にいた瓶原七人衆と呼ばれる国衆たちの城である。
城は西、南、東に土塁が、北には堀が残る。城域の北部が主郭、南の茶畑が副郭だろう。また、城跡のある台地の南東からは発掘調査で16世紀の堀が出土している。

2024年11月17日 土支田大膳大夫
瓶原城(炭竈)[鹿背山城  周辺城郭]



実を言うと、「瓶原城」という城は木津川の北岸に4ヵ所ある。
この地点の瓶原城は「炭竈」という地点の瓶原城である。瓶原城は15世紀後半にいた瓶原七人衆と呼ばれる国衆たちの城である。恐らくはこの地点はその中の「炭竈氏」の居館だろう。
城は北には大井手用水という鎌倉時代に開通された水路が流れ、西には堀が残る。また、南には土塁と崖線がある。

2024年02月06日 上田図書頭雪娘
鹿背山城

城内が整備されており、畝状空掘群や土塁がはっきり見えます。整備の皆様に感謝します。木津駅からバスで鹿背山バス停まで行きました。

2023年02月27日 tracer_azu
鹿背山城



再訪ですが、前回は真夏の訪問で薮深く真冬にもう一度リベンジしたくて再訪。 結果やはり冬の方が遺構はベストな状態で見れました。畝竪の宝庫で北〜をまもり、更に空堀や堀切でものすごい防御となっています。山城の教科書のようなお城だと思います。ただし、真冬の雪ちらつく中での見学でしたが複数マダニの奇襲を受けました、、鹿や猪といった獣が多そうなので仕方ないとは思いますが、行かれる方はマダニにお気をつけください。

2022年10月27日 ヤンヤン
鹿背山城

お寺にあるマップを使って周りましたメインルートは歩きやすかったですがサブルートはヤブであまり深入りしませんでした麓から近いのでアクセスは便利ですがしっかりとした靴が望ましいです

2022年04月13日 RED副将軍
鹿背山城



松永弾正が魔改修した北の拠点の城。

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。
1479年に、興福寺の学侶が入城している記録があります。当初は興福寺の支配下にあり、興福寺衆徒の木津執行が管理していたと考えられています。1559年に松永久秀が信貴山城を拠点として大和に侵攻。この頃に興福寺は松永久秀に屈しており、鹿背山城も松永久秀の支配となり北の拠点として機能しました。

城域東部の長大な横堀、竪堀群は松永久秀による改修と見られています。松永氏が織田信長により滅亡した後、1580年に信長は大和を領する筒井順慶に対して大和一国破城令を発令し、鹿背山城も廃城になった様です。

見所
主郭南西部の横堀。曲輪に見える程の大規模なもの。その先の主郭南東の畝状竪堀群が続き、深さ、長さ、整備度合いは素晴らしい。主郭北西部にも長大な竪土塁、竪堀。三ノ郭の尾根筋上も大堀切で分断し複数郭を形成。周囲を畝状竪堀で堅めています。

かなり広い城域であるが、至る所にギミックが施され散策には半日近くを要します。

2021年08月26日 HS兵部大輔
鹿背山城



麓の西念寺さん脇に登城口がありますが 駐車場はないので最寄り駅から歩くか 近場の木津城城跡公園の無料駐車場を使わせてもらいましょう。
登城口付近から池や湿地帯が多くヤブ蚊が恐ろしいほどいるので夏場の攻城は要注意!!また城内にコースや遺構の看板はあるものの縄張り図なしだと迷う可能性があるので 西念寺さんの入口に縄張り図が置いてあるので必ず持っていきましょう。
石垣のない山城ではありますが戦闘を意識した作りになっていて畝状空堀、土塁、土橋、切岸、曲輪などあらゆる遺構がキレイに残されていて山城好きはワクワクしっぱなしのお城です。

2021年02月09日 菊姫
鳶城[鹿背山城  周辺城郭]



登り口は北から
山城森林公園の手前に左に入る道がありますが車で突っ込むと悲惨な事に成ります。徒歩にて。
山頂が目標ですが分岐が解りにくいです。

2021年02月09日 菊姫
東山城(高之林城)[鹿背山城  周辺城郭]



遥か西の山城ぬくもりの里の北側に登り口あります。
延々竹林を東に進むと主郭です。

2021年02月09日 菊姫
瓶原城[鹿背山城  周辺城郭]



マークの西竹林が遺構です。
南の川、西の茶畑が崖
主郭の北と西に土塁、南の茶畑が二郭だと思われます。

2020年11月22日 nari伊賀守
鹿背山城

木津駅から伝・木津城訪問後、鹿背山城跡へ。
西念寺横の側道から主郭まで行けました。地元の方のご厚意で手入れがされているようで、空堀や郭跡も良く残してくれてます。感謝です。

2020年11月07日 にゃんこi雅楽頭
鹿背山城

木の津バス「鹿背山」から徒歩で10分ほど、元木津小学校鹿背山分校前の三叉路から左、左と行った西念寺の山門脇が登城口。ポストが設置してあり、中に入山者ノートと案内板をモノクロコピーした地図が入っています。大手道を登り始めて程なく豪快な竪堀が出迎えてくれます。ルート、というより遺構は綺麗に整備されていてとても観やすい。こんなステキ山城がとてもよい状態でここにあることを、木津川市民がほとんど知らないのが口惜しい。サブルートも含めて全部見てまわるには2時間ほどは必要でしょうか。鹿背山の秋の日暮れは早いので、日の高い時刻に再チャレンジです。あ、足元はトレッキングシューズ程度の装備は要るかと思います。

2020年10月27日 百済門徒衆修理大夫とら
登城口[鹿背山城  その他]

ここに案内板と記帳ノートと鹿背山城跡配置図があります。

2018年11月28日 カーネル
鹿背山城

木津城東脇の道を北上する

T字にぶつかったら、左折して少し進むと北に抜けるあぜ道があるので、これを通り、舗装路に出たら右折して正面の線路の下をくぐる

くぐった先の細い道を200mほど進み、その先のT字で右折し、今度はその先のY字で左へ向かい西念寺を目指す

山門を横目にまっすぐ登ると山道になります。ここに見取り図があるので撮影して、散策の参考に。これがなければ、全部は回れなかったと思う

サブコースから登ると、畝状空堀が凄い。さらに登ると曲輪を経て主郭に到達です

ここの櫓台は低いです。城は有名になって欲しいけど、皆が登るから削れて低くなったと西念寺の住職さんが嘆いておられた

反対側のサブコースへ下ると竪土塁や土塁や土橋が見所でしょうか。戻って水の手を経て曲輪Ⅱ方向へ。竪堀が多い

曲輪Ⅲから全曲輪を制覇しようとすると少しやぶ漕ぎが必要に。とにかく凄い城だった

木津城を含めて、木津駅に戻るまで160分でした


2017年10月15日 木下近江守湖一郎
鹿背山城

鹿背山のある木津の地は、木津川とそれに平行する伊賀街道、そして、奈良と京都を結ぶ大和街道が走る交通の要衝であり、松永久秀がその支配地域の北の拠点であったとこのです。久秀の支配の北限は相良郡だったのでしょうか。
遺構の保存状態は非常に良く、土塁、畝状竪堀群、竪堀、堀切、竪土塁、堀切と様々な防御施設を見ることができます。特に、主郭の西側の竪堀から竪土塁、畝状竪堀群が次々と現れる様には興奮を禁じ得ませんでした。ほんとすごい。
また、バス停から20分、登城口から10分程度で遺構に出会える良い立地、地元の方が整備されているため、散策しやすい環境などもオススメな点です。山ですので、軽登山靴は必要です。また、駐車場はありませんので、ご注意ください。
訪城後は、アイハウス鹿背山というカフェでタイカレーを食べながら遺構に想いを馳せたり、デザート代わりに木津川の残念石(府道工事で、消滅間近のようですが)を見に行くのもオススメです。

2017年03月08日 ソバッソ80.0
鹿背山城

西念寺さん近くの河川敷、加茂という地域
京都市と奈良と三重の境目に位置しており、木津川が大阪方面へ流れる交通、水運の要衝です。

徳川家光期の、大坂城補修の為に切り出された石材が、何らかの理由で運ばれなかった残念石として、河川敷や山間部に廃棄されているようです。
指揮していたのは藤堂高虎プロ、どうやら伊賀上野藩主時代に、この地域も領地として抑えていたそうな。


との情報をゲットし早速探しに出かけました。京都市から車で1時間半、これを見る為だけには少しコスパが合いません。
鹿背山城跡か恭仁京跡散策もセットし、近辺へお出掛けの際はお立ち寄りしてみては。。。

僕は石材の規格が揃っていて気持ちいいのと、矢穴跡や刻印がくっきりと残っている石材があり、確かに400年前にここに人がいたんだなぁ、と物思いにふけりながら残念石に腰掛けてコーヒーを飲んで、ぼーっとしてました。
楽しみ方は人それぞれ。

2014年02月07日 VINO-S
鹿背山城

木津の文化財と緑を守る会の方々のご努力で整備され土の城の遺構を楽しめます。駐車場が無いので同会のHPで確認しての登城をお奨めいたします。

2011年04月03日 ひろり
鹿背山城

登城口のところにあるお寺(西念寺さん)の山門の脇に、入山届ノートが設置されているのでまずは記入。
整備されていて遺構は見やすいですが、竹エリアは特に足元注意です。

鹿背山城の周辺スポット情報

 土橋(遺構・復元物)

 瓶原城(周辺城郭)

 鳶城(周辺城郭)

 東山城(高之林城)(周辺城郭)

 恭仁京(周辺城郭)

 瓶原城(炭竈)(周辺城郭)

 瓶原城(朱雀)(周辺城郭)

 瓶原城(津越)(周辺城郭)

 海住山寺遺跡(周辺城郭)

 山城国分寺跡(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 恭仁宮(関連施設)

 登城口(その他)

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