上狭川城(かみさがわじょう)

上狭川城の基本情報

通称・別名

所在地

奈良県奈良市狭川東町

旧国名

大和国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

狭川福岡氏

築城年

室町時代後期

主な改修者

主な城主

狭川福岡氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、竪堀、虎口

指定文化財

再建造物

周辺の城

笠置城(京都府相楽郡)[3.7km]
柳生陣屋(奈良県奈良市)[3.8km]
鹿背山城(京都府木津川市)[6.4km]
水間城(奈良県奈良市)[7.2km]
木津城(京都府木津川市)[7.5km]
白栖城(京都府相楽郡)[7.8km]
多聞山城(奈良県奈良市)[8.5km]
西方院山城(奈良県奈良市)[9.2km]
鬼薗山城(奈良県奈良市)[9.3km]
椿尾城(奈良県奈良市)[10.7km]

上狭川城の解説文

※この城郭は2024年4月6日に名称と位置が変更となりました。

上狭川城の口コミ情報

2024年05月31日 RED副将軍
藤尾城[上狭川城  周辺城郭]



小規模ながらも深い空堀が見事な連郭式城郭🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代等の城史、築城主は不詳。
狭川氏の居城であった上狭川城から東へ1.3km、下狭川城から南東へ1.2kmの地点にあり、狭川氏の支城とも云われますが、北西側の土塁が高いなど狭川氏に備えた縄張りであることから、対立をしていた筒井順慶が狭川氏を制するために築いた、または改修をした陣城であるとも考えられています。

見所
尾根上に郭が連なる連郭式です。北から南へ三つの郭が連なり、郭の間は深い空堀で区切られます。
北端の一の郭は土塁囲みで西側に横堀が巡ります。中間の二の郭は北側の土塁が3m程度もあり北側に向けた防御線が明確に貼られています。
城域南側は奈良柳生カントリークラブのコースとなっており四の郭、五の郭と更に連なっていた様ですが現状は13番ホールのグリーンとなっています。

行き方は、奥町公民館を目標に設定。広い路肩があり駐車スペースもあります。北東に進めば直ぐに下狭川城との分岐点があり、ここを起点に効率的に藤尾城、下狭川城、下狭川城馬場跡に行くことが出来るのでオススメです。

2023年03月18日 RED副将軍
下狭川城[上狭川城  周辺城郭]



深い空堀が巡る狭川氏の居城跡🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。有力土豪である狭川氏の居城。狭川氏は、春日若宮祭礼の長川方願主を務めていた名族でした。戦国時代には状況に応じて筒井氏、古市氏、松永氏に従いながら勢力を保持していました。周辺の上狭川城、藤尾城と連動した城砦群を築いています。

見所
鋭い切岸に空堀が巡るシンプルな縄張りですが、深い空堀が良好に残ります。全体的に倒竹やヤブが酷いですが東側はヤブが少なく見やすいです。城域南東には馬場跡と狭川氏墓地があります。

行き方は、奥町公民館を目標に設定。広い路肩があり駐車スペースもあります。北東に進めば直ぐに藤尾城との分岐点があり、ここを起点に効率的に下狭川城、下狭川城馬場跡、藤尾城に行くことが出来るのでオススメです。

2022年12月11日 RED副将軍
上狭川城



小規模な単郭ながらも虎口周辺は複雑な動線を備えるテクニカルな城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。
室町時代後期に在地土豪である狭川福岡氏によって築かれたと云われます。狭川氏は春日若宮祭礼の長川方願主を務めており、福岡氏はその一族ですが惣領家と同等の勢力を持っていた様です。

見所
比高約60mの丘陵に築かれており、ピークに土塁囲みの主郭を置く単郭の城郭。北側と南側に虎口が開口していますが、特筆すべきは南側虎口の技巧的な動線です。北側は同じ一族の下狭川城方面であり単純な虎口であるのに対し、南側は厳重です。まず土橋が伴う堀切を二重に防御線を張り、次にL字状の土塁で仕切られた堀底道を歩かせられます。その先に外桝形虎口が待ち受ける複雑な折れを伴う動線です。コンパクトながら動線萌えのする城跡であり是非寄せ手の足軽気分で登城してみて下さい。

行き方は、狭川東町公民館を目標に設定。登城口があり数分で城域南側に辿り着きます。

2022年02月15日 課長大和守Ver.B
下狭川・藤尾城 登城口[上狭川城  その他]



下狭川城馬場跡および藤尾城への林道入り口となります。奥に「7」と記された水門が見えるのが目印です。この入り口手前に駐車スペースもあります。

2022年02月15日 課長大和守Ver.B
藤尾城[上狭川城  周辺城郭]



藤尾城は下狭川城の南東にある城で1991年にゴルフ場造成に伴う調査で発見されたモノのようです。
城主は狭川氏か筒井氏と推定されていますが防御が北向きという点から筒井氏の陣城というのが有力なようです。

城は一列に5郭の楕円形郭を配した連郭式で、南側2つの郭はゴルフ場造成時に遺構保存の為埋められたとのことで現在は13番ホールのグリーンとなっており、そうと知らぬプレイヤーが郭でパターを振っているようです…(^^;
残る北側の3郭はゴルフ場外ということでそのままの遺構が残されており、各郭間にV字の堀切と横堀、郭上には土塁がありましたが郭内部はもれなく藪が繁茂しているため夏場は苦戦するかもしれません。
またゴルフ場のグリーン脇には説明板と古道周辺に散乱していたという石仏や磨崖仏が並べられていますが、城と共に見学されたい場合は獣除け柵で城と隔てられているので注意が必要です。

アクセスは下狭川城馬場跡前を通るコンクリ舗装の林道を東に20分程歩くと小さなダム状の溜池があり南側の丘陵上が城跡となりますが、分かりにくい場合ゴルフ場の柵に沿って進むと容易かと思います。

2022年01月22日 課長大和守Ver.B
下狭川城 馬場跡[上狭川城  遺構・復元物]



下狭川城の馬場跡と伝わる地です。
奥の丘陵裾部分に狭川家累代の墓所があります。
また馬場跡入り口の左側山道が下狭川城への登城路となります。

2022年01月22日 課長大和守Ver.B
下狭川城[上狭川城  周辺城郭]



下狭川城は土豪狭川氏が本城としていた地で、1920年頃まで狭川惣領家の屋敷があったそうで片隅には「狭川家塁跡」と記された石碑が建ちます。

城跡は中墓寺墓地の南側で南を除く三方に空堀と中央部の削平地で構成されており、空堀沿いには土塁が見られます。
空堀は深さと広さもあり高い高低差に本城感を感じますが、屋敷があったであろう削平地はジャングルの如き藪となり探索は空堀伝いとならざるを得ません(^^;
また南東側の丘陵裾には馬場跡と狭川氏累代の墓所があり馬場跡の奥は土塁囲みの虎口のような形状となっています。

城跡へは先述の中墓寺墓地に2〜3台程度の駐車場がありそこを利用するのが簡単ですが、県道からの道中が狭く普通車での訪問は難儀するかと思います。
その場合南側の馬場跡経由でも訪問出来ますので奥町公民館又はその先幅広い路肩に駐車しての登城をオススメします。(麓からですので疲労感は増しますが…)

位置的には上狭川・下狭川城共に近いので近くまで来られる際には是非訪問してみて下さい☆

2022年01月16日 課長大和守Ver.B
登城口[上狭川城  駐車場]



狭川東公民館です。公民館横の祠脇から登る形です。

2022年01月16日 課長大和守Ver.B
上狭川城



上狭川城は土豪狭川氏の一族である福岡氏により築かれた城で狭川氏の本城である下狭川城の南側丘陵上にあります。

縄張りは長方形状の主郭を持つ形態ですが、南側虎口付近を厳重に守る形で喰い違い虎口に袋小路状の小郭と高土塁を絡ませた桝形虎口状遺構が残っており、その光景に思わず歓声を上げてしまいました(^^)この他にも土塁、切岸、堀切、竪堀の遺構が良好に残っており終始テンション上がりっぱなしでした(笑)

アクセスは県道沿いからの直登ルートもあるようですが、狭川東公民館から道標伝いに登城路が整備されていますので此方の方が楽かと思います。(駐車場も2〜3台分有り)

2017年11月25日 課長大和守Ver.B
北村城[上狭川城  周辺城郭]

国道369号より県道33号に入り北村バス停より県道47号へと進んだ先の小さなカフェがある集落の脇の小山が城跡です。ほぼ城めぐのピンの位置どおりですのでそれを目印に向かうのが良いでしょう。県道から分岐するコンクリ舗装の坂道をどんどん進めば城内ですが、主郭は農園となっていました。遺構は南側の深い空堀と土塁、北側の箱堀状の空堀、虎口の土橋などありました。縄張り的には単純な形ですが明瞭な遺構は楽しいと思います☆

上狭川城の周辺スポット情報

 下狭川城 馬場跡(遺構・復元物)

 下狭川城(周辺城郭)

 藤尾城(周辺城郭)

 北村城(周辺城郭)

 登城口(駐車場)

 北村城 登城口(その他)

 下狭川・藤尾城 登城口(その他)

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