椿尾城(つばおじょう)

椿尾城の基本情報

通称・別名

椿尾上城

所在地

奈良県奈良市北椿尾町城山

旧国名

大和国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

筒井順昭

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

筒井順慶

主な城主

筒井氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、畝状竪堀、井戸

指定文化財

再建造物

周辺の城

福住城(奈良県天理市)[3.8km]
古市城(奈良県奈良市)[4.5km]
岩掛城(奈良県天理市)[4.6km]
豊田城(奈良県天理市)[4.6km]
窪之庄城(奈良県奈良市)[4.7km]
西方院山城(奈良県奈良市)[6.5km]
水間城(奈良県奈良市)[6.7km]
鬼薗山城(奈良県奈良市)[6.7km]
辰市城(奈良県奈良市)[7.3km]
若槻環濠(奈良県大和郡山市)[8.0km]

椿尾城の口コミ情報

2024年06月17日 いのみん︎ちゃん
椿尾城



小さな登場口のお知らせも嬉しい山です。薮はそこまで茂ってません。竪堀、横堀、石垣見所満載です!

2024年02月11日 tracer_azu
茗荷城[椿尾城  周辺城郭]



田原会館を目指して南背後がお城です。城には堀切、見事な土塁囲繞しかもくびれがあり横矢が南側方面から向かってくる敵にかけて守備されているように見えました。

また縄張り図にはなかったので、不確かではありますが東側に塹壕のようなものがあり、東に伸びる曲輪のようなものも想像できました。 ただの単郭の城ではなくもう少し兵が入れたような城思えましたが、どうだったのでしょうか^ ^
いずれにしろほとんど登らずお手軽にこのクラスの城が見れるのは高コスパだと思います。

2023年12月16日 RED副将軍
椿尾城



石積みが付された空堀が見事な筒井順慶の詰め城🏯

オススメ度 ★★★★★

天文年間(1532年〜1555年)に筒井順昭により築かれたと云われます。
筒井順昭は筒井順慶の父であり、筒井城の詰城として筒井山ノ城を築いたとされますが、これが椿尾上城であったと比定されており、筒井順慶の代に改修されたと云われます。
1559年、松永久秀が大和に侵攻し筒井氏を圧迫。1565年に筒井順慶は三好三人衆と結び松永久秀と対峙しましたが、大和国衆の離反が続いた事により筒井城は落城。
翌1566年に筒井順慶は筒井城を奪還するも、1568年には松永久秀は織田信長に属し、織田信長の支援により松永久秀に筒井城は再度落としました。椿尾上城は筒井順慶によりこの頃に松永久秀に備えて改修された様です。
1571年、筒井順慶は松永久秀に対する拠点として新たに辰市城を築城。辰市城に攻め寄せた松永久秀勢を撃退すると、松永久秀は筒井城を放棄して信貴山城へ撤退。椿尾上城も再度、筒井氏の属城となります。
その後、筒井順慶は明智光秀の仲介で織田信長に出仕し近づくと、1577年にこれを嫌った松永久秀が織田信長に謀反。筒井順慶は松永久秀が籠る信貴山城攻めの先鋒をつとめ松永氏は滅亡。その後に大和守護となりました。
1580年、筒井順慶は大和郡山城の築城を開始し、筒井城からの移転を計画しましたが、織田信長は大和の争乱の終焉を示すために破城令が発令。大和郡山城以外は破城となり、椿尾上城も廃城になった様です。

見所
標高528mの城山ピークに築かれています。
主郭を城域北端の山頂に置き、主郭から西へ伸びた尾根上に主郭、二郭、三郭、西郭、西段郭群と連なる連郭式です。
主郭は櫓台状に一段高く、南側に空堀が巡り土橋で二郭へと繋がります。
三郭と西郭は大堀切で東西に隔てられ、約8mの岩盤掘削した堀切が南北に縦断しています。
最大の見所は西郭周辺であり、東端頂部に櫓台があり、そこから外側に石積みが付いた土塁が伸び、西下には鈎状に屈折した横堀があります。
南西部には畝状竪堀群もあり、非常に見所の多い山城です。

行き方は、城域南東麓の県道187号沿いに登城口があり、県道の突き当たりに駐車スペースがあります。比高は100mくらいで駐車スペースから20分ほどで辿り着きます。

2023年02月07日 RED副将軍
椿尾下城[椿尾城  周辺城郭]



良好な城郭遺構が残存する奈良屈指の激ヤブ城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。在地土豪の椿尾氏により築城されたと云われます。
椿尾氏は、興福寺塔頭で門跡寺院でもあった大乗院の衆徒で波多庄と高田庄の下司職でした。
当初は古市氏に属していましたが、後に筒井氏に従いました。
筒井氏が椿尾上城を築城すると椿尾下城も改修されたと思われます。

見所
激ヤブで登城口も分かりにくいですが城郭遺構は良好です。
とても在地土豪が築いた規模ではなく、やはり筒井氏の改修が濃厚と思いました。
登城口は城域北端で道路沿いの擁壁を登り、ヤブの切れ目に突っ込むと直ぐに北端の堀切に出ます。
そこからヤブを掻き分け南下すると、土橋を伴った大規模な堀切(写真①)に到達。堀切は竪堀(写真②)となり落ちています。大規模で見所のひとつです。
その上が主郭部ですがやはり激ヤブ。尾根は西へと曲がりヤブが無くなると横堀(写真③④)が巡る曲輪に到達し、ここも見所です。
その先に堀を挟んでかなり広い曲輪が続きキレイな帯郭が北側に配されています。
そして折れの伴う長大な土塁(写真⑤)と空堀を越えると濃密な笹ヤブが続き、掻き分けているとそれほど深さは無いが鋭い薬研堀(写真⑥)に着きます。
その先も背丈以上のヤブで方向感覚は無くなります。しばらく進むとU字型の堀切&竪堀(写真⑦⑧)に到達します。城域南端で最も大規模で深い堀切です。ヤブを進んだ甲斐がありました。
南側の竪堀を降り、最後は転がる様に道路に出て来ました。

真冬でも背丈以上の笹ヤブです。ヤブで方向感覚は無くなるため地図アプリ、相応の装備は必須。
この城は来る人を選ぶマニア向けです。ということで★5とはなりません。
リア攻めマップに登城口も地点登録しておきました。物好きな人はぜひ。

2023年02月05日 RED副将軍
椿尾下城 登城口[椿尾城  その他]



ここ①を上がって信じられんと思いますがヤブの切れ目②に突っ込みます。直ぐに城域北端の堀切③に出ます。駐車スペースもこの前に一台分あります。

2022年02月27日 RED副将軍
茗荷城[椿尾城  周辺城郭]



超マイナー城
丘陵上にある単郭方形の砦です✨

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代等、詳細不詳。
在地土豪の城といわれますが、戦国時代は山田氏が支配していた地域であり、山田氏の支配下が有力です。

見所
単郭方形の主郭は土塁が巡り、北側に虎口が開口。切岸の鋭さもなかなかのもの。
主郭東側の尾根は堀切で分断され、南側背後には横堀が確認できます。

小規模で比高がほとんど無いためお気軽に登城できます。

2022年02月16日 HS刑部大輔
椿尾城



駐車場所はすぐわかるのですが 城域に入るまでに何度も分岐があり迷う。せめて方向看板がほしい。城内も後世の改変がところどころありそうだけども 横堀や石積みなど整備するとかなり発掘されそう。今後の整備に期待です。

2019年06月13日 龍馬備中守【】
椿尾城



三郭と下郭を遮断する堀切☆三郭と副郭と繋がり高低差を出す☆城主・筒井氏は越智党、 松永氏との戦に敗れるたび東山内に奔って再起図る☆

2019年06月11日 龍馬備中守【】
椿尾城



(左)四郭と空堀☆空堀は横矢が掛かりS字型を貫く☆下には段郭があり下から来る敵を迎え撃つ!!

2019年06月10日 龍馬備中守【】
椿尾城



四郭下の土塁上より☆(左)四郭☆空堀挟み土塁☆グルリと空堀が回る☆僅かながら石積みも残る☆明らかな戦闘スペースを持ち主郭を守る☆大雨の中楽しかった♪

2019年06月09日 龍馬備中守【】
椿尾城



主郭西側・斜面に築かれた石積み☆城主・筒井氏の山城☆石積みに空堀に土塁に郭♪遺構が沢山残ってます♪

2014年12月10日 課長大和守Ver.B
椿尾城

現地には碑や説明板等無く未整備な状態ですが、藪や雑木は少なく見学し易いです。
本丸・櫓台・井戸跡にはそれぞれお社が祀られています。

2011年12月30日 ステイゴールド弾正少弼久秀
椿尾城

大和三大山城の一つ。椿尾上城と下城の2城で形成されています。遺跡は良く残っています。駐車場はありませんが、城跡下まで車で入れます。行き止まりの広い道なので駐車可能です。

椿尾城の周辺スポット情報

 横堀(遺構・復元物)

 茗荷城(周辺城郭)

 椿尾下城(周辺城郭)

 登城口(駐車場)

 登山口(その他)

 椿尾下城 登城口(その他)

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