西方院山城(さいほういんざんじょう)
西方院山城の基本情報
通称・別名
- 瑜伽山城
所在地
- 奈良県奈良市春日野町瑜伽山他
旧国名
- 大和国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 古市氏
築城年
- 文安元年(1444)
主な改修者
- -
主な城主
- 古市氏
廃城年
- 文安元年(1444)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
鬼薗山城(奈良県奈良市)[0.2km]
多聞山城(奈良県奈良市)[1.8km]
古市城(奈良県奈良市)[2.7km]
辰市城(奈良県奈良市)[3.3km]
窪之庄城(奈良県奈良市)[4.4km]
超昇寺城(奈良県奈良市)[4.6km]
稗田環濠(奈良県大和郡山市)[5.7km]
木津城(京都府木津川市)[5.9km]
若槻環濠(奈良県大和郡山市)[5.9km]
大和郡山城(奈良県大和郡山市)[6.0km]
西方院山城の口コミ情報
2022年12月15日 首藤但馬守通宗
西方院山城
圧巻の二重堀切。土塁群。山じゅうに人の手が入っている印象。ここに来れて幸せに思いました。瑜伽神社拝殿右側のくぐり戸が施錠されていたので諦めかけていたそのとき、神社関係者とおぼしき方に声をかけていただき、事情を話すと解錠して下さいました。何と言う僥倖。
2022年06月19日 土支田大膳大夫
氷室城[西方院山城 周辺城郭]
戦国時代に筒井方によって築城された。そして、永禄11年(1568)に落城したそうである。それ以外は完全に詳細不明である。
城は吉城川南岸の小高い場所にあった。その地点は現在、氷室神社になっている。遺構らしいものは残らない。しかし、神社の建つ場所は一段高くなっているため、これが城の痕跡かもしれない。
※氷室神社正面にある四脚門は元々内裏の日華門であり、応永9年(1402)に移築された。また、寛永18年(1641)に神社に内裏の日華門の門扉と金5枚が下賜されている。
2021年11月02日 にゃんこi雅楽頭
西方院山城
奈良の観光地のど真ん中とは思えないくらいよい状態の遺構を見ることができます。特に主郭東側の二重横堀は圧巻。みんなもLet's堀底体験♪♪
昨年(2020年)の諸先輩方の口コミに、瑜伽(ゆうが)神社境内からの登口について記述がありましたが、現在はカギが掛かっており、西側の奈良ホテル駐車場脇を直登になります。降りは特に気をつけてね。
2021年08月03日 課長大和守Ver.B
宝蔵院胤栄 墓所[西方院山城 寺社・史跡]
廻国異能者であり槍の遣い手である宝蔵院胤栄の墓所が奈良市営墓地内の一角にあります。
墓所は宝蔵院歴代の墓所として代々の墓碑と共に胤栄の墓石(右手前の古い墓石がそうらしいです)が説明板と共に置かれています。
現在でも宝蔵院流槍術の継承者による定期的な墓参や清掃等行われているそうです。
2020年12月30日 源山城守@ポンコ2…
西方院山城
今は奈良ホテルが建つ鬼薗山城と瑜伽(ゆうが)神社の裏山の西方院山城は、天理街道で分断されてますが、もともと地続きの台地だったと「奈良観光.jp」にあります。
西方院山城の歴史も、中世の頃、西隣の鬼薗山城とセットで動いており、豪族の古市胤仙が1444年1月、鬼薗山城の築城と同時並行で西方院山城の築城を開始するも、鬼薗山城が先に完成したので、西方院山城はそのまま放置されました。
その後、鬼薗山城は廃されましたが、応仁の乱の大和国の争いで、古市方と筒井方の攻防により、古市方が1479年8月に西方院山城築城を再着工し、9月29日に完成しました。しかしながら、翌10月2日、筒井方の攻撃を受けて城兵が自ら火を放って落城したそうです。存城期間は3日間でした。
城内へは、瑜伽神社拝殿の東側に鍵がかかっていない小さな扉(フォト参照ください)があり、たまたま居合わせた神社関係者の方に断ってから扉を潜りました。小さな階段をちょっと上がると、平坦な主郭に到着します。主郭は、それほどの兵力を置けない広さですが、南北の視界は良好でした。
主郭の東側には二重の空堀があり土橋は堀の南です。登城前に周囲をまわりましたが、城の東側にある天神や天理教の教会と高低差があまりない地続きになっており、二重の堀も東側からの攻撃に備えたもののようでした。
二重の空堀は、北へ向かうほど深くなり、その堀底を進んで主郭北側にまわると帯曲輪状の平坦な地と切岸があります。北側の荒池は当時からあったのか不明ですが、南北に天険のものを備えているようでした。
主郭の南西部に低い土塁が残り、西側には空堀と土橋でつながった西郭があります。広さや立地から、西隣の鬼薗山城と地続きだった頃の馬出のような役割だったのかもしれません。下城時は、ここから奈良ホテル従業員駐車場のほうへ下りましたが、ここは滑りやすい傾斜と落ち葉がありますのでご注意ください。
以上、二重の空堀や地形が見どころのお城でした。
2020年02月19日 百済門徒衆修理大夫とら
西方院山城
先の口コミで駐車場からの直登とあったのですが、なるべくそれは避けたいと思い、瑜伽神社から入口を探していたら、拝殿右手の柵が開いてました。これぞ天の僥倖ぞ!と思い、そこから中に入ることが出来ました。写真奥です。すぐに主郭に着きました。
東は素晴らしい二重堀に、南は南都を見渡せる眺望。西は奈良ホテル鬼薗山城跡。北は荒池浮見堂、その向こうに大仏殿、多聞城跡。最高の場所です。
2016年10月16日 橘若狭守次郎吉
西方院山城
西方院山城は奈良公園内の瑜伽山という小高い丘の上にある城跡。マイナーな城跡ではあるが、遺構がしっかりと残っているので見応えがあります。
奈良交通バス「奈良ホテル」バス停(下山・天理方面行きの方)の目の前にある奈良ホテル駐車場の斜面を直登し、右方向に行くと直ぐに堀切と土橋が出てきます。
土橋を渡ると其所はもう主郭です。斜面は滑りやすいので気をつけてください。また、登り口には案内板などはありません。
堀切より手前の駐車場側が二ノ丸、堀切より奥の土橋を渡った所の広い曲輪が主郭です。
主郭の西側(奈良ホテル側)には低い土塁、東側には見事な二重横堀と土塁が残っていました。特に二重横堀は西方院山城の目玉で、城郭ファンならテンションが上がっちゃうはず(笑)
2015年07月09日 邦順大和守大八郎宗久
西方院山城
城の南に鎮座する瑜伽神社。
飛鳥から遷座(尾根続きの鬼薗山の可能性も)して元興寺の鎮守社、後に興福寺にも信仰されたそうな。
江戸時代に現在の地に社殿を建てた様です…が、この場所、郭(土塁?)だった所を削ったのだとか。
神社東側のモッコリした場所(アップした写真の奥)は名残なのかも知れませんが、フェンスがあるので進入は止しましょう。
2011年12月30日 ステイゴールド弾正少弼久秀
西方院山城
土橋が立派です。城の存在期間が数日間のみだったらしいです。保存状態は良く、奈良公園中にある城はあまり知られていないので、もっと知ってもらって遺跡の保存につながればいいですが。
2010年07月21日 治部少輔しん@蓋と城
西方院山城
見事な二十空堀ですが、入り口付近の所有者である奈良ホテルは、侵入に良い顔はしないので注意が必要です。