超昇寺城(ちょうしょうじじょう)

超昇寺城の基本情報

通称・別名

所在地

奈良県奈良市佐紀町字古所

旧国名

大和国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

超昇寺氏

築城年

室町時代

主な改修者

筒井氏

主な城主

超昇寺氏、筒井氏

廃城年

天正8年(1580)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

多聞山城(奈良県奈良市)[3.8km]
鬼薗山城(奈良県奈良市)[4.4km]
西方院山城(奈良県奈良市)[4.6km]
辰市城(奈良県奈良市)[4.8km]
大和郡山城(奈良県大和郡山市)[5.1km]
木津城(京都府木津川市)[5.2km]
大和田城(奈良県奈良市)[5.2km]
稗田環濠(奈良県大和郡山市)[6.4km]
古市城(奈良県奈良市)[6.6km]
稲八妻城(京都府相楽郡)[6.9km]

超昇寺城の口コミ情報

2021年08月07日 能登守さとみっくす
平城京跡朱雀門[超昇寺城  寺社・史跡]



平城京跡はある朱雀門。朱雀大路の先にあるとして大きな門です。細かいところまで良くできているため、近くに行くと門の凄さがよくわかります。

2021年08月02日 【城郭道】尾張守たっきー
平城京跡大極殿[超昇寺城  寺社・史跡]



大極殿とは、古代の宮城における中核施設で、元日朝賀、天皇即位、外国使節謁見などの国家儀式の際に天皇が出御する場所である。

第一次大極殿は、二重の屋根形式で、寄棟造の上に切妻造を被せたような屋根である入母屋造で復元。『年中行事絵巻』の平安宮大極殿の屋根形式などから推定された。

2010年、平城遷都1300年を期して、復元。今後、大極殿を取り囲む築地回廊、南門(現在復元工事中)、東西楼が復元される。

2021年06月07日 【城郭道】尾張守たっきー
南門[超昇寺城  寺社・史跡]



南門は、第一次大極殿院の正門であり、儀式の際には、天皇が出御することもありました。入母屋造の二重門に復原され、間口約22.1m、奥行約8.8m、高さ約20.0mと、朱雀門よりやや小さな礎石立ちの建物です。2022年3月の完成を目指しています。完成が楽しみですね。

2021年05月30日 【城郭道】尾張守たっきー
平城京第二次大極殿跡[超昇寺城  寺社・史跡]



奈良時代後半(745年から)の大極殿。近代まで基壇の高まりが残っており、それを生かす形で基壇復元が行われている。第一次より道路を挟んだ反対側にある。

2021年05月30日 【城郭道】尾張守たっきー
平城京跡朱雀門[超昇寺城  寺社・史跡]



平城京の玄関口にあたる宮南面の中門。天皇が出御して儀式が行われることもあった。建物の高さは約20.1メートル。基壇を含むと高さ22.0メートル。1998年復元。

2021年05月10日 藤岡木工助但馬
超昇寺城

竹藪が強烈で郭には入れませんでした。写真も撮れず残念です。一度この山を整備してほしいですね。

2021年04月05日 天道民部卿早雲
平城京跡朱雀門[超昇寺城  寺社・史跡]



復元された朱雀門 平城京跡敷地内に近鉄が通っていますが、迂回工事されることが決まったみたいです。(2021年現在) といっても何十年先ですが。
眺めは最高にいいですよ。


2021年04月05日 天道民部卿早雲
平城京跡大極殿[超昇寺城  寺社・史跡]



平城京跡、すごく広いです。復元された大極殿・朱雀門もとても立派です。
大極殿は館内無料です。


2021年04月03日 熊代左衛門佐
疋田城[超昇寺城  周辺城郭]

疋田城は、疋田1丁目にある常福寺境内から背後の若葉台住宅の南端辺りに築かれていた。 
残っている情報によると、
・この辺りをかつては「上ノ城跡」と呼ばれていた
・文明14年に焼き払われた記録が残っている
・筒井氏の舎弟がこの城を守っていたと残っている。
・(筒井方についた大和高山城の鷹山奥頼の弟が養子に入った琵琶小路氏が疋田城を守っていた。舎弟とは琵琶小路氏のことであろう。)

主な城主…琵琶小路秀高 など

2020年12月31日 イオ紀伊守
隆光大僧正の墓石(超昇寺跡)[超昇寺城  寺社・史跡]



超昇寺城の南東、佐紀神社(亀畑)の辺りにかつてあった超昇寺は超昇寺氏の出自と考えられるところ、戦国期の戦乱のなか衰亡していた超昇寺を再建したのが、超昇寺村出身の僧・隆光でした。徳川綱吉と桂昌院をそそのかして生類憐みの令を出させたとされる、あの護持院・隆光大僧正ですね。

綱吉の死後、江戸を追われた隆光は故郷の超昇寺に隠棲し亡くなりますが、佐紀神社南側の保育園の裏手には隆光の墓石がひっそりと祀られています。

忠臣蔵など元禄期を舞台とするドラマでは将軍をたぶらかす悪僧として描かれることの多い隆光ですが、近年の研究では、最初に生類憐みの令が発布された時点では隆光はまだ江戸で綱吉に取り立てられておらず、発案者の汚名は濡れ衣であって、奈良においては東大寺大仏殿など社寺の再興に尽力した功績が賞されているようです。

2020年10月25日 大納言大納言0123489
超昇寺城

近鉄大和西大寺駅から北東へ徒歩10分程、西側の佐紀神社及びその北側に城郭があったと推定される。土塁が残っている。

2020年10月24日 大納言大納言0123489
佐紀神社(西畑)[超昇寺城  寺社・史跡]



江戸時代に東側の亀畑の佐紀神社より分祀されたと伝えられている。ということは、戦国時代はここは城郭の一部だったのだろうか?

2019年05月01日 熊代左衛門佐
大和宝来城[超昇寺城  周辺城郭]

宝来城
城主 宝来氏

宝来氏は大和の主要武将として度々名前が上がってくる。

大和防衛の要塞の地として幾度となく合戦が繰り広げられた。確認される限り、二回落城している。近くの秋篠氏とよく共闘することが多かった。

現在は古墳跡として知られているが、発掘調査では、古墳時代のものではなく、中世のもののみしか発掘されていないので、城跡と考える人が多い。
元々古墳跡を宝来氏が城として利用したのか、最初から城跡だったのかは謎。

大坂の陣でも宝来城が使われたという記録が残っている。

主な城主… 宝来九郎
宝来春竹
宝来祐尊 など

2019年04月23日 橘若狭守次郎吉
佐紀城[超昇寺城  周辺城郭]

超昇寺城の出城。櫓台と空堀が残る。

2019年01月16日 橘若狭守次郎吉
超昇寺城

【超昇寺城付近の城跡②】
・斎音寺城跡(奈良市尼辻中町6)
『大和志』に記載があるが詳細不明。天神社の境内が城跡とされ、土塁が残る。


・菅原城跡(奈良市菅原町518)
菅原氏の居城。菅原天満宮付近が推定地だが、遺構は消滅している。

・疋田城跡(奈良市疋田町1)
詳細不明だが文明14年に焼き払われたと云われている。若葉台団地の南端から常福寺辺りが推定地だが、遺構は消滅している。

・宝来城跡(奈良市宝来町4-24)
宝来氏の居城。大坂の陣の時には徳川方の陣城になったという。安康天皇陵を利用した城郭のため内部には立ち入れないが、古墳の周囲を歩いてみると空堀や曲輪、土塁を観察することができる。

2019年01月16日 橘若狭守次郎吉
超昇寺城

【超昇寺城付近の城跡①】
・佐紀城跡(奈良市佐紀町1716)
超昇寺氏の居城。現在は佐紀神社となっており、境内に曲輪や櫓台、境内東側に空堀がある。

・秋篠城跡(奈良市秋篠町)
秋篠氏の居城。秋篠寺の東側一帯の住宅地が推定地だが、遺構は消滅している。

・北新環濠跡(奈良市北新町)
詳細不明。奈良市役所付近に環濠集落があったと思われるが、遺構は消滅している。

・南新環濠跡(奈良市南新町)
詳細不明。現在は住宅地や田畑になっており、遺構は消滅している。

・柏木環濠跡(奈良市柏木町)
詳細不明。天満宮の南側の住宅地が環濠集落跡で、集落を囲う用水路は環濠の名残と思われる。



2017年12月11日 ℵ新居泰之進ℵ
超昇寺城

《PART1》
【難易度】
易しい
ただし、整備は全くされておらず竹藪だらけ。
身軽な恰好だと足元が覚束ないかも。
入口も無いので、竹藪の中に入っていくしかない。
私の場合は、北西の交差点側に外郭堀底へ緩やかな傾斜となっている箇所を発見し、そこから堀底へ下りて城を探索し、しばらくして外郭の西側の土橋を通って住宅地に出た。

【駐車場】
無し
城跡の東側に畑(コマ池跡)があり、畑横の道路に若干広くなったスペースがあり、そこに停めた。

【見所】
北側の外郭には北・西・南にその南側の主郭には東・北・西に深い見事な横堀があり、見応えがある。
ただし、堀底には 竹が多く生えていたり、竹が倒れていたりで散策するのは困難。
★見所①:主郭の東・西・北横堀、外郭の西・南・北横堀

外郭には、東北隅に土塁、西側に土橋、南側に櫓跡と思しき盛り上がりがある。
★見所②:外郭の東北隅土塁・西の土橋・南の櫓台

2017年12月11日 ℵ新居泰之進ℵ
超昇寺城

《PART2》
さらに南の削平された郭跡の西側には民家が見えるが、その民家に沿って大きく盛り上がって
続く土塁が確認できる。
民家とは土塁を挟んでいるだけなので、あまり近くから観察することは、気が引けるかも。
★見所③:南郭の西側土塁

【雑談】
城跡のすぐ南には、佐紀神社があり、ここも城跡であった。
境内には空堀が残っている。
また、 平城宮跡も近くにあり、セットで見るのもいいかも。

2017年11月20日 橘若狭守次郎吉
超昇寺城

①遺構・・・曲輪、切岸、土塁、横堀
②見処・・・主郭の切岸(高さ2㍍)、主郭周囲の横堀(深さ2㍍以上)
③現状・・・佐紀神社(西畑)境内、竹林

○城跡への入口は特にないので、入れそうな所から適当に竹林に入る。あえて言うなら北側か西側から進入が良いかも。
○城内は全くの未整備で、倒れた竹や藪で荒れている。
○深さ2㍍以上の横堀があり、なかなか見処があり良い城跡だが、整備したらもっと良い城跡になると思う。

2017年04月03日 邦順大和守大八郎宗久
超昇寺城

平城京から北西に延びる丘にある城跡です。

竹林に覆われ、看板等の進入禁止の措置は見かけませんが、踏査OKか不安があります。城郭大系では南北に郭があり北側は地図で示された場所、南側は南の神社との間(竹林)です。

進入するなら神社傍の竹林か、北側の郭の空堀か、その付近の休耕中の田畑(昔は溜池)から進入し藪と切岸の緩い所を選ぶ、ですね。

私は北側から少しだけ進入し、空堀の他、郭と土塁の存在を確認しました。城の東西から注視すると南北間の空堀も何となく見えます。

北側がより高いので主郭でしょう。大系ではそこから西も城郭と考察していたと思いますが、同程度の標高の土地があり、北西に境内の広めな八幡神社(廃城前には存在していた)があるので屋敷や郭はあったと思われます。あと北側の溜池堤防に窪みがあり、もしかしたら堤防からの進軍に対する往時の防備の名残かも。

往時は東は超昇寺や佐紀神社(出城?)と溜池、南側は崖と神社(江戸期の分祀)にある空堀と郭か土塁らしき地形、西は村落と少し離れて秋篠川、北は御陵と防備の良い城。城跡以外は踏査に支障がないので、散歩がてら如何で?

2011年03月05日 北畠あきちか
超昇寺城

城の南東側に広い池があります。池の南東端すぐ傍、佐紀幼稚園の門前にある小さな森(神社境内)は佐紀城です。

位置登録しても取れる城ではありませんが、小規模ながら幅5〜8m、深さ5mもある立派な薬研堀(やげんぼり)があり、見応えあります。超昇寺城から徒歩5分程度ですので是非とも両方見て下さい。

2011年03月05日 北畠あきちか
超昇寺城

神社北側の藪内に曲輪の土塁が見えますが、立ち入りには注意してください。

土地の所有者が周囲を立入禁止にしていて、立ち入れば通報するという主旨の立て札があります・・・・。

超昇寺城の周辺スポット情報

 柏木環濠集落(遺構・復元物)

 佐紀城(周辺城郭)

 宝来城(周辺城郭)

 秋篠城(周辺城郭)

 菅原城(周辺城郭)

 疋田城(周辺城郭)

 斎音寺城(周辺城郭)

 大和宝来城(周辺城郭)

 佐紀神社(西畑)(寺社・史跡)

 隆光大僧正の墓石(超昇寺跡)(寺社・史跡)

 平城京跡大極殿(寺社・史跡)

 平城京跡朱雀門(寺社・史跡)

 南門(寺社・史跡)

 平城京朱雀大路跡(寺社・史跡)

 平城京第二次大極殿跡(寺社・史跡)

 平城京跡兵部省(寺社・史跡)

 平城京式部省(寺社・史跡)

 遣唐使船(その他)

 棚田嘉十郎像(その他)

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