宝来城(ほうらいじょう)
宝来城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 奈良県奈良市宝来4(安康天皇陵)
旧国名
- 大和国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 宝来氏?
築城年
- 室町時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 宝来氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
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超昇寺城(奈良県奈良市)[2.5km]
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宝来城の解説文
宝来城の口コミ情報
2024年10月06日 RED副将軍
宝来城
天皇陵を利用したとされる城跡
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細不詳。室町時代に宝来氏により築かれたと考えられています。
宝来氏は、1414年に将軍足利義持の命により上洛した官符衆徒の一員とされる有力国人で、筒井氏に属していましたが、箸尾氏の侵攻により度々落城したことが記録に残っています。
大坂の陣において徳川方の陣城として使われたとも伝わります。
見所
現在は安康天皇陵菅原伏見西陵として宮内庁の管理となり立ち入りはできません。
しかし遊歩道から外周することはでき、西側の堀は間近で見ることができます。
方形の主郭の東には馬出状の土塁のついた郭がある様です。
2019年05月01日 熊代左衛門佐
宝来城
城主 宝来氏
宝来氏は大和の主要武将として度々名前が上がってくる。
大和防衛の要塞の地として幾度となく合戦が繰り広げられた。確認される限り、二回落城している。近くの秋篠氏とよく共闘することが多かった。
現在は古墳跡として知られているが、発掘調査では、古墳時代のものではなく、中世のもののみしか発掘されていないので、城跡と考える人が多い。元々古墳跡を宝来氏が城として利用したのか、最初から城跡だったのかは謎。
大坂の陣でも宝来城が使われたという記録が残っている。
宝来城の周辺スポット情報
安康天皇陵(寺社・史跡)