木津城(きづじょう)
木津城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 京都府木津川市木津片山
旧国名
- 山城国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 木津氏
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 木津氏、三好氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
鹿背山城(京都府木津川市)[2.0km]
多聞山城(奈良県奈良市)[4.1km]
超昇寺城(奈良県奈良市)[5.3km]
稲八妻城(京都府相楽郡)[5.6km]
鬼薗山城(奈良県奈良市)[5.8km]
西方院山城(奈良県奈良市)[5.9km]
上狭川城(奈良県奈良市)[7.5km]
宝来城(奈良県奈良市)[7.8km]
辰市城(奈良県奈良市)[8.5km]
古市城(奈良県奈良市)[8.6km]
木津城の解説文
[引用元:Wikipedia「木津城」の項目]
木津城(きづじょう)は、京都府木津川市の木津川左岸の城山にあった中世の日本の城(山城)。
概要
築城年は不明だが、康正3年(1457年)に畠山義就の攻撃を受けた木津氏が木津城を自焼させたという記事がある。応仁の乱の際には大内政弘が文明2年(1470年)に山城南部に侵攻したため、大和国人筒井順永らが大和と山城を繋ぐこの城を拠点としていた。
文明9年(1477年)に再度木津氏らが自焼、戦国時代末期には三好三人衆の1人三好政康の勢力下にあったが、永禄10年(1568年)の織田信長の入京後は使われなくなった。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(28.京都府)』角川書店、1988年
- 今谷明『戦国三好一族 天下に号令した戦国大名』(洋泉社、2007年)P265
- 福島克彦『戦争の日本史11 畿内・近国の戦国合戦』(吉川弘文館、2009年)P14 - P21
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木津城の口コミ情報
2024年11月07日 図書頭RedKing
木津城
木津川の駅から見上げるお山が丸ごと木津城址公園です。よくある水道の配水施設だけでなく、墓地、大団地に巨大スーパーにゴルフ場加えて大学演習林と何でもあります。
ついでながら南山城と言うか関西本線R163木津川沿いには磨崖仏の笠置寺(かさぎでら)や夜遊び地蔵の高田寺(こうでんじ)さんに恋路橋と呼ばれ沈下橋のような面白い名所満載です。
一言で交通の要衝とは軍事的に重要な隘路である以上に、この絶景、城下には京奈和街道に伊賀街道と木津川の舟運と言う人物金の流れを一目で把握できたのでしょう。
2024年02月06日 上田図書頭雪娘
木津城
城址公園です。木津駅から徒歩で行きました。周りは住宅地です。鹿背山城とセットで見学しました。
2022年05月23日 583系備前守きたぐに
木津城
JR関西本線、奈良線、学研都市線木津駅から徒歩10分程。3つの路線が合流する駅のため、昔から乗り換えで利用していましたが、周辺の宅地開発には驚きです。城の周囲も見事に新興住宅街となり、街の名前は城山台。
山頂付近が城趾公園となっており、土塁で囲まれた方形の空間にミニサイズの空堀、土橋が良好に残っています。
木津川市教育委員会設置の看板によると、室町時代に守護大名たちが近くで戦をしたときに、農民や土豪が立て籠った城と考えられるとなっています。
市の看板で示されている城域も山の規模(宅地になったところを含めて)に比べて小さいので、住民避難のための城という説にも頷けます。
2021年08月24日 HS兵部大輔
木津城
木津城趾公園として整備されていてかなりの高台に主郭がある。南北には土橋がキレイに残っていて その両サイドの横堀も明確に残っている。公園だと侮っていたけど 意外と満足できました。
2020年08月25日 大納言Z周防守369
上狛環濠集落[木津城 周辺城郭]
京都府の南部、JR奈良線上狛駅の西側で、木津川の流れが西から北へとほぼ直角に屈折する地点の右岸一帯は上狛という地名で、渡来人狛氏の居住地であったといわれている。
ここに東西330m、南北360mの環濠集落があり、現在も濠として使われていた水路が残っており、「乾町」「坤町」「巽町」「艮町」といった方角を示す地名も集落内に残っている。
2018年11月28日 カーネル
木津城
JR片町線 木津駅から
まっすぐ東に向かい、最初の信号で右折して北西の法面に階段がるので登る。階段を登り切ると土橋がありこれを超えて主郭
主郭は土塁に囲まれています。反対側にも堀があるらしいので反対側から下る
こちらも土橋があり、周囲の堀もしっかり残っています。開発が進んでいると聞いていたので、思ったよりしっかりしていて驚いた
そのまま反対側に下って、ここまで駅から25分。ここから鹿背山城へ
2017年10月15日 ソバッソ80.0
木津城
ちなみに先人の書かれた通り、木津城だったのかどうかは疑問視されているようです。
説明看板が2箇所ありましたが、どちらも「城山」との表記にとどめてあります。
2017年10月15日 ソバッソ80.0
木津城
「木津城址公園」を目印に進みます。
宅地開発が進み新興住宅地となっており、24号線からは入れません。城山台なる新築だらけの地域を通る事になります。
僕らは、城址公園駐車場ではなく、その手前にある墓地駐車場へ停車。
すぐに取り付く階段を整備して下さってますので、それを使って登城しました。
室町期の城郭だそうで、主郭は土塁で囲み、周囲に堀切と土橋っぽい遺構が確認出来ます。
その土橋っぽいものの先に、恐らく昔は尾根筋のように曲輪が伸びていたようですが、今は宅地開発の際に削られてありません。
しかしその分眺望スポットとなり、なかなかいい雰囲気です。
駐車場から5分、鹿背山散策で疲れた身体でも行けます。そして駐車場無料。いいと思いますよ。
ちなみに雨の昼間、城址公園の駐車場に行くと、屋根のあるベンチにてカップルがまさぐりあっております。
雨の城址公園、行くヤツは僕らみたいなアホだけやと思ってたら、地元の方の憩いの場になっていたようですな。悶々。
2017年05月19日
木津城
JR木津駅から循環バスで城趾公園バス停ありますが歩いても15分ぐらいでしたので徒歩圏内でした。
まわりは造成中なのでコンパクトな曲輪に空堀、土橋、土塁が確認できます。
2014年10月12日 課長大和守Ver.B
木津城
既に城跡公園として開園しています。
主郭周辺の土塁や空堀等は健在でしたが、周囲は公園化に際し削り取られています。
城名は公園化の際に郷土史家との間で議論になったこともあってか単に「城跡」とされています。
2012年06月06日 ポリタンク大和守
木津城
周辺が開発されており、お城は公園に取り込まれます。堀は消滅するかもしれないので、見学するならお早めに。