福住城(ふくすみじょう)

福住城の基本情報

通称・別名

福住中定城、福住館

所在地

奈良県天理市福住町6882

旧国名

大和国

分類・構造

丘城

天守構造

不明

築城主

福住氏

築城年

室町時代後期

主な改修者

筒井氏?

主な城主

福住氏

廃城年

安土桃山時代

遺構

曲輪、櫓台、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

岩掛城(奈良県天理市)[2.8km]
椿尾城(奈良県奈良市)[3.8km]
豊田城(奈良県天理市)[5.3km]
龍王山城(奈良県天理市)[6.4km]
窪之庄城(奈良県奈良市)[7.7km]
水間城(奈良県奈良市)[7.7km]
古市城(奈良県奈良市)[8.1km]
柳本城(奈良県天理市)[8.4km]
西方院山城(奈良県奈良市)[10.3km]
芝村陣屋(奈良県桜井市)[10.4km]

福住城の解説文



福住中定城(ふくすみなかさだじょう)は、奈良県天理市福住町にあった日本の城(平山城、丘城)。

概要 

福住中定城は戦国時代、筒井氏に従った福住氏の城郭があった。筒井順慶と松永久秀との抗争時、順慶はこの福住に拠っている。現在の福住中定城は山林となっており、一部後世の改変部分もあるが、遺構の現存状況は良好に残っている。天理市福住町には福住城が2つあり、福住井之市城が福住城の新城、福住中定城が古城と思われている。

沿革 

福住城の名は永享6年(1434年)に筒井城と並んで出てくるのが史料の初見となる(『興福寺賢聖院経巻奥書』)。応仁の乱では、福住氏と筒井氏の軍勢が福住城に駐屯した。文明7年(1475年)には福住館、文明13年(1481年)には福住城と記されている(『大乗院寺社雑事記』)。館から城郭へ変わったのではないかと推察されている。

福住氏は同地域に古くから栄えていた豪族で、福住の郡司として氷室社の祭祀権を握り郷中に号令してきたと言われる。筒井順永の兄大東が福住氏を継いでからは、筒井一族として栄えていた。

文明13年10月13日の条に越智氏、古市氏が「山内新城これを作る」(『大乗院日記目録』)とあり、越智氏、古市氏に降伏した山内衆が新城普請のため動員され迷惑したとある。この山内新城というのが福住井之市城の事であり、2年後の文明15年(1483年)8月7日、古市氏と福住氏は福住城で戦闘状態になるが、この時の福住城とは福住井之市城であると思われている。福住氏は福住井之市城を奪い取り、本城を福住井之市城に移したようである。

永禄12年(1569年)、筒井順慶が松永久秀に筒井城を落とされ、福住城に逃走して滞在中に松永軍が元亀元年(1570年)6月9日に福住城を攻撃した。この時の福住城も福住井之市城が主戦場となっていたが、福住中定城は、「小規模ながら、一貫してまとまった縄張りの城郭であると評価出来る。戦国末期の発達した縄張りを表しており、その築城・改修には筒井氏が関与していた可能性が考えられる」とし、福住中定城は現在の縄張りの形状から時代が新しく、福住井之市城が本城となってからも福住中定城も機能していたと指摘されている[1]。廃城に関しては不明だが、福住井之市城と同時期の可能性も指摘されている。

城郭 

福住中定城は、主郭と主郭から南東部に付属する2つの曲輪が基本構造となっている。自然の地形を最大限利用して防御性を高めるならば、福住中定城付近に適当な場所は沢山存在している。それでもリスクを背負いながら、当地を選地したのは、防御性以外の理由が高かったものと推察されている。

主郭の北側には高さ3m、幅約7mの土塁をめぐらしている。この土塁の西側先端部分に北側へ約3mの張り出しがある。この張り出しは「折」と呼ばれ、北側から攻め登ってくる敵軍に対して櫓を建て横矢を意識したものと考えられている。「折」は室町時代ではなく、戦国時代以後の遺構と考えられている。この張り出しの下部は堀切となっており、この堀切の西側は、張り出し構造と合せて屈折している。東側はそのまま竪堀となっており、現在は埋没しているが、当時は主郭東側の防備を固めるために横堀があったようで、現在も断片的にその痕跡が窺える。

主郭部分の北側半分は平坦地で、方形館の様相となっており福住中定城の中枢部であった。主郭の虎口は南西方向にあり、その内部側が武者溜となり方形館より一段高くなっている。主郭の南西部にも張り出しがあるが、こちらは削平が不十分となっている。主郭虎口の前面には城門があり土塁が狭まった部分で、そこから城外に出ると道は左右にわかれる。主郭と南東部に付属する曲輪は、現在道がつけられているが、これは破壊道で当時は道が無く、堀底道を隔てて木橋などで連結されていた。南東部の付属曲輪は、主郭の虎口の前面にあり、かつ大手、搦め手を監視する位置にある。主郭を防御する前衛的な曲輪と考えられている。

このような城郭の特徴から、丘頂を削平し、方形館を中心としたが周囲が十分でない応仁の乱期の城郭と、後に周辺を空堀で囲み、曲輪緑辺の土塁をつけた戦国期の普請と、二段階から成り立っている。また福住井之市城も、応仁の乱期と戦国期の二段階の改修が認められている。

城跡へのアクセス 

  • 電車でのアクセス
    • JR西日本 桜井線 天理駅
    • 近畿日本鉄道 天理線 天理駅
      • 奈良交通 21系統 福住下車 → 徒歩約10分
    • 車でのアクセス
      • 名阪国道 福住IC 国道25号
        • 五大明王社に参拝用駐車場有り

    参考文献 

    • 村田修三「大和の城跡 福住城(14)」『月刊奈良』第二十三巻第四号、現代奈良協会、1981年4月、40-42頁。
    • 戦国合戦史研究会『戦国合戦大事典』第四巻 大阪・奈良・和歌山・三重、新人物往来社、1989年4月、191-192頁。
    • 高田徹編集『図説近畿中世城郭事典』城郭談話会事務局、2004年12月、154-155頁。

福住城の口コミ情報

2022年06月05日 課長大和守Ver.B
三谷城[福住城  周辺城郭]



三谷城は桜井市の北西三谷地区にある城で室町時代後期に土豪三谷氏によって築かれた城です。

城は山野草の里という施設の裏山にあり単郭の主郭に土塁と切岸、虎口様の空堀が見られました。

当初説明板の位置は把握していたのですが、城域までのルートが分からず施設の方に尋ねてみたところ親切にも現地まで案内して頂きました(^^)
色々話を伺いながら登城したのですが、城に興味を持って訪ねる人はほとんどいないらしく城のアピール法など尋ねておられました。
城までの通路整備やホームページでの紹介など私なりに分かる方法をお伝えしましたが、いたく感銘を受けておられた様子なので今後見易く整備されるかもしれません(^^)

城までは山野草の里内部を通過することになるので、訪問の際は施設の方に声を掛けた上で行かれるようにしてください。
また駐車場は説明板手前の交差点にあります。

2022年02月09日 RED副将軍
福住井之市城[福住城  周辺城郭]



筒井氏一族の福住氏の詰城。
ヤブ化は否めませんが、技巧的な縄張りです。

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1481年に越智氏・古市氏が築いた砦が始まりとも言われています。
筒井氏に属していた福住氏の詰城で、筒井順慶と松永久秀の抗争時は前線であった様で、1570年には松永久秀に落とされるも、すぐに奪回し筒井順慶が入城したとの記録もあります。

見所
東西の尾根筋に主に3つの曲輪で構成され、中央の主郭北の側面には石垣が残ります。
主郭と西の丸の間は畝堀でヤブ化するも、仕切土塁が確認できます。
西の丸は二重の横堀で周囲を堅めています。
城域東端の堀切もかなりの深さがあります。
技巧的な縄張りですが、全体的に冬期でもヤブ化していることは否めずオススメ度は★3としています。

少し離れますが、井之市公民館に駐車し、南麓の登山口から登城しました。
登山口はGoogleマップに登録され、看板も立っており分かりやすいです。

近隣の福住中定城が古城で、福住井之市城は新城とされており、併せての訪城をオススメします。

写真
①城域東端の堀切
②主郭北側斜面の石垣
③主郭土塁
④主郭と東の丸を隔てる堀切
⑤東の丸(三角点)
⑥主郭と西の丸を隔てる横堀&堀切
⑦主郭と西の丸を隔てる横堀は畝堀でその仕切土塁
⑧西の丸を巡る横堀


2021年11月09日 なりぶ
福住城



こちらが登城口。 隣にフェンスに囲まれた祠があります。

2017年05月10日 あきおこ
福住城

【アクセス】国道25号バイパス福住インターを降りて、一般国道25号を北東方向に進み、妙成院を超えた場所にフェンスに囲まれた祠のある空き地があります。この横の山道が登城路です。付近には福住公民館の駐車場があります。(私はバイクで訪れて空き地に駐輪しました) 。グーグルマップで大和福住中定城跡で検索すると位置登録されています。
【見どころ】登城して5分程で神社社殿のある副郭に到達します。社殿裏に土塁があります。土塁裏は横堀となり土塁を伴う主郭虎口があります。主郭は北側に大土塁がある広い削平地になっています。一番の見どころは北大土塁裏の大堀切だと思います。大堀切は西側で縦堀、東側で横堀と連結します。主郭東斜面と石垣は近世の破壊によるもののようです。小規模な城ですが見どころの多い城でした。付近には復元氷室があります。

福住城の周辺スポット情報

 三谷城説明板(碑・説明板)

 福住井之市城(周辺城郭)

 三谷城(周辺城郭)

 登城口(駐車場)

 登山口(その他)

 登城口(その他)

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