龍王山城(りゅうおうざんじょう)

龍王山城の基本情報

通称・別名

龍王城

所在地

奈良県天理市田町、柳本町/桜井市笠

旧国名

大和国

分類・構造

山城

天守構造

不明

築城主

十市氏

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

松永久秀

主な城主

十市氏、秋山氏、松永氏

廃城年

天正6年(1578)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀、竪堀

指定文化財

再建造物

周辺の城

柳本城(奈良県天理市)[2.5km]
芝村陣屋(奈良県桜井市)[4.0km]
豊田城(奈良県天理市)[4.9km]
福住城(奈良県天理市)[6.4km]
戒重城(奈良県桜井市)[6.4km]

龍王山城の解説文

龍王山城(りゅうおうざんじょう)は、奈良県天理市田町周辺にあった、大和国を代表する山城の一つ。

概要
大和平野と大和高原にある山脈、龍王山の高所に築城されていた。藤井集落からの比高は約130mだが、国中からの比高は約485mあり、比高では高取城を越えており大和国随一である。また城域は広大で、中世城郭の規模が明確でない高取城を除くと大和国最大で、北城部分だけでも信貴山城の次いで第2位となる。

龍王山城は北城と南城に分かれている。北城が本城で南城が詰めの城と考えられている。北城と南城には時期の差が考えられている。十市氏の全盛期は、十市から天理市の平野一帯まで十市郷とよばれる勢力圏を形成していた。十市の平城十市城と共に居城としていた。十市氏は、筒井氏、越智氏、古市氏、箸尾氏と並ぶ大和国五大豪族の一員であった。1997年(平成9年)には天理市教育委員会により南城の平場部分に発掘調査が行われた。

城郭
龍王山城は、龍王山に築かれており、規模は南北に1.2kmに及んでいる。南城の最高所の標高は585.9m、北城の最高所は60mほど低い位置にある。どちらも戦国期末期の改修が認められるが、全般に北城の方が新しい。1540年(天文9年)の前後の十市遠忠の居城時代と、永禄時代-天正初年の松永方の支城時代の2つのピークが想定される。松永時代には、信貴山城多聞山城鹿背山城、そして龍王山城の四城が拠点城郭となっていた。登城ルートは、萱生道の2道、中山道、そして釜口道の計4ルートがある。

・南城
南城の縄張りは稜線上に一列に並ぶ6つの連郭式に、山腹部3つ程度の張り出し曲輪が付属するオーソドックスなもので、戦国初期によく見かけられる形態をしている。これに、後世の加えられた部分が若干認められる。この地域の最高所である南城は「釜口ノ山」と記されている点から、最初に築かれた部分であると言える。主郭を至るルートには、枡形、食い違い土塁、土橋、伏兵溜などの防御施設があり、テクニカルな縄張りとなっている。

また南城には竜王社を祀る溜井があり、水には恵まれていた城である。

・礎石建物と石組庭園
主郭から一段下に下った平場で、1997年(平成9年)龍王山城では初めて発掘調査が行われ、礎石建物と石段が確認された。礎石建物は南北方向に棟があり、礎石列はほぼ完存し、14ヵ所で検出された礎石は1m間隔である。南北方向の全長は13mで、東西方向は7m、横方向の礎石は1.2m間隔である。建物の床は板張りで、間取りは小部屋で仕切るような礎石配置はなく、大広間的な空間であった。日常生活や台所のような設備も見当たらないことから、武士が詰める為の施設であったと思われる。この建物の南側に、東西方向に自然石を組み合わせた石組遺構が検出された。自然石を立てて使用する事等、人工的な遺構であると確認でき、枯山水風の庭園遺構であると推定される。戦国時代の庭園跡としては、池田城八王子城等いくつか確認出来るが、『時代を掘る』によると「龍王山城のように山城での庭園遺構の検出例はまだないようである」と山城では初めての庭園検出例であるとの見解が示されている。

また平場曲輪への虎口に石段が設置されていた。北城には石段は確認されていないことから、この礎石建物以前の可能性も推測される。発掘調査では礎石建物の下には更に古い遺構は確認できなかった。

・出土物...

龍王山城の口コミ情報

かよぱぱ右衛門佐様[2017年11月01日]
登城口に行く道路が台風による土砂崩れで、行けなくなってます。残念( ´△`)

さあさ上総介12.9静岡様[2017年05月10日]
天理ダムを超え、しばらく行くとガードレールのない狭い道になり、携帯の電波も入らなく心細くなってきますがご安心あれ、北城跡あたりからまた道が良くなってきます。北城跡と南城跡の間あたりから携帯の電波は入るようになります。土塁、堀切は見事としか言えませんが、北城跡の虎口から先は倒木あり、急斜面ありでかなり険しいですのでご中期ください。

シバヤン大和守交友莫爭様[2016年04月24日]
北城内は電波入りにくい!南城内は何とか入りました。登城攻略の際気をつけて下さい。Androidの方は特に。

シバヤン大和守交友莫爭様[2016年04月11日]
松永久秀さんの大和国拠点の一つの城と言うのを多聞山城を散策した際に訪れた若草公民館の管理研究員から聞いていたので、楽しみにして城友さんと登城開始。
天理ダムから県道に入り進んだら到着。
するとこの城は北城と南城の連立された城である事を聞き、まず北城から散策。

北城は山頂より雛段上に曲輪が見られます、しかし足元が悪く案内の内容の全貌は未確認に終わりました。
山頂より南側斜面は畝状の空堀群のような跡が見られました。
次に南城へ先の北城と違い明るくハイキングコースと重なり合ってる事もあり迷うことなく山頂へ北城より狭く副郭として機能していたのかと思います。山頂より稜線上に連続した腰曲輪があり西側は扇状に張り出した曲輪を確認。
両城合わせてかなり広範囲の巨大山城です。もう少し藪の整備があれば散策しやすいかなと思います。これからの発掘調査、整備進行を望みます_(._.)_

両城共30分位あれば散策できます。
また野鳥も多くバードウォチングがお好きな方にもオススメします(^_^)

まるき〜淡路守様[2016年01月10日]
R25号線天理ダム堤体より県道247号戦へ、約1.5キロ行き、小さな案内札を右折、約2キロの所が東屋、龍王山城の北城付近。
北城石碑、案内板をもとに遺構の所々に案内板があるので探索していてとてもわかりやすいです。北城本丸まではハイキングコースの案内があるのでスムーズに行けるがその先の遺構については藪や倒木等で行きにくくなってます。
馬池より先の南城へ続く尾根に展望台が設置されているが杉の木があって景色は望めない、遺構なのかわかりませんが尾根づたいに25メートルほどの塹壕の様なものがあります。そこから整備された道に降りて来た所に公衆トイレと田龍王社という小さな祠がある。その先が南城への登り口、
山頂への石段を登り奈良盆地を一望できる場所に辿りつく、南城の方は城に関す案内がほとんどありませんので想像力を働かせましょう
それと、この時期は麓と山頂付近の気温がかなりの差があり、とても寒いので防寒対策が必要です。

ひろり様[2016年01月08日]
2016/01/03登城 北城について

ステイゴールド久秀さまの口コミに従い、天理ダムからのルートでアプローチ。ちょうど北城・南城の分岐の辺りに出られます。
今回は手前の北城を探索。東屋のある広場に車を置かせて頂きました。
なお、参考にしているのは『日本城郭大系』掲載の縄張図です。
※ダニに御注意※

【軽装で見学出来るエリア】
辰巳櫓・北城本丸とそこへ至る迄の道と、広場からまだもう少し坂を上がったところにある馬池、そして馬池の手前を右折した先にある竪堀群ぐらいです。

【その他のエリア】
今回まわったのは上記と太鼓丸・時の丸・北城本丸の北側にある大堀切や五人衆曲輪や西の大手丸までです。

大堀切から五人衆曲輪辺りまではすっきりしていて見やすいですが、その先の西の大手丸に至る道が倒木やシダ、笹で覆われて怪しくなってきます。進んでいるうちに、倒木などであらぬ方向に導かれてしまったり、しまいに道が消えてしまったりするので要注意です。


ステイゴールド弾正少弼久秀様[2011年12月30日]
大和三大山城の一つ。城跡までは、天理ダムから城跡直下まで車で入れます。北城跡、南城跡があり、共に近くに駐車場があります。道路の行き止まりが南城跡です。城跡内には説明板が設置してあって、良く整備されています。遺跡はたいへん良く残っています。

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