八王子城(はちおうじじょう)

八王子城の基本情報

通称・別名

所在地

東京都八王子市元八王子町3、西寺方町、下恩方町

旧国名

武蔵国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

北条氏照

築城年

天正15年(1587)頃

主な改修者

主な城主

北条氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、石垣、御主殿跡

指定文化財

国史跡(八王子城跡)

再建造物

石垣、虎口、引き橋、石碑、説明板

周辺の城

小田野城(東京都八王子市)[2.0km]
浄福寺城(東京都八王子市)[2.1km]
初沢城(東京都八王子市)[3.1km]
戸吹城(東京都あきる野市)[7.3km]
横山党館(東京都八王子市)[7.6km]

八王子城の解説文

八王子城(はちおうじじょう)は、16世紀の武蔵国(現代の東京都八王子市元八王子町)に存在していた日本の城である。

概要
八王子城は北条氏の本城である小田原城の支城であり、関東の西に位置する軍事上の拠点であった。標高445m(比高約240m)の深沢山(現在の城山)に築城された中世山城である。深沢山は華厳菩薩妙行が延喜13年(913年)に山頂で修行した山で、修行中に牛頭天王と8人の王子が現れたとして延喜16年(916年)に八王子権現を祀ったことから、八王子城と名付けられた。

縄張りは北浅川と南浅川に囲まれた東西約3km、南北約2-3kmの範囲に及び、山の尾根や谷など複雑な地形を利用していくつかの地区に分けられ、山頂に置かれた本丸、松木曲輪や小宮曲輪など何段もの曲輪を配置した要害地区、城山川沿いの山腹に御主殿と呼ぶ館を構えてその東側にアシダ曲輪で防衛している居館地区、城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区、などで構成されていた。要害地区にはいくつもの砦を配し、それらを結ぶ連絡道の要所には深い堀切や竪堀、兵舎を建てるための曲輪などが造成されていた。特に、居館地区の南側尾根にある太鼓曲輪は5つの深い堀切で区切られ、南側を石垣で固めるなど、容易に尾根を越えられない構造となっていた。城全体があまりに広大であったため、落城時には未完成であったと言う説もある。

城下町には、武家屋敷のある中宿、刀剣鍛冶職人の居住区である鍛冶屋村に加え、滝山城下から移転した商業地区の八日市、横山、八幡といった3つの宿場があった。また出城には、搦手の防衛線を形成する浄福寺城(案下城)、小田野城の他、初沢城などがあった。

八王子市文化財課が管理する現在の「八王子城跡」としての範囲には太鼓曲輪尾根の南斜面などの区域が含まれておらず、16世紀当時より狭い範囲に限定されている。史跡に含まれていない区域は霊園や私有地が入り組んでいるため、住宅地の中にも多くの遺構を確認することができる。

歴史・沿革
北条氏康の三男・氏照が1571年(元亀2年)頃より築城し、1587年(天正15年)頃に本拠とした。氏照は当初、大石氏の滝山城に拠っていたが、小田原攻撃に向かう甲斐国(現在の山梨県)の武田信玄軍に攻められた際に滝山城の防衛の限界を感じて本拠を八王子城に移した。このとき、織田信長の築城した安土城を参考に石垣で固めた山城構築を行った。滝山城は広大かつ多くの角馬出や内枡形を備えた近世的な平山城であったが、山城である八王子城に移ったことで氏照は時代に逆行したとも言われている。しかし、八王子城は一般的な山城のような尾根と堀切を利用した縦深防御に加えて、侵入してくる敵に対しいたる所から側射をかける仕組みになっている。織豊系城郭と比較すると、より近世的な戦術を志向している。

八王子城合戦
小田原征伐の一環として1590年(天正18年)7月24日(旧暦6月23日)、八王子城は天下統一を進める豊臣秀吉の軍勢に加わった上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの部隊1万5千人に攻められた。当時、城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城内には城代の横地監物吉信、家臣の狩野主善一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らわずかの将兵の他、領内から動員した農民と婦女子を主とする領民を加えた約3000人が立て籠った。

豊臣側は前夜のうち霧をぬって主力が東正面の大手口(元八王子町)と北側の絡め手(下恩方町)の2方向より侵攻し、力攻めにより早朝には要害地区まで守備隊を追いやった。その後は激戦となり1000人以上の死傷者を出し、一時は攻撃の足が止まったが、絡め手側別働隊の奇襲が成功して、その日のうちに城は陥落した。氏照正室、比佐を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられている。城代の横地監物は落城前に檜原村に脱出したが、小河内村付近にて切腹している。落城時に御主殿にいた北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自刃し、次々と身を投じたと言われている。麓の村では城山川の水で米を炊けば赤く米が染まるほどであったと伝えられ、現代でも受け継がれている風習として、先祖供養にあずきの汁で米を炊いた「あかまんま」(即ち赤飯)を炊くことは、この逸話がもとになっているといわれている。

この八王子城攻防戦を含む小田原征伐において北条氏は敗北し、城主の北条氏照は兄、氏政とともに切腹した。のちに新領主となった徳川家康によって八王子城は廃城となった。
...

八王子城の口コミ情報

野呂利駿河守休三上越入り様[2018年02月11日]
[八王子城太鼓曲輪攻略記録その5]

【太鼓曲輪群突破後】
だらだらした尾根道が続きます。ここを歩いていると、上に行ってから下ってくるべきだったかと思いますが、それは大きな間違い。駒木根―富士見台を結ぶ登山道に合流する辺りが急坂です。ここを逆に下るのは結構怖いです。
それによく考えると堀切に降りる時は虎ロープなかった気が。となると登るときは?
ここから熊笹山、富士見台を経て山上部を目指したわけですが、ピークの辺りになるに連れ、急坂に悩まされます。また1月末、2月初に降った雪が悩ませます。山仕事なのか、私みたいなのか、何人かが山に入っており、踏み固められた雪が恐怖!富士見台から、大天守に向かう際の下り坂で遂にスリップしました。
ちなみに山上主要部はほぼ融けていましたが、それでも残雪していたり、凍っていたり、ぬかるんでいたりの場所が在りました。

野呂利駿河守休三上越入り様[2018年02月11日]
[八王子城太鼓曲輪攻略記録その4]

【太鼓曲輪群】
ここから便宜的に太鼓曲輪群とします。太鼓曲輪群の曲輪も遺構的にはほとんどが削平と切岸だけですが、まずは堀切がすごいです。深さは10mはあろうかという堀切が5つあります。ところによっては地山が露出していたりします。
この堀切を越えるために一苦労。お世辞にも整備されているとは言えない、曲輪脇に付けられた遊歩道?を足元を選びながら通っていきます。登る方は登る方で虎ロープのお世話になります。
曲輪群は先述の通りですが、第一堀切の西側斜面に僅かな、第三堀切の西側の曲輪に石積が見られます。また堀切の底にも崩れ落ちた石材を見ることができます。
ちなみに第二堀切の辺りが分岐点で、御主殿方面に下れるようですが、今回は未確認。見落としそうな小さな標識が出ています。

野呂利駿河守休三上越入り様[2018年02月11日]
八王子城太鼓曲輪攻略記録その3]

【太鼓曲輪へ】
上の山砦を攻略する途中に中央自動車道を渡る橋があります。これを渡ります。渡り切ると左右に行く道があります。左に行くと曲輪があるそうですが薮化しつつあるので行かず、本題の攻略に取り掛かりました。が…どうやって登るの?急坂です。僅かな灌木に身を絡ませるなどして(ちなみに登り詰める直前が犬走り状になっている)何とか無理やり登りました。ちなみに参考書の急坂の単語に囚われていたようです。橋から右に行く道に登れる道があるようです。その上は…薮です。遊歩道はあるのですが、薮です。左右の曲輪の状況なんかまったくわからない状態です。
それでも進んでいくと、やがて参考書の通り、篠竹の薮に出ます。薮と言っても歩くところが分かる分マシです。やがて谷に当たりますが、山の北側斜面、雪が残っています。降りるの結構怖いです。
幾つかのアップダウンを越えます。曲輪の跡なのでしょうが曲輪感が乏しい現況。
しばらく行くと突如として巨大な堀切に遭遇します。

野呂利駿河守休三上越入り様[2018年02月11日]
[八王子城太鼓曲輪攻略記録その2]

【谷戸砦】
都道46号と61号が合流する城山大橋交差点から見ることもできます。構造的には少なくとも3段の切岸で区切られた曲輪が残っています。妙観寺の墓地から行けそうですが、私有地のようです。

【上の山砦】
中央自動車道のすぐ南にあります。
南側から登るらしいのですが、進入路がぱっと見わかりません。たまたま遭った地元の方が二俣の右を上がったところの家のところを右に入って、突き当たったら左の竹やぶの中と教えていただきましたが、やはりぱっと見、敷地の中ではとしか思えない通路です。
竹藪も手入れがされておらず、通るのに一苦労な場所もありますが、削平面と切岸に区切られた曲輪が幾重にも広がっています。しかし竹薮で写真には難。

野呂利駿河守休三上越入り様[2018年02月11日]
[八王子城太鼓曲輪攻略記録その1]
2018年2月10日。
廿里(とどり)砦→谷戸砦→上の山砦→太鼓曲輪と攻略して本体へ。
廿里砦の位置はグーグルマップにも乗っていた。その他は「決戦!八王子城」(前川實著 揺籃社ブックレット)を参照して攻略した。

【廿里砦】
よほど物好きでないと行くべきではないかと。
八王子の杜公園墓地そばの白山神社から上がります。石段を上がったところの白山神社は拝殿で拝殿脇から本殿へ登る道があります。延々と続く階段の果に鞘堂に収まった朱塗りの本殿があります。その本殿があるところも曲輪ですが、その裏手の頂上が主郭です。主郭の左右にも曲輪がありますが、いずれも普請は簡素で土塁もなく、削平も丁寧ではありません。国土地理院の地図だと山頂から幾つかの道がありますが、2本を除きいずれも多摩森林科学園で遮られています。残った2本のうち一本は来た道。残る一本も藪化が酷く地図の通りに行ける保証がありませんのでそのまま引き返すことになります。

芋沢みやぎ雅楽頭様[2018年01月17日]
・御守殿の滝
地元では「落城の際に籠城していた女子供が身を投げた」「落城後は川が三日三晩血に染まった」「幽霊が出る」などの噂があり、心霊スポットとして肝試しを行う者も居ます。しかし、高さ数メートルで水量も少なく、ただ身投げしても死ねません。自刃してから身を投げたという説もあります。←こちらが本説みたいですね。落城の際は先ずは御守殿曲輪から見て北方山中の近藤曲輪、山下曲輪から上杉勢に奇襲で攻められたとの記述が残っており、それならば御守殿曲輪の南隣りにある滝で自刃する事は可能ですが、先に山裾側の城山川伝いに大手道を攻められたり、太鼓曲輪から攻められた場合は、御守殿曲輪から滝に行くのは少々困難にも思われます。故に、滝での自刃が事実ならば上杉奇襲説の裏付けともいえるかも。素人考えで失礼。

芋沢みやぎ雅楽頭様[2018年01月17日]
・土塁
土塁跡 が残っていますが、これは敢えて石葺きにはせずに、関東ローム層の粘土質で滑りやすい性質を利用し、敵が登り辛くなる事を狙ったと言われています。
ただし石垣より痛み易いので、当時は箇所によって担当の村が決まっており、崩れた際にはそこの住人が盛り土などの普請を行ったそう。
また、御守殿曲輪には粘土を敷き詰めて水を張っていたと思われる溜池跡も発掘されており、庭園があったと思われる。

芋沢みやぎ雅楽頭様[2018年01月17日]
・石垣
北条氏の特徴である「顎石」「顎止め石」と呼ばれる工夫が見られます。これは石垣の一番下段だけを手前に出して階段状にして積んだもの。これにより、石垣が外側に崩壊し辛くなる仕組みであり、発想としては加藤清正作の城に代表される武者返しと共通。同様の工法は、同じ北条氏支城の群馬県新田金山城にも見られます。
なお八王子城址には銃弾痕が残る石もあるそうなのでお時間があり藪漕ぎが苦にならない方は探してみるのもよいかもしれません。

芋沢みやぎ雅楽頭様[2018年01月17日]
近藤曲輪、山下曲輪、松木曲輪、小宮曲輪、アシダ曲輪、金子曲輪などの多数の曲輪を持つ屈指の規模を誇る山城…というか山ごと要塞というべきか。全ての曲輪跡地を歩くのは相当難易度高し。自然に還ってしまった曲輪も多数。御守殿曲輪~本丸跡は道が整備されていて歩き易いです。
温暖な時期には念のため蜂、蛇への注意が必要。近隣の山では熊の目撃情報もあるが、八王子城付近での目撃情報は聞いたことがありません。

野呂利駿河守休三上越入り様[2018年01月02日]
ガイダンス施設と管理棟は1/3まで休みですが、百名城スタンプを捺印した紙片が用意されています。
ガイダンス施設は入口に、管理棟は窓口の位置に紙片が詰められた封筒が貼り付けてあります。

ガイダンス施設の立体模型広場は立入禁止になっていました。危険との表示になっていましたが、そんなに危険な状態になっているようには感じられず。年末年始の職員不在による対応でしょうか?

曳橋と御主殿の滝間の遊歩道は城山川岸の崩落によって通行止めです。ただあらかた工事は完了しているようですので(崩落部分が無粋なコンクリートになってしまっていますが)、もうじき解除になるのではないでしょうか。

みつくん兵部大輔様[2017年12月25日]
高尾駅北口1番線のバスに乗って「霊園前・八王子城址」。そのまま進行方向から左の道を徒歩15分でスタンプのある管理事務所。そこから本丸跡の山頂までかなりの山道を45分ほど。ヒールやサンダルは辞めましょう。冬の晴天だったので空気も澄んでおり眺望は最高。スカイツリーもはっきり見えました。下りは30分程ですが普段の運動不足がたたりクタクタになったせいで、御主殿跡に行くのを忘れた(笑)

九十九神百鬼頭白松姫様[2017年01月03日]
ただいま管理棟が工事中です。一応仮設トイレが二つ用意してありました。
スタンプはガイダンスで押して下さい。
駐車場は年始でも開いてました。

ドラガン尾張守店長様[2016年09月10日]
高尾駅から土日限定八王子城跡行きのバスに7時15分に乗る。
180円、すぐ着く。
館は9時からなので一人ひたすら登る。
危険度はないが、傾斜がきつく、少し岩もある。
甲冑着けて登るにはかなり辛い。
やはり山城には、最低3倍の兵力が欲しいなと思いながら、山頂の本丸へ。
小田原攻めの時には1日で攻め落とされたそうだが、それは圧倒的兵力差の賜物だろう。
やはり調略に限る。
バスの関係で45分位で往復しましたが、普通は1時間はかかると思います。
眺めは最高です(^^)

まー宮内卿様[2016年05月31日]
今日女性3人と行き御主殿周りをガイド付きで廻りました。また御主殿の先の四段石垣を見てきました。
本丸から詰城の大堀切を見に行こうしたが途中の無名曲輪で引き返してきました。次回再訪する予定です。

león★大途様[2015年07月14日]
今回初めて詰めの城(大天守)まで登城してみました。

松木曲輪下にあるトイレ近くから井戸(ポンプがついており現在でも水が出るようです)の横を通り、左手に急斜面を望む水平道を行くと、馬冷やしと呼ばれる堀切があります。

尚、馬冷やしに至る道の他に本丸西側にある無名曲輪に至る水平道もあります。途中に倒木があり、人がすれ違うのがやっとの細い道でした。
詰めの城への道と間違えやすいので注意が必要です(私も間違えました)。
馬冷やしの堀切からさらに西に登ると崩れた石垣があり詰めの城に至ります。
詰めの城の西側には大きな堀切があり、これが城域の西端と思われます。
危険な場所も多いので、詰めの城まで行かれる方は登山だと思って充分な準備を。

すかんぴん杉丸釧路守様[2015年03月08日]
久しぶりに訪れたら御主殿へ渡る曳橋が外されてました。架け替える予算が通ったんですね!

尾張守ひろっちぃ様[2014年11月16日]
城跡から一番近い八王子城跡バス停発 高尾駅北口行きのバスは土日祝日のみ運行しており、平日は運行していません。

STRADA様[2014年04月05日]
おデブで足が悪いワタクシでも表記通りの40分で登頂出来ました♪

【毘】マイリバ【龍】様[2013年08月09日]
城主・北条氏照の住居施設であった御主殿付近の庭園にて池の跡が見つかりました。
それまでは枯山水の庭園と思われていましたが、粘土が敷き詰められていたことから、池に水が張られていたことが裏付けられたとのこと。
8月10日の10時30分からと14時から現地説明会が開催されます。
8月末まで調査を続けた後は埋め戻す予定とのことですので、興味のある方はこの機会に是非攻城を!

鷹樹副将軍慶隆様[2013年02月21日]
3/19(火)ガイダンス施設が臨時休館のようです、スタンプラリーな方は注意してください

傾奇揚げ仙兵衛様[2013年01月03日]
百名城スタンプが管理棟にあると書いてあったので行って見ると管理棟は鍵が掛かっていて
外にあるパンフ入れの袋の中に細かく裁断された紙にスタンプが押された物があった。
自分でスタンプ帳に押すことに意味があるのに!

三日陸奥守落人様[2012年12月27日]
北条氏照が、それまで居城だった滝山城を捨ててまで移ってきたこの城。関東では珍しい石垣を多用したつくりは、ボランティアガイドによると「着工前に安土城を見物した北条一族の影響」だそうですが…
正直、石垣のない滝山城と比較すると、縄張りは退化しているような印象をもちました。それが何故かを考えてみたりするのもまた楽しく
滝山城は車で15分程度の距離なので、可能ならぜひ併せて巡られることをお勧めします。

尻啖え孫市下総守様[2012年12月24日]
戦争を意識した縄張を充分に堪能できる。幾重にも並べた曲輪、急峻な城道など。本丸までの急峻な山道は足場が悪く、底の厚い登山靴がベスト。氏照が名城滝山城を棄ててまで来るべき攻城戦に備えたかが計り知れる。ただその結末からかどうしても新府城と被って見えてしまう。

常陸入道ねんさい和泉守様[2012年12月01日]
土日だと高尾駅北口からガイダンス施設まで路線バスで行ける。
ガイダンス施設周辺には飲料の自販機はあるも店はあまりない。
来春まで御主殿跡は整備中。山頂の城跡は携帯が圏外だった。

コロ助様[2012年11月24日]
紅葉が綺麗でしたが、息をすると鼻の奥が痛む程寒かったです
詰城までは倒木注意

ぎっちゃん様[2012年10月23日]
ガイダンス施設オープンしました。内部は北条&八王子城の資料展示と休憩スペース。休憩スペースではお弁当もOK。また屋外トイレが苦手なので助かります。ボランティアガイドさんもいますので八王子城登山前に予習、登山後に復習すればより八王子城を知る事が出来きますよ。

春風十勝守世遊様[2011年10月15日]
その御主殿跡から本丸へ続く殿道(万が一の時に殿様が本丸へ駆けつける道)があります。案内板なし、地図にも載ってない、もろ山道ですが、当時の石垣が少し残っていて間近で見ることができます
ガイドさん無しでは登山口すら分からず、しかも迷うような道ですので、ご注意を
あと、靴はしっかりした物でないと危険

春風十勝守世遊様[2011年10月15日]
御主殿の曲輪には、御主殿と客人をもてなす茶室の2つの建物があったそうです。広い枯山水の庭もあり、戦国時代でありながら優雅な時を過ごすこともあったのかも発掘調査後、保存のため埋められ、今は礎石等を見ることは出来ません。
つづく→

【毘】マイリバ【龍】様[2011年04月03日]
詰城(大天守)いーでぃ
やっぱり詰城は電波届かないので、捻挫&マムシには要注意なり

【毘】マイリバ【龍】様[2010年09月13日]
この城では著名人も不可思議な体験をしています
約20年前の新聞で八王子城登頂回を誇る故・小松御大(だと記憶していますが)が城址散策中に曲輪(場所は失念しました)で「ウォーーー」という鬨の声を聞いたという記事を読みました
また、かの稲川淳二さんは八王子城で首を斬られた経験を【闇夜が笑う城址】に記しています
城跡のある深沢山は、夏期特有の落城の惨状ゆえか、『忌み山』とされ、里人は長い間近づきませんでした
間違っても旧暦6月23日にはリアル攻めしない方が良いと思いますよ

【毘】マイリバ【龍】様[2010年09月13日]
城跡の情報は【概要】以下に殆どネタバレされていますので、ちょいとした小ネタを
北条氏照の墓の近くに八王子城址歴史資料館という個人経営の資料館があります
民家の一画を利用した博物館で、オーナーさんが丁寧に展示物や八王子城の解説をしてくれますが、ここの一番の目玉は北条氏照の甲冑です
まだ北条氏に復姓する前の大石氏時代のモノと云われていますが、意外なほど無造作に展示されている甲冑を見ていると、北条の『武』の柱・氏照の質実剛健な人となりまで伝わってくるようです

Hanbey左近衛少将様[2010年06月10日]
裏から登るべからず。

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