津久井城(つくいじょう)
津久井城の基本情報
通称・別名
- 筑井城
所在地
- 神奈川県相模原市緑区根小屋
旧国名
- 相模国
分類・構造
- 山城
天守構造
- 不明
築城主
- 筑井氏
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- 津久井三郎
主な城主
- 筑井(津久井)氏、内藤氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、石垣、堀切、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
田代城(神奈川県愛甲郡)[5.7km]
初沢城(東京都八王子市)[5.9km]
小沢城(神奈川県愛甲郡)[6.9km]
八王子城(東京都八王子市)[8.1km]
片倉城(東京都八王子市)[8.3km]
小田野城(東京都八王子市)[9.7km]
横山党館(東京都八王子市)[10.1km]
浄福寺城(東京都八王子市)[10.2km]
由木城(東京都八王子市)[10.9km]
平山季重居館(東京都日野市)[11.7km]
津久井城の解説文
[引用元:Wikipedia「津久井城」の項目]
津久井城(つくいじょう)は、神奈川県相模原市緑区にあった日本の城。後北条氏の時には武田軍への最前線の城として重要視された。筑井城とも表記される。
構造
標高375mの城山に築かれた山城で、南北の根小屋が残っており根小屋式城郭の端緒・典型とされている。ただし、最近の調査・研究の結果、山頂付近にも物見櫓や兵士駐屯のための建物が建設された痕跡も発見されており、落城前には、相応の防御能力があった山城であることが窺える。隣接する津久井湖は昭和に作られたダム湖であり、津久井城が存在した頃に津久井湖はなかった。城山の中心部分は相模原市緑区根小屋に存在するが、津久井郡に属していた城山町(現・相模原市緑区)の名は城山の東の麓にあることに由来する。
歴史・沿革
鎌倉時代に三浦党の筑井氏が築城したと伝えられている。大江(毛利)氏の津久井三郎の居館部と同八幡社付近に行政舎が整備され、詰の城として山頂部が築城されたと推測される。津久井城が本格的に使われ始めたのは、戦国時代の後北条氏の頃からとなる。この津久井の地は、甲斐と小田原を結ぶ要所であり、武田氏と後北条氏が鎬を削った場所である。後北条氏は武田氏の軍勢に備えて、津久井城主の内藤氏らを津久井衆と呼んで津久井城を守らせたが、実際の津久井は「敵半地」と呼ばれ、津久井の甲斐国側の半分である奥三保(現在の裏丹沢)等は、武田氏の勢力下(小山田氏を盟主とする郡内衆が支配)だった。
永禄12年(1569年)の三増峠の戦いの際、津久井城は武田側の小幡信貞、加藤景忠ら上野原衆によって周囲を押さえられており、出陣できなかった。
天正18年(1590年)の小田原征伐の際には、城主内藤直行は小田原城に在城しており、城は老臣等が守っていた。徳川家康の武将平岩親吉らの攻撃により、6月25日に開城した。その後、津久井は徳川直轄領となったため、城は廃城となった。
後に津久井支配の拠点として城の近くに陣屋が設置され、八木家などの代官がこの地を統括した。
遺構
現在津久井城には、家老屋敷跡や宝ヶ池、堀切などが残っている。また、発掘調査が行われた根本・城坂の「御屋敷跡」では掘立柱建物や空堀、土塁、焔硝蔵などが検出されている。現在は主要部分が神奈川県立津久井湖城山公園となっており、ハイキングコースも整備されている。
参考資料
関連文献
- 【書籍】「大日本地誌大系」|publisher=雄山閣|date=1932-8|pages=394-396}}
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津久井城の口コミ情報
2024年09月07日 いれぶん武蔵守
真覚寺[津久井城 寺社・史跡]
真覚寺
新編武蔵国風土記稿によると、応永18年(1411)に津久井城主・長山修理亮忠好が開基となって創建された。長山は長井の誤記であろうといわれている。
白鳳時代(7世紀後半)の作と伝えられる金銅薬師如来倚像(市指定有形文化財)は郷土資料館で展示。
梵鐘は万治3年(1660)、横川の鋳物師・加藤市郎衛門吉重の作。「施主千人頭・中村、志村、窪田家中の庚申人数六十人、散田村庚申待数輩百有余人」などの銘がある。
鋳物師・加藤氏は横川に住み、代々梵鐘等の鋳造をおこなった。大善寺(大谷町)の梵鐘は江戸初期の賀藤甚右衛長重作、相即寺(泉町)の銅造地蔵菩薩(万目供養仏)は江戸中期の加藤甚右衛白鎧作などがある。(ともに市指定有形文化財)
(案内看板全文)
九家十人(原、上窪田、上窪田、下窪田、石坂、志村、荻原、中村、河野、山本)の千人頭の、最大で半数が関わっている梵鐘です。およそ40年後(1699)に、同じように時刻を知らせる役割を担った上野町念仏院の時の鐘が、名主名こそ刻んでいますが千人同心の名を表していない事は、どう言う意味を持っていたのか。武士から商人へ、町で力を持つ者が変遷してきていたと解釈しました。
wikiでは"大江(毛利)氏の津久井三郎"とされている津久井城主が、同じ大江氏の流れとは言え、長井(長山)氏としている事は興味深いと思います。
2024年03月04日 いれぶん武蔵守
津久井城主内藤景定の墓[津久井城 碑・説明板]
津久井城主内藤景定の墓
津久井城は、鎌倉時代、三浦氏の一族津久井氏によって築城されたという。
降って、明応四年(一四九五)戦国期の武将小田原北條氏の祖、伊勢新九郎宗瑞(死後北條早雲と言う)は、関八州を併呑し、伊豆より相模に入り、小田原域を本拠となし、北相を守る支城として、この古城を再興して、津久井城によって甲州勢(武田氏)に備えた。
内藤友近将監景定は、その先を、俵藤太秀郷より出て、初め六左衛門と号し、又玄蕃允と称した。相州に生れ北條氏康に仕えて、相州津久井城主となり、許多の地を領した。城内に道了大薩埵を勧請して守護神となし、また根小屋太井山功雲寺を開基す。天定三甲午年三月二十日没し、法名龍山院殿功雲道勲大居士と諡され同寺に葬らる。
なお、正史には津久井城の戦績にないという。
子には津久井城主内藤大和守景豊がいる。
昭和五十九年三月
津久井町教育委員会
合併により平成一九年四月一日に相模原市登録文化財となりました。
(案内看板全文)
2024年03月04日 いれぶん武蔵守
伝津久井城主内藤氏の墓[津久井城 碑・説明板]
伝津久井城主内藤氏之墓
相模原市登録有形文化財(歴史資料)
登録年月日 平成十九年四月一日
相模原市教育委員会文化財保護課
〇四二-七六九-八三七一
この高さ約一三五センチの宝筐印塔は、津久井城主 内藤左近将監景定の墓と伝えられています。ただし、地元に残る古文書等には、内藤左近将監景定の名は確認されていません。
この墓は平成二年に旧津久井町の指定文化財となり、合併により相模原市登録文化財となりました。
(案内説明標全文)
2024年03月03日 みよ釆女正
津久井城
根小屋地区のパークセンターに駐車場がありました。整備されてある歩道に沿って上りますと、内藤氏の広い住居跡があり、馬場跡もありました。そこまでは、整備されて歩きやすいです。
本丸へは、そこから30分程結構本気の登山です。女坂はは、緩やかですが崖っぷちで、道ばばが狭く怖くて本丸裏真下から、泣きながら戻って男坂を登って行きました。苦労した甲斐があり、
本丸からは、相模原、都心方面、山梨方面の絶景、眺望最高とても良いところでした。
2024年01月07日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
大手道[津久井城 遺構・復元物]
御屋敷の北側の尾根筋に山頂まで続く坂道が大手道です、古城図にも内藤左近屋敷から本城に向けて描かれていて尾根をつづら折りに登るこの坂道は馬道とも呼ばれ、馬二頭が並んで歩けそうで現在でも道筋ははっきりしており、広い場所では大手の威厳を示すように4メートル近い巾で造られています、ただしこの大手道は途中竪堀を二回横切る事となり危険性がある事と遺跡保護のため一般には通る事が出来ない事から公園マップには載っていません。津久井城キャッスリングのイベント時に公園職員の方の案内がある場合に限り通る事が出来ます。
2024年01月07日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
タイラク主水[津久井城 遺構・復元物]
本城曲輪群のこじんまりとした曲輪です曲輪には守備するものの名前が使われる事があります内藤氏の家老とされる馬場家に伝わる古文書に太楽小左衛門の名前があり、とても声が大きい方だったそうです、津久井城の門番の声はとても大きかったとの伝承もある事からタイラク主水と記されたこの曲輪は太楽小左衛門さんが守備していたかもしれません。
2024年01月07日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
米蔵[津久井城 遺構・復元物]
本城曲輪群の一つのこじんまりとした曲輪で枡形虎口の遺構があります
2024年01月06日 全王平均
津久井城
飯縄曲輪の奥の広場は見晴らしいいところ、津久井城山に行ったら、是非行って見るのね
2024年01月05日 RED副将軍
津久井城
北条氏が改修した神奈川県では数少ない本格山城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。鎌倉時代に三浦氏一族の筑井為行(筑井義胤)が築いたのが始まりと伝わります。
戦国時代初期には北条早雲の属城となり、北条氏家臣の内藤景定が城主として入城。この頃に改修され、津久井衆を組織し甲斐からの武田氏の侵攻に備えました。
1524年には北条氏綱が江戸城奪還のために扇谷上杉朝興と対峙した際に、扇谷上杉氏に呼応した武田信虎が津久井城に攻め寄せており、武田氏と北条氏の攻防戦がたびたび行われました。
1569年の三増峠の戦いでは、小田原城に攻め寄せた武田信玄は撤退するも、津久井城に近い三増峠で北条氏照・北条氏邦が迎撃し激戦となりました。
武田信玄は後詰の遮断と帰路の確保のために小幡信貞らの別働隊が津久井城を包囲。城主の内藤景豊は籠城を余儀なくされ救援に出られなかったことから北条氏の被害は大きく武田氏の勝利とされています。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐においては徳川家康の家臣である本田忠勝、平岩親吉により落城。その後に廃城となりました。
見所
津久井湖の南側の相模川南岸に聳える標高375mの城山に築かれています。麓には居館や家臣の屋敷を置いた根小屋式山城。
山頂に主郭を配し南東に伸びる尾根上に太鼓曲輪、飯綱曲輪、鷹射場などの郭群が連なる連郭式。
特に主郭と太鼓曲輪、飯綱曲輪と鷹射場との間の堀切はそれぞれ岩盤掘削で竪堀が麓まで落ちる長大なもの。
太鼓曲輪下の家老屋敷の法面には石垣が残るので見落としが無い様にご注意ください。
農地化、公園化により改変もありますが神奈川県では数少ない本格山城です。
現在は津久井湖城山公園となりハイキングコースが整備されています。比高は180mで駐車場から30分程度で主郭に辿り着きます。
2023年08月12日 とーる
津久井城
男坂より女坂の方が道が狭く、崖沿いを歩くので、スリルがあります。山頂から見る津久井湖はとても綺麗でした
2023年04月09日 安倍相模守宗任
津久井城
津久井城キャスリングが参加者1名(私のみ)だったのでキャンセルし、一人で登城。男坂は大変だけど達成感あり。飯縄曲輪前の堀切には往時は引橋があった模様。本丸から津久井湖を見ると、かつての桂川の水運の要、甲斐からの侵攻の備えとしての津久井城の位置がよくわかります。風が心地よか。
2023年02月21日 城巡根室守史郎
津久井城
津久井湖🅿からのルート北面は全て途中で通行止めなのと、あの区間は工事していて渋滞しやすいので南面ルートをお勧めします。パークセンター🅿が有ります。なお、津久井湖観光センター🅿北側から湖畔展望ルートで南面に出て根本坂から男坂で行きました。
2023年01月30日 いれぶん武蔵守
間山城(間山城狼煙台)[津久井城 周辺城郭]
写真は産霊宮(むすびのみや)水上神社⛩がおかれる嵐山(標高405.9m)頂上にある看板で、間山とは嵐山の本当の名前であり、京都の嵐山と似ている事から呼ばれるようになったとしています。
そうだとすると、参勤交代が行われる江戸時代になるまでは間山であり、後北条氏がこの地をおさめて居城もしくは見張台・狼煙台として嵐山山頂を利用していた頃は間山城だったのかも知れないと思いました。
2023年01月12日 いれぶん武蔵守
嵐山城(嵐山狼煙台)[津久井城 周辺城郭]
登城口は相模ダムを越えて、城から北側にある東海自然歩道になります。水上神社参道になっています。約800mの距離があります。
2023年01月09日 あられ武蔵守
又野城(又野城山)[津久井城 周辺城郭]
津久井ケーブルテレビの中継基地に行く道(車はNG)から上がりました。こちらは車は無理ですが、地元のお年寄りも横から通り抜けてお散歩されているので、人が通るのは問題ない様子です。
上の寺山見晴台まで行くと一気に展望が開けて驚きます。見晴台の上だと木が邪魔になって景色はら見えなくなりそうでした。サザンカかと思われる白と赤の花が綺麗に咲いているのも素敵です。
2022年12月10日 みなとん左京大夫
津久井城
昨日、パークセンター側から登城しました。細いトレイルもあり、じっくり探求したい山城ですね。
2022年11月21日 いれぶん武蔵守
信玄道[津久井城 その他]
古道でもある国道412号線よりだいぶ高い位置を通る道なので周囲をよく見渡す事ができ、またこの道に伏兵を置かれる事で、国道412号線を通行する場合は奇襲を受ける可能性もあり得たが、それもなくなる事になる。信玄が相当慎重に帰路を選択した事を感じられます。写真はこの位置にあるカフェのテラス席から。
2022年10月30日 いれぶん武蔵守
津久井湖記念館[津久井城 関連施設]
ダムが出来る前の様子がわかる写真が展示され、古の津久井城山と相模川を偲ぶ事ができます。
また甲冑が具足と共に展示される他、津久井城・又野城附近の地形模型があります。
2022年10月28日 いれぶん武蔵守
又野城(又野城山)[津久井城 周辺城郭]
又野城は三箇木神社の奥から少し登った所が最高到達点であるように地図では表記されています。ところが、神社参道石段の令和元年台風被害が大きく、立入禁止となっています。階段手前の一揆碑や蛍が出ると言う湧水の流れからして、古くから人々が拠り所としていた風情があります。
三箇木神社からの登城は諦め、地図の東側にある通路まで進んで見ると、車両は入れないように封鎖されてましたが人は通れるようにされていました。緩い傾斜を登ると直ぐに郭と思しき三方を通路に囲まれた所に着きました。津久井ケーブルテレビの中継基地があります。西側が大きく開け、展望を楽しめるようになっており、木製ベンチが置かれていました。
2022年10月28日 いれぶん武蔵守
パークセンター[津久井城 関連施設]
津久井城山公園ガイドブック「津久井城ものがたり」を窓口で販売中です。津久井城についてとても詳しいです
2022年10月27日 いれぶん武蔵守
上の山城[津久井城 周辺城郭]
石老山・高塚山の麓にあたる台地(標高240m程度)の中に比高20m程度に突出した小山状の部分を城跡としているようです。規模自体が小さいので郭と称する部分も小さく、兵力は麓に置いた物見だったのではないかと思いました。古誌に野呂左京亮の名前が伝わり、現在も城跡東に野呂姓の方の邸宅が置かれているそうです。「もとやしき」と言う地名も残ります。北条家「小田原衆所領役帳に津久井衆として残っていますので、津久井城支城として北条方の城であった事は確かなのでしょう。
2022年09月30日 いれぶん武蔵守
津久井湖展望休憩場[津久井城 関連施設]
コイン式双眼鏡が利用可能です。高尾山・八王子城が見えます。
2022年09月23日 徳賀Y絵康安房守
津久井城
津久井湖観光センターから登ろうとしました。しかし通行止めが何か所もあり、結局、写真の地図の根小屋地区と書かれている辺りから登りました。しばらく登ると男坂と女坂という二つの道の分岐点に出ます。私は男坂を登ったのですが、急でした。男坂は短いですが急で、女坂はゆるやかですが長いとのことです。最終的にはどちらの道も合流します。そして、合流地点からしばらく登ると太鼓曲輪などを通って本城曲輪(山頂)に着きます。その道には堀切がありました(写真あり)。本城曲輪には、いくつかの土塁(写真あり)がよく残っていて、景色もなかなか良く、津久井湖が一望できます。その後、飯縄曲輪や鷹射場の方向にも足を伸ばしました。まず、家老屋敷の跡に行きました(写真あり)。堀切を越え、さらに進むと飯縄神社(飯縄曲輪)があります(写真あり)。宝ヶ池(写真あり)と大杉(写真あり)も見ました。さらにさらに進むと、鷹射場(写真あり)までたどり着きました。ここからは、どこかの町(東京?横浜?それとも?)のビル街のようなものも見えました。この先、男坂と女坂に分かれていて(最初の方で登った男坂、女坂とはまた違うもの)、女坂は通行止めだったので、男坂から下山しました。この男坂は本当に急で、鎖までありました。しばらく進み、無事、下山することができました。道中、ヤマビルやイノシシ、マムシの注意を促す看板がいくつもあったので、気をつけてください。
2022年03月16日 南部陸奥守勝牛
津久井城
久々の口コミ。後北条氏の重要支城をリア攻めするマイ企画を実施中です。今回は、北相の要で対甲斐武田氏の前線基地である当城へ。先輩リア攻めの方々の情報を元に津久井湖観光センターで御城印を、根小屋パークセンターで城山散策絵図を入手し、いざ山頂本城曲輪へ。絵図通り、御屋敷→城坂→車坂の最短ルートでの登城。根小屋周遊園路から先は、想像よりも急登で車坂後半は岩盤露出で、それなりの靴の方が宜しいと思いました。本城曲輪手前の堀切や、竪堀が見応えありました。山頂までは、ゆっくりペースで約40分位。下山して、山麓の津久井城主内藤氏菩提寺『太井山功雲寺』へ参詣、更に南方約5キロの三増峠合戦史跡まで足を延ばしました。甲斐武田信玄と相模北条氏康が激突した戦国最大規模の山岳戦に想いを馳せて。
2022年02月28日 左近衛少将てつ
津久井城
パークセンターより30分の登山で、本城曲輪に到着します。男坂は、かなり急なので、覚悟をして登って下さい。城山山頂から津久井湖、相模川が見下ろせます。色々と見所があり、山城好きにはオススメです。
2022年02月20日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
下馬梅[津久井城 寺社・史跡]
昔、八王子城が豊臣秀吉の軍勢に攻められ落城した時にこの戦で津久井城に伝令に走った北条軍の騎馬武者がおりました、ようやくこの地に着いた武者が土地の人に戦況を問うと津久井城は落城とのこで武者は仕方なく馬からおりました、その時ムチのかわりに持っていた梅の枝をこの道端に突き刺したとの事でその梅が根付き春になると花を咲かせました、また逆さに咲くことから逆さ梅とも呼ばれ、なおその梅は大正の頃樹齢が尽き枯れてしまい現在の梅はこの言い伝えを永く残すため新たに植樹した梅です。
(現地案内板より)
見学用駐車場は有りませんので要注意、今回は近くに流れる境川に掛かる下馬橋に路駐して見学しました。(橋の先は行き止まりです)
2021年11月14日 のぶ修理大夫
津久井城
橋本駅からバスで津久井湖観光センター下車。道は整備されていて歩きやすい。飯縄神社が光がさしてとても綺麗。堀切、引橋、曲輪と遺構も残っていて見応えあります。登山口には散策パンフレットが置いてあるので持っていくといいです。
2021年08月29日 ひなこぞう
津久井城
行きは「ちょっと険しい登山道」で山頂を目指しましたがバイキング気分でいくと結構大変でした。帰りは急坂を避けるために「らくらく登山道」コースで下山。
パークセンターにて中止になってしまった「真・津久井城展」(令和2年3月中止)の展示解説書を頂くことができました。綺麗に整備されてる公園もあり子供たちが楽しそうに遊んでいました
2021年06月02日 特にありません
津久井城
駐車場を始め、麓の賑わい見るとただの観光地だが、油断して登城するとなかなかハードな山城でした。堀切など見所多い城でしたが、災害通行止が多いのが残念でした。
2021年04月25日 ぴよ相模守
津久井城
山登りがハードそうなので少し躊躇しましたが、見痔も整備され登りやすかったです。山頂からの景色も良いですよ。
2021年03月29日 eiki
評議原[津久井城 その他]
豊臣秀吉軍が八王子城攻めを行った時に津久井城と、その支城である片倉城、小松城の北条方の兵が戦略を話し合ったと言われるところです。尾根の平坦地に石碑とベンチが設置されています。神奈中バスの小松橋バス停から小松城、龍籠山、城山湖を結ぶ散策路が整備されており、写真は、龍籠山から見た評議原です。真下の伐採されたところが駐車場で、その右側の森に評議原と小松城が位置しています。その後ろは
相模原の市街です。
2021年02月19日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
築井城碑[津久井城 碑・説明板]
城碑(築井古城記の碑は本城曲輪に有ります)なので本城曲輪に有ると思いますが実は、位置番号No.6〜No.7に至る根本登山道の途中で、位置番号No.6の標識より少し登った所の左側に有ります、根本登山道は某が津久井城で一番好きな登城路です、この登城路はあまり手が加えられておらず古道のような佇まいで小鳥の囀り、木々の間をすり抜けて行く風の音を聞きながら歩いていると戦国時代にタイムスリップした様な気持ちになります、他にもお勧めな登城路として、津久井城の東方の守備を担っていたと思われる城主内藤氏の家老の馬場氏の屋敷跡があったとされる小倉口の十兵衛山から鷹射場までの登城路です鎖場が有りますので足元には注意が必要ですが、この登城路からの眺めは素敵です、是非とも、武田信玄が一目置き、本多忠勝、平岩親吉が攻めた、戦国の北条の城、津久井城を攻めに来てください!
2021年02月15日 でんろく兵部卿パルキー
津久井城
人口湖の津久井湖第一駐車場に車を止めて津久井城を登りました。約1.5kの道のりです。曲輪、土塁跡、家老屋敷跡などを見ながら山頂へ。ところどころに案内や解説板があるので、わかりやすいです。山頂には江戸期の古碑があり、松平定信らが古碑設置に関与したことが記載されております。
2021年02月01日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
串川グランド駐車場[津久井城 駐車場]
通常は、門限の無い無料駐車場です(コロナ禍なので門限?)信玄道、堂所山、隠れ沢、首塚を散策する時に利用したら良いかと思います!(ちょっと歩けばコンビニ有ります)
2021年02月01日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
川和防空監視哨跡[津久井城 寺社・史跡]
津久井城の全景と第二次世界大戦の戦争遺跡である川和防空監視哨を見学に来ました、第二次世界大戦末期硫黄島より飛び立ったB29は富士山を目標に飛来し甲府、大月上空を通って東京上空に向かったようで、この敵機を素早く偵知、発見し防空飛行隊、高射砲隊に通報する為の施設との事でした!
(自分が知る限りでは当時の建物が残る監視哨はここだけかなと思います、興味のある方は一見る価値ありと思います!)
津久井城とは関係ないようですが、川和防空監視哨が有る津久井堂所山(八王子市にも同名の堂所山が有ります)の付近の金原(現在の相模原市緑区根小屋、長竹)には、三増合戦時に津久井城の抑えとして小幡信貞(国峰城主、武田24将で上州の元祖赤備え武田家中最大の500騎備え)、加藤景忠(上野原城主)隊約1200人が布陣(隠し沢にて、津久井城兵の出撃に備えていた)していたとの伝えが有るので、この津久井堂所山370mから津久井城が有る城山(宝ヶ峰)375mが良く見える事を考えると、津久井城の動きを見張る場所では、なかったのか?また、豊臣秀吉の小田原の戦いの時に津久井城は再び戦乱の渦に巻き込まれ事になり本多忠勝、平岩親吉ら11000軍勢が津久井城を攻めた、その際もこの頂きに物見がいたのかな?とか、ここに何故山城が築かれなかったのか?とか思いながら津久井城の眺めを楽しみながら、尾根伝いを歩いていたら、突然ドックベル🔔と共にドックナビを装着した、厳つい顔つきの猟犬に囲まれて、冷や冷やドッキリ😂地元猟友会の方の話しだと熊は目撃した事は無いが猪は度々目撃するとの事でしたので、(11月15日〜2月15日まで狩猟期間だそうです)散策の際は注意が必要ですね!
(案内板、Wikipedia等より)
2021年02月01日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
長竹信玄道の説明板[津久井城 碑・説明板]
国道412号線から旧道に入った所に説明板が有りますが、字が薄れていて読めません😅因みに武田信玄が小田原攻めから三増峠に向かう時に通ったとされる信玄道を示す、厚木市依知の信玄道の碑、厚木市愛川町の信玄道の碑が有ります!
2021年01月29日 eiki
小仏城(小仏城山)[津久井城 周辺城郭]
高尾山から尾根続きの奥高尾と呼ばれるエリアにある、近くに甲州街道の小仏峠があり峠の見張りの目的を担った城。山頂は平場になっているが遺構ははっきりしない。山頂はハイキングシーズンになるとお茶屋が営業しハイカーでにぎわう風光明媚なスポットです。
2021年01月28日 eiki
嵐山城(嵐山狼煙台)[津久井城 周辺城郭]
JR相模湖駅から約45分の歩きで到達します。標識406メートルの嵐山なの山頂で神社が鎮座する雰囲気の良い場所です。人気のハイキングコースでプレジャーランドに繋がっています。ここからの相模湖の景色は神奈川景勝50選に選ばれています。烽火台として利用されていたためか目立った遺構は確認できませんが、山頂からは鶴島御前山、栃穴御前山、牧野砦と他の武田氏烽火台ネットワークも確認できます。
2021年01月28日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
又野城(又野城山)[津久井城 周辺城郭]
津久井城の狼煙台ネットワーク
解説板に又野城山と記載が有る事から、又野城は津久井城の支城で狼煙台を兼ねた見張りの城として、武田軍の進軍に備え、津久井街道を監視するために北条氏によって築かれた狼煙台のひとつだったのではないかと思います!
(津久井城狼煙台ネットワーク説明板等より)
2021年01月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
長竹の信玄道[津久井城 その他]
三増合戦の後、武田軍が甲斐国へ帰る時に通ったとされる道です、通常は合戦に勝利した場合、勝鬨も、首実験も、戦場で行うのが通例であるが、この時ばかりは小田原城からの北条氏康本隊の追撃を警戒したのか、武田軍は三増峠から10km以上離れたそり畠(反畑)(現在の相模原市緑区寸沢嵐辺り)にて勝どきをあげ、首実検を行ったみたいです、そんな事でこの道を皮肉を込めて「信玄逃げ道」と呼んでいるとの事です!
(新編相模風土記他より)
2021年01月09日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
首塚[津久井城 その他]
武田軍は反畑において首実験を行った後浅間の森に埋葬して塚を築き、社を建てたといわれる。この社が浅間神社であるが現在は碑だけです!
(案内板等より)
場所が場所なのでスポット写真は無しとしました😅
2021年01月09日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
信玄首洗い池[津久井城 その他]
新編相模風土記によると、武田信玄はこの地(反畑)にて討ち取った首級の首実験を行った。その数実に3269であり、ここにて勝鬨を上げる。その討ち取った首を、この池で洗ったといわれるので(首洗池)と言い伝えられている。(案内板より)
2021年01月09日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
首塚[津久井城 遺構・復元物]
天正18年(1590年)平岩主税(徳川軍の武将)が、津久井城を攻落し城兵の首級を獲て埋葬せし所なりと云う。
その後、江戸時代に入ると富士講が盛んになり、津久井の首塚はその後富士塚として使用された!
尚、首塚付近に武田軍が三増合戦の時に60体のわら人形を作って本物の軍勢の如く配置した(六十面)という地名が津久井に残っている、その他、枯れたとうもろこしに火をつけて回り、武田の大軍が集結しているかの様に見せかけて、津久井城兵を欺いたと言われ津久井では今でも地元の方は穂先の枯れたとうもろこしを「信玄もろこし」と呼んでいるとの事です、この様な事から三増合戦の時の武田軍の戦略が如何に緻密だったかと思いました!
(首塚(富士塚)案内板、その他を参照)
2021年01月09日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
隠し沢[津久井城 寺社・史跡]
三増合戦の折、津久井城には2千人から3千人の城兵が守備していたと伝えられています。隠し沢は、これらの城兵の出撃に備えて、武田方が1200名の兵を隠しておいたといわれる場所と伝えられています。(隠し沢公園内に説明板より)
2021年01月09日 相模守愛洲久忠
飯縄神社(飯縄曲輪)[津久井城 寺社・史跡]
津久井城の曲輪のひとつに、飯縄という名前がつけられていたことの謎は解けませんが、飯縄とは飯綱(読みはイズナです)とも表記されてご本尊は大日如来、神の使徒は天狗という長野県上水内郡を発祥とした神仏習合の山岳信仰のことです。
現況では津久井城のある根小屋に飯縄様の神祠、津久井湖対岸北側の中沢地区の普門寺に飯縄大権現のお堂が残ります。驚くことに、こちらにお祀りされている尊像は高尾山の烏天狗とは違い、不動明王のお顔立ちで額の部分には武田菱の紋所が入っているのです。
飯綱信仰がどれほど浸透したかの目安になり得るかは分かりませんが、室町幕府管領細川政元公は奥義を極める為に護摩を焚き、その呪法の習得と修験に没頭し励んだとも伝わります。
この飯綱信仰は、室町時代から戦国時代にかけて高まった毘沙門天や勝軍地蔵等への信仰と相まって、加護を授かる為に戦勝祈願の対象とされたことなどから主に東日本地域へ広まったようです。
特筆すべき点として、足利義満公や北条氏照公からも尊崇を得ており、上杉謙信公が兜の前立てに烏天狗の飯綱権現像を掲げたり、武田信玄公が甲州に飯綱権現を勧請したことはあまりにも有名です。
また、中興の祖高僧俊源が感得したとされる高尾山薬王院は、後に民衆による信仰の霊山として徳川幕府から絶大な庇護を受けることになります。
となると、ここからは推測の域を出ませんが後北条氏の支配下にありながらも、信仰の部分に限っては少なからず信玄公の影響力が及んだ可能性もあったのではないでしょうか?そうであれば、近隣の土豪や地侍の中には武田寄りの武士の存在が明らかになったようですし、お社を祀った曲輪に飯縄という名が付くのも頷けます。北条氏家中にあって信任厚くご一門衆に次ぐ家格で独自の文書発給を許されていたとされる内藤氏ですが、小幡勢が足止めの為に詰めた事もあるとは言え、三増峠の戦いで内藤軍150騎が津久井城から打って出て、甲斐へ退却する武田軍を挟撃しなかった理由のひとつに挙げられるかも知れません。
今回はどなたかが、リア攻めマップにスポットだけ置かれていたのを、口コミ投稿に利用させていただきました。
2020年11月25日 カネゴン大膳大夫
津久井城
本城曲輪・米曲輪 紅葉🍁が見頃です。腰曲輪からの津久井湖も絶景引橋跡と堀切や登山道途中の堅堀も良いです。現在 男坂ルートしか山頂に行けません。冬場は15時以降の登城も禁止です。
2020年11月15日 フー甲斐守
小松城登城口[津久井城 その他]
小松城宝泉寺側登城口です。先人のルートとは逆を辿ってみました。本来は戸倉城の支城ですが、スポット追加出来ないので、津久井城に。戦国期は津久井と戸倉の中間地点にある小松城は連絡拠点として機能したのでしょう。
評議原の紅葉は色づき始め。見頃はもう少し先かと思います^o^
2020年11月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
どこでも俳句ポスト[津久井城 関連施設]
どこでも俳句”・・・園内及び山上の各所で俳句を詠んでその場で投稿できる、俳句を詠むための紙と鉛筆が入った箱、「どこでも俳句ポスト」があり、皆様が咏んだ俳句はパークセンター前に掲示されます、津久井城登城の記念に素敵な風景を見ながら一句ひねてみてはいかがでしょうか🍁🏯
(投稿写真の某の俳句の文字が汚くて恥ずかしいです😅)
2020年10月31日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
トバボリ[津久井城 遺構・復元物]
一番の見所であるトバボリは城山ダム側の観光センター第一駐車場へ車を停めて駐車場の横の国道413号線を橋を渡らずに第2駐車場側へ歩いていくと三ッ鱗の車止めの前から道路を隔てて良く見えます!
2020年10月31日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
展望台[津久井城 関連施設]
ここから四季折々の丹沢の山々が見渡せるます!(手前の芝生広場は御屋敷跡です)
2020年10月07日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
津久井城
久々の津久井城本丸へ登城しました、所々桟道工事等々で通行出来ないルートが有ります、本日の登城はパークセンターから、くるま坂(男坂)の登城道より登城致しました!
只今、津久井城秋への衣替え中です!
2020年08月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
城山湖天空の里駐車場[津久井城 駐車場]
駐車場の南側にある散策路(遊歩道)を小松城側(南東へ)と入って、300mほど先に評議原が有ります!
駐車場の上の方にある金比羅宮は初日の出スポットで見晴らしが良い所ですので階段を登るのがちょっと大変かと思いますが、一見の価値ありです!
2020年08月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
評議原[津久井城 その他]
豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家・前田慶次郎・上杉景勝・直江兼続・真田昌幸・真田幸村らが、八王子城を攻撃し、徳川家康勢は津久井城を攻撃しましたが、その際に、津久井城と支城である小松城・片倉城の北条側の武士がこの場所で降伏するか評議したとされています。
秋には絶好の紅葉スポットとして人気を集めていて、この先に小松城跡が有ります!
2020年08月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
小松城[津久井城 周辺城郭]
小松城は、片倉城(八王子)の出城であったと伝えられ現在は造成によりその遺構は失われていますが、城があった当時の雰囲気は感じられると思います。
評議原から尾根伝いの1本道を進んで来てください!
リア攻めマップに登録できませんでしたが近くに伝説の梅が有ります、八王子城が攻められ落城した際、八王子城から辛くも包囲網を脱出した津久井城へ伝令武者が、相模原市城山町の穴川まで来た時、地元の百姓に津久井城の状況を聞いてみら、津久井城も既に落城したと知らされ、がっかりして馬から降り、ムチ代わりにしていた梅の枝を道端に突き刺し、その後、その地に梅が根付き、花を咲かせたので「下馬梅」、また、逆さに刺したので逆さに咲いたことから「逆さ梅」とも呼ばれた梅です、時間が有りましたら合わせて見学してください!
2020年07月25日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
小倉口よりの登城道[津久井城 その他]
十兵衛山展望台〜男坂を通り鷹射場曲輪までの自然の防御にはとても驚きました、攻めての気持で登ると、こちら側から攻めるのは遠慮したくなります、これぞ山城の醍醐味でも道のりはかなり険しいのでくれぐれも安全第一で楽しんでください!
2020年07月25日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
十兵衛山展望台[津久井城 関連施設]
眺めが良く素敵な場所です!
2020年06月30日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
津久井城
功雲寺
津久井城主だった内藤家の菩提寺です、内藤景定公夫婦と家臣と思われるお墓が有ります!
2020年06月08日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
津久井城
津久井城電子案内完成!
園内10箇所にあるQRコードをスマホやタブレットで読み込んで津久井城のマニアック情報をみてみよう!(県立津久井湖城山公園公式サイトより抜粋)
皆さん是非リア攻め起こし下さい!
2019年06月06日 まさある甲斐守⛄
駐車場[津久井城 駐車場]
無料です。利用時間8:00~19:00。19:00以降は翌朝8:00まで出庫出来なくなるので注意。
2019年06月06日 まさある甲斐守⛄
駐車場[津久井城 駐車場]
無料です。利用時間8:00~19:00。19:00以降は翌朝8:00まで出庫出来なくなるので注意。
2019年06月06日 まさある甲斐守⛄
駐車場[津久井城 駐車場]
無料です。利用時間8:00~19:00。19:00以降は翌朝8:00まで出庫出来なくなるので注意。
2019年05月07日 安倍相模守宗任
パークセンター[津久井城 関連施設]
パークセンターでは色々な情報を仕入れることができます。
足軽の装備も体験できますよ。
ジオラマがあるので、まずは全体を確認してから登城しましょう。
2019年01月04日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
津久井城
本日は未だに攻略出来ず仕舞いの御屋敷跡より城坂を経て小倉登山道〜馬込曲輪〜十兵衛山〜男坂〜鷹射場曲輪〜本城曲輪を目指しました、十兵衛山〜男坂を通り鷹射場曲輪までの自然の防御にはとても驚きました、攻めての気持で登ると、こちら側から責めるのは遠慮したくなります、これぞ山城の醍醐味でも道のりはかなり険しいのでくれぐれも安全第一で楽しんでください!
2018年11月12日 安倍相模守宗任
津久井城
パークセンターから女坂、男坂二通りのルートがあります。
男坂は山頂までひたすら一直線の登り、早く着きますが疲れます…
女坂は山腹をゆるゆると回りながら登ります。楽チンだけど途中道幅が狭いので要注意。転がり落ちたらパークセンターまで戻れそうです(笑)
遊具もあるので子供連れで賑わってます。駐車場は狭いので待ち行列ができます。
土日は開園時間にはほぼ満杯です。
2018年10月05日 こうひろ☽
津久井城
城山公園ホームページに詳細な資料があります。縄張りや発掘調査結果もあるので参照してから行くと良いでしょう。ガイドブックとしてもパークセンターで販売しています。
センターの方のアドバイスでくるま坂(男坂)から行くのが戦国時代雰囲気を堪能できてオススメですが、トレッキングシューズでないと関東ローム層は滑りやすく疲れます。
城域は飯縄曲輪・鷹射場~本城曲輪の順で回り、帰りはまきみち(女坂)経由で戻りました。
竪堀の宝庫で往時にはさぞ迫力があったと思われます。普段は通行禁止の大手道と畝状竪堀やタイラク主水曲輪もぜひ見てみたいところです。
散々予習したのに舞い上がり過ぎて2ヶ所見逃した位、興味深い山城でした。
八王子城や滝山城とセットで見れば距離や役割等の支城ネットワークと戦国面影をより理解、体感出来るかと思います。
2018年01月12日 さく守刑部卿
津久井城
根小屋から登城しました。
緩やかな女坂が2018年1月10日から
2月15日(予定)で閉鎖していますので
ご注意下さい。
往復とも勾配のきつい男坂になりましたが、運動不足もあり登りは心臓バクバクでした。下りも枯葉が滑りかなり体力
使いました。
2016年05月31日 まー刑部卿
津久井城
口コミから根小屋地区にあるパークセンターから登城しました。まずパークセンター職員に何処を通ればいいか聞いたら男坂から登り帰りは女坂を通っていけばいいと言われました。登城は昨日の降雨時のため足下が滑りやすかったです。行きはひたすら上り、帰りの女坂は勾配は緩やかですが場所によっては道幅が狭く草木が生い茂るところも多かったです。一番の見所であるトバボリは観光センターのあるダム側(第一駐車場)へ移動し橋を渡らずに第2駐車場側へ歩いていくと道路を隔てて良く見えます。観光センター内はお土産品や特産物の野菜も売っていますが津久井そばは出されるまで時間がかかるため時間の余裕のある方は注文なさるといいでしょう。
2016年01月07日 相模守愛洲久忠
津久井城
城山ダム『花の苑地』駐車場に車を止めて登城開始です。
見晴台までは階段スロープで5分程。
しかしここからは一気に道が狭くなり急坂の連続に変わります。驚いたことに鎖場もありスリリング。(予習してから登りましょう (^^))
山頂手前の太鼓曲輪からは尾根道で楽になります。本城曲輪手前には土塁遺構保存のロープが張られており良好な状態でした。
麓から山頂までの比高は180メーター、およそ30分程で到着です。
2015年11月01日
津久井城
橋本駅北口よりバスで25分程の北根小屋バス停で降車。
登城口はいくつもありますが、今回は小網諏訪神社裏手の歩道沿いに歩き、車坂(男坂)から登城しました。
津久井湖観光センター付近の登城口に比べるとかなり楽に登ることができた印象です。
時間的には根小屋地区のパークセンターから車坂を直登するのが一番早いと思います。
体力に自信がない方は中腹を廻りながら徐々に登っていく女坂がオススメ。
この女坂を行けば北東に伸びる二筋の曲輪群にも近いですが、こちらの曲輪群は全く整備されてない藪だらけなので降りるにはそれなりの覚悟と装備が必要です。
遺構としては麓まで続く長大な竪堀や、山頂の曲輪を隔てる堀切が見ものです。
ハイキングで訪れている家族連れの方も多いので、狭い山道ですれ違う際には配慮しましょう。
またパークセンター近くの功雲寺には城主内藤氏の墓と伝わる宝篋印塔があります。
2015年10月05日 雑賀
津久井城
城山キャッスリングといつ歴史ガイドウォークが開催されます。
◇11/29『根小屋を歩く山城入門ガイドウォーク』10時〜
◇12/19『初冬の歴史ガイドウォーク』10:30〜
◇1/16『歴史縦走ガイドウォーク』※マニア向け 10:30〜
参加希望の方はパークセンターまで。
昨年夏場に行きました。パークセンター側からだと比較的登り易いが、バス停のある湖側から登るルートを選択したため、思ったよりきつかったです。充分な下調べをしてからが吉。 リアルを検討される方は、ガイドウォークを利用されるのも良いかと思います。湖が目前なので景観は良好。簡易なテーブルもあります…是非お弁当持参で♪
2015年06月15日 ひな中務大輔ひな⭐️
津久井城
麓付近はのどかな公園なのですが、登って行くとハイキングコースというよりは登山道になります。
ロープや鎖につかまりながら進む危険な箇所もありますのでご注意を。
私個人の感想としては、八王子城よりつらかったです(;-;)
2015年03月30日 はろん民部大輔ぼう
津久井城
城跡のある、津久井湖城山公園には4つの駐車場があります。
登城には、大手側にあたる根小屋地区に停めるのが山麓の遺構も多くてよいと思います。
ただ、山頂から山麓まで延びる最大の竪堀である「トバボリ」は、花の苑地第一駐車場に停めないと気付かない位置にあります。
そこから園内に入る国道413号の歩道橋付近から、その姿を見ることができます。
2014年11月26日 若狭守きこりん
津久井城
ダム湖側からではなく、その反対側の根小屋地区の駐車場から登城しました。こちらにパークセンターという施設があり、ガイドマップが入手でき、資料が閲覧できます。センターの周囲はデッキ道が巡っていて、森林公園的に整備されていますが、どんどんん登っていくと竪堀が現れてきて、尾根周辺では郭群、堀切、井戸などの遺構が楽しめます。
樹齢900年以上と伝わる飯縄曲輪近くの大杉は、残念ながら落雷で焼失していました。
津久井城の周辺スポット情報
首塚(遺構・復元物)
鷹射場(遺構・復元物)
宝ヶ池(遺構・復元物)
トバボリ(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
米蔵(遺構・復元物)
米蔵枡形虎口(遺構・復元物)
タイラク主水(遺構・復元物)
大手道(遺構・復元物)
竪堀・堀切(遺構・復元物)
太鼓曲輪(遺構・復元物)
家老屋敷(遺構・復元物)
長竹信玄道の説明板(碑・説明板)
築井城碑(碑・説明板)
築井古城記碑(碑・説明板)
小松城説明板(碑・説明板)
烽火台と鐘撞堂(碑・説明板)
家老屋敷案内(碑・説明板)
伝津久井城主内藤氏の墓(碑・説明板)
津久井城主内藤景定の墓(碑・説明板)
小松城(周辺城郭)
上の山城(周辺城郭)
又野城(又野城山)(周辺城郭)
間山城(間山城狼煙台)(周辺城郭)
嵐山城(嵐山狼煙台)(周辺城郭)
小仏城(小仏城山)(周辺城郭)
飯縄神社(飯縄曲輪)(寺社・史跡)
隠し沢(寺社・史跡)
功雲寺津久井城主内藤家の菩提寺(寺社・史跡)
川和防空監視哨跡(寺社・史跡)
下馬梅(寺社・史跡)
真覚寺(寺社・史跡)
津久井湖販売センター(御城印)
トイレ(トイレ)
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トイレ(トイレ)
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水の苑地トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
城山湖天空の里駐車場(駐車場)
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水の苑地駐車場(駐車場)
パークセンター(関連施設)
十兵衛山展望台(関連施設)
展望台(関連施設)
どこでも俳句ポスト(関連施設)
津久井湖展望休憩場(関連施設)
津久井湖記念館(関連施設)
小倉口よりの登城道(その他)
評議原(その他)
小松城登城口(その他)
信玄首洗い池(その他)
首塚(その他)
長竹の信玄道(その他)
津久井城の大杉(その他)
信玄道(その他)
又野城進入口(その他)
寺山見晴台(その他)