津久井城主内藤景定の墓
津久井城主内藤景定の墓([津久井城 碑・説明板])
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津久井城主内藤景定の墓の口コミ情報
2024年03月04日 いれぶん[⭕️雁雁]
津久井城主内藤景定の墓
津久井城は、鎌倉時代、三浦氏の一族津久井氏によって築城されたという。
降って、明応四年(一四九五)戦国期の武将小田原北條氏の祖、伊勢新九郎宗瑞(死後北條早雲と言う)は、関八州を併呑し、伊豆より相模に入り、小田原域を本拠となし、北相を守る支城として、この古城を再興して、津久井城によって甲州勢(武田氏)に備えた。
内藤友近将監景定は、その先を、俵藤太秀郷より出て、初め六左衛門と号し、又玄蕃允と称した。相州に生れ北條氏康に仕えて、相州津久井城主となり、許多の地を領した。城内に道了大薩埵を勧請して守護神となし、また根小屋太井山功雲寺を開基す。天定三甲午年三月二十日没し、法名龍山院殿功雲道勲大居士と諡され同寺に葬らる。
なお、正史には津久井城の戦績にないという。
子には津久井城主内藤大和守景豊がいる。
昭和五十九年三月
津久井町教育委員会
合併により平成一九年四月一日に相模原市登録文化財となりました。
(案内看板全文)