田代城(たしろじょう)

田代城の基本情報

通称・別名

田代古城

所在地

神奈川県愛甲郡愛川町田代

旧国名

相模国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

内藤秀勝

築城年

弘治年間(1555〜1558)?

主な改修者

主な城主

内藤氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、石積

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

小沢城(神奈川県愛甲郡)[3.7km]
津久井城(神奈川県相模原市)[5.7km]
荻野山中陣屋(神奈川県厚木市)[7.0km]
磯部城(神奈川県相模原市)[8.8km]
七沢城(神奈川県厚木市)[9.4km]
座間城(神奈川県座間市)[11.2km]
初沢城(東京都八王子市)[11.6km]
淵野辺城(神奈川県相模原市)[11.7km]
海老名城(神奈川県海老名市)[12.2km]
片倉城(東京都八王子市)[12.8km]

田代城の口コミ情報

2024年04月10日 いれぶん武蔵守
愛川町郷土資料館[田代城  関連施設]



愛川町には津久井城城主一族の内藤氏の居館としての田代城・細野城や、和田義盛の乱に与して滅亡した小沢氏の(古)小沢城、二年連続して太田道灌が落城させた金子掃部助の(新)小沢城があり、決して中世城郭と無縁なわけではありません。こちらの資料館ではそれらについては町の年表にのみ事績を示していて、中世についてはほぼ三増合戦にリソースをさいて展示しています。合戦の背景や陣立、戦後処理に関する北条家文書(虎印判状、氏康・氏照花押)や、秀吉禁制等の複製が見やすく整理されています。撮影禁止なのでこちらには掲載できません。

合戦のパンフレット(カラー8p)は、窓口で問いあわせると無料配布されます。ちょっと費用が掛かっているので、本当に中世の合戦に興味を持っている方だけにお渡ししたいので、そのような対応をされているそうです。展示されている図版と共通するものは少なく、こちらも力作です。ホームページからpdfでも入手可能です

2023年02月17日 yama清正
田代城



駐車場はありませんが、中学校正門の通路側に路駐しました。近くに三増古戦場もあります。

2022年02月05日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
勝負谷戸[田代城  碑・説明板]



この道路を北に進むと現在は開発されていますが昔は狭い谷戸道だったようです、勝負谷戸の由来は永禄十二年に甲斐の武田氏と相模の北条氏が戦った三増合戦のときこの谷戸で戦闘があり武田勢の勝利に終わったという伝承からです
案内板より

2022年02月05日 薩摩相模守義弘維新斎
三増峠の合戦場跡[田代城  碑・説明板]



北条氏と武田氏の一大決戦地である三増合戦場は、車だと記念碑を見逃してしまうでしょう。特に何もない場所ですが、小さい石碑の案内板があり、三増合戦の記念碑を見ると両氏の戦闘を想像し感慨深い。関東の有力大名が激突した場所は、ぜひ訪れたいもの。

2021年02月01日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
志田峠(信玄道)[田代城  その他]



三増峠の戦い時に武田軍が行軍したとされる峠、赤備えで有名な山県昌景を中心とした真田信綱・真田昌輝兄弟ら残りの左翼隊5000に志田峠を越えさせて、長竹(韮尾根地区)に移動させて、如何にも武田軍が甲州に逃げ帰ると見せかけて、その後またその軍勢を戻し横から猛攻撃をかけ北条軍を撃破したとの事で武田信玄の知略を感心しながら志田峠でこの峠道を山県昌景の赤備えを含める5000もの軍勢が行き来したのかなと思いながら峠を越えるのも良いのかと思います!
(三増合戦から峠を超えて韮尾根地区に行く途中に志田山朝日寺と言うお寺が有りますので時間が有れば散策して見てください)
(Wikipedia等より)

2021年01月27日 eiki
田代城狼煙台跡[田代城  遺構・復元物]



田代城の説明板が小学校に立っており、そこから坂を10分程あがっていくと右手の山に上がっていく山道があります。案内は全くありません。急登ですが20分位で山名板と祠のある富士居山頂に達します。木に囲まれかろうじて東丹沢、経ヶ岳が見える程度ですが独立峰なので当時は周囲を見渡す物見であったことはうかがえます。

2021年01月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
韮尾根[田代城  その他]

三増合戦が終わり、武田軍が甲斐国へ引き上げる時、武田信玄がこの付近にあった民家に立ち寄り、休憩した時に茶菓子として出された柿を大いに気に入り、柿沢の性を与えたと伝えられる、この付近に住んでる方々の中で柿沢さんは、その民家の方の子孫でしょうか?
また、三増合戦時山県三郎兵衛昌景隊5000人が着陣したとされる地でも有り、韮尾根の場所だとわかる、韮尾根ふれあい広場があります!
(津久井城ものがたりより)

2021年01月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
槍小僧[田代城  碑・説明板]

三増合戦時に津久井城牽制のために武田軍が槍を持った人形を並べた場所と伝えられている!
(津久井城ものがたりより)

2021年01月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
光明寺[田代城  寺社・史跡]

三増合戦が終わり甲斐国へ引き上げる、武田軍が松明を借りようとして、断られたことから、寺に火をつけて松明がわりにしたと伝えられるお寺です!
(津久井城ものがたりより)

2021年01月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
伝いやが坂[田代城  その他]



三増合戦時戦の足でまといになると、武田信玄が従っていた女人を殺してしまったとされる坂で、
三増合戦の舞台となった雨乞い山、志田山には、志田峠、中峠、三増峠の三つの峠が有り、この坂の先は、武田信玄公本陣跡の中峠と三増峠と繋がっています!

2021年01月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
伝そわずの森[田代城  その他]

三増合戦時戦、足でまといになると、武田信玄が従っていた女人をいやが坂にて殺してしまい、その女人が葬られた場所とされる!
昔も今も戦争は悲劇を招きますね!
(津久井城ものがたりより)


2021年01月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
田代城狼煙台跡[田代城  遺構・復元物]

戦国時代に領土を守る為いたる所に支城を築き統治しました、支城には連絡用の伝えの城、駐屯用のつなぎの城、敵国との最前線である境目の城があり、甲斐の武田氏などに対する最前線の津久井城が境目の城であり、津久井城が束ねる田代城は狼煙台を備える伝えの城だったようで、城跡の裏に有る富士居山に田代城が管理する伝狼煙台があったとされるが遺構は無い!
(津久井城ものがたり他より)


2021年01月27日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
細野城[田代城  周辺城郭]

細野城は、中世の山城で自然の地形を利用して防御とした武士の居館であったが、築城の年月は不明!
城主は小田原北条氏の家臣の内藤下野守秀勝で田代の他8箇所を領地としていた、後にその子三郎兵衛秀行と共に田代城を築いた!
今は、城山、本丸、二の丸、木戸口などの地名を残し、礎石、空堀などの遺構は国道の開通により消滅した!
現在敷地は会社の寮と民家が建っていますので入りずらく、写真も控えました、細野城も三増合戦で武田軍と一戦交えたのかなとか想いは...。
先達の情報だと敷地内に土塁が残っているみたいですが私有地ですので、見学は自己責任ですね😅
(愛川町教育委員会案内板より)

2021年01月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
三増合戦の首塚[田代城  遺構・復元物]

スポット写真投稿者の方のスポットに口コミを入れさせ頂きました!
不動明王を祀る小高い所を首塚という。 宝永3年(1706)建立の供養塔がある。このあたりは三増合戦(1569)のおり、志田沢沿いに下ってきた武田方の山県遊軍が北条軍の虚をつき背後から討って出て、それまで敗色の濃かった武田方を一挙に勝利に導くきっかけをつくったところという。この戦いのあと戦死者の首を葬ったといわれるのが首塚であり、なお、三増合戦での戦死者は北条方3269人、武田方900人と伝えられる。(愛川町教育委員会より)

2021年01月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
浅利信種墓所と浅利明神[田代城  寺社・史跡]

1569年(永禄12年)甲斐の武田軍と小田原の北条軍が激戦を繰り広げた、三増合戦で激闘の末、地黄八幡で有名な北条綱成配下が放った鉄砲で胸を撃たれて戦死した、武田二十四将の一人、浅利信種の墓所です、その信種を祀った浅利明神が有ります!
(愛川町観光協会HP等参照)

2020年11月04日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
東屋[田代城  その他]



三増合戦碑の敷地内の東屋はテーブルとイスが有りますので、古戦場の風景を見ながらお弁当を広げれば美味しさ倍増かと思います!車でお越しの方は見学者専用の駐車場が有りませんが、三増合戦碑の横に広めの道路が有りますので路上駐車出来ますがあくまで自己責任です!

2020年11月03日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
胴塚の説明板[田代城  碑・説明板]



三増合戦は、武田軍と北条両軍が力を尽くしての戦いだったよで、ともに多くの戦死者が出た。そのおり、討ち取られた首級は、土手のうえに葬られ「首塚」としてまつられているが、首級を除いた遺骸は、すぐ下の志田沢の右岸わきに埋葬され、塚を築いてそのしるしとした。この地では、それを「胴塚」と呼び、今に伝えている。(志田沢には立ち入り出来ないようです)

2020年11月03日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
三増合戦武田信玄公本陣跡[田代城  寺社・史跡]



東名厚木カントリー倶楽部にある小高い山の中腹に有るのが、永禄十二年(1569)十月六日、付近で行われた武田信玄と北条氏照・氏邦の三増合戦の際、信玄が本陣を置いた所とも言われる場所です、当地には、三増・中・志田の三峠が存在し、そのうちでも最も険しいのが中峠であり、信玄はこの峠近くに聳える松に大将旗の諏方南宮上下大明神旗を立てたとい言われるが、大正12年の失火により枯れて今はなく、現在は旗立て松の二代目と石碑が有り、削平地と土塁状の地形になっています、
本陣からの見晴らしは抜群で遠く横浜みなとみらいまで眺望できる素敵な場所なので田代城攻めの後是非お越しください!
尚、車で行く場合見学者専用の駐車場は有りませんので、厚木カントリー倶楽部の駐車場に停めさせて頂く事になりますが、あくまで自己責任になります、登山道は、駐車場から随所に案内があるので分かり易いかと思いますが、途中カートの道を歩くので注意してください!

2020年09月30日 龍馬備中守【】
三増峠の合戦場跡[田代城  碑・説明板]



近隣にある田代城は津久井城を居城とした国衆の内藤氏とその一族が守りました☆三増峠の合戦☆この戦は武田氏VS北条氏の間で行われた戦☆武田氏と北条氏は抗争続けるも両者は和睦して甲相同盟が結ばれました☆これに駿河国の今川氏との同盟を結び3人の大名は甲相駿三国同盟を締結☆武田氏は信濃侵攻を行い北信地域において越後の長尾景虎(上杉謙信)と抗争‼️北条氏は北関東侵攻を行い同じく越後上杉氏と抗争☆両者は相互に協調して上杉氏に対抗して行く☆でも武田信玄はこの同盟を破棄して今川氏率いる駿河侵攻を開始☆さらにこれは北条氏との甲相同盟の破綻をも招き三増峠の合戦へ発展☆これによって北条領へ踏み込む武田信玄は滝山城などの北条方を攻撃したのち北条氏康籠る小田原城を包囲☆かつて上杉謙信が10万以上の兵力で落とせなかった堅城の小田原城☆武田信玄は城攻めはせず小田原城を包囲し3度にわたって挑発☆北条側はこの挑発には乗らず小田原城を出る事はせず武田軍は城下に火を放ち軍勢を引き上げます☆これに対して北条軍は後詰めの甲州街道守備軍の北条氏照、北条氏邦の軍勢2万が要所である三増峠に着陣し甲斐に帰国しようとする武田軍相手に有利に戦端を開く☆さらに北条氏政が2万余りを率いて北条氏照・氏邦の部隊と武田軍を挟み撃ちし殲滅する作戦を狙います☆北条氏政本隊は到着前で氏照・氏邦の部隊は先手を打って奇襲攻撃を仕掛けようとします☆これに気づいた武田信玄は部隊を3隊に分ける☆北条軍の攻撃を正面に受けつつ、1隊は津久井城の抑え1隊は山中に隠れ北条軍を横から急襲する作戦を取ります☆緒戦では北条軍有利に合戦は経過☆押す北条軍に武田軍は損害を受ける☆特に北条綱成が指揮する鉄砲隊が奮戦☆しかし黙っていないのが百戦錬磨の男、武田信玄☆志田峠に機動した山県昌景率いる武田軍の別働隊がより高所から奇襲に出ると戦況は一気に武田に傾く☆北条軍の背後、津久井城守備隊の内藤隊などの予備戦力は小幡氏、加藤氏ら武田軍別働隊に封じられる☆結果、馬力見せた武田軍は北条綱成の軍勢を押し戻す事に成功☆合戦が終わる頃に小田原城から追撃してきた北条氏政の北条本隊2万は荻野まで迫るも自軍の敗戦を聞きつけ進軍を停止し追撃はせず☆もし北条氏政の部隊が到着していたら…☆武田軍は追撃され逆に大敗していた可能性もあったかも☆

2014年01月11日 空灯
田代城

現在、城跡には中学校があります。
付近に駐車場等はありません。中学校の方にお願いして敷地内にとめさせていただきました。
遺構はほとんど残ってないとのお話でしたが、裏に狼煙台があったと言われる山があります。
今回は時間がなくて登れませんでしたが、多少は残っていそうな雰囲気でした。
中学校敷地内に八幡社があります。あまり参拝はされていなさそうでしたが、きれいにはされていました。

ここは三増合戦場のすぐそばにあり、武田信玄の小田原攻めの際に落城されたと言われているそうです。

田代城の周辺スポット情報

 三増合戦の首塚(遺構・復元物)

 田代城狼煙台跡(遺構・復元物)

 仙洞寺狼煙台跡(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 三増峠の合戦場跡(碑・説明板)

 胴塚の説明板(碑・説明板)

 槍小僧(碑・説明板)

 信玄道の碑(碑・説明板)

 田代城址案内板(碑・説明板)

 勝負谷戸(碑・説明板)

 細野城(周辺城郭)

 三増合戦武田信玄公本陣跡(寺社・史跡)

 浅利信種墓所と浅利明神(寺社・史跡)

 光明寺(寺社・史跡)

 愛川町郷土資料館(関連施設)

 東屋(その他)

 伝そわずの森(その他)

 伝いやが坂(その他)

 韮尾根(その他)

 志田峠(信玄道)(その他)

 狼煙台登り口(その他)

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