七沢城(ななさわじょう)

七沢城の基本情報

通称・別名

七沢要害

所在地

神奈川県厚木市七沢

旧国名

相模国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

扇谷上杉氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

丸山城(神奈川県伊勢原市)[5.1km]
荻野山中陣屋(神奈川県厚木市)[5.2km]
厚木館(神奈川県厚木市)[7.0km]
波多野城(神奈川県秦野市)[7.9km]
岡崎城(神奈川県伊勢原市)[7.9km]
海老名城(神奈川県海老名市)[8.0km]
真田城(神奈川県平塚市)[8.5km]
田代城(神奈川県愛甲郡)[9.4km]
座間城(神奈川県座間市)[10.3km]
磯部城(神奈川県相模原市)[10.4km]

七沢城の口コミ情報

2026年06月15日 尼崎城紀伊守一口城主
毛利季光屋敷[七沢城  周辺城郭]



私事ながら旧毛利領の山口出身なので、所用で関東を訪れた際に厚木市の毛利家発祥の地を訪れてみました。
Gマップに従い、小田急本厚木駅前より東京工芸大行きのバス🚌に乗車し六堂辻🚏で下車して約1キロ散策(※復路は六堂辻の隣の白山(バス停1停留所ほど本厚木駅寄)より乗車))
当日は『毛利元就ぶらり見て歩き』を参考に史跡巡りをしており、毛利家発祥の地の地名が厚木市下古沢だったので下古沢交差点🚥を通過する際にはいよいよ近づいてきたなとワクワク感が高まってきました。下古沢交差点からGマップに従い坂を下っていく道中、写真①中央辺りの目的地の毛利家発祥の地が見えてきました。辺りを見渡すと山が見える丘陵地帯(写真②)でした。坂を下っていく途中、ウォーキングマップ🗺️(写真③)があり、眺めてみると南毛利(なんもうり)の地名が見られました。坂を下って道なりに進むと写真④の高台が目的地で写真⑤→⑥と進み毛利氏発祥の地に到着。写真⑦右側が境内に鎮座する三島神社(大神)で写真⑦左側のクスノキの下に「毛利氏発祥の地 毛利季光屋敷跡」の石碑(写真⑧)が建っていました。写真では碑文が読みづらいかもしれないので下記に記しておきます。🔍「毛利氏は源頼朝が開いた鎌倉幕府の功臣であった大江廣元(1148〜1225)からでている。大江廣元は頼朝の政治を補佐し特に守護地頭の設置を献策したことで知られている。これらの功により、現在の厚木市小鮎・荻野・南毛利地区などを中心とした「相模国毛利庄」をはじめとした多くの所領が与えられた。廣元には六男五女の子供があり、四男の季光(1202〜1247)が後を継ぎ庄名をそのまま苗字として、毛利季光と名乗った。季光は毛利元就(1497〜1571)や毛利輝元(1553〜1625)の先祖であって、大江氏流毛利氏の始まりである。季光が居住した屋敷は遺物等に残っていないものの地域伝承や古い地図、古い地名からここの「三島神社」を中心とした一画にあったと伝えられている」
本口コミ序盤で参考にした本📕を読んでいると厚木市の毛利荘を本拠としたと思われる毛利(森)姓には森蘭丸の遠祖の清和源氏の森義隆もいるとのことでした。戦国期、毛利氏と森氏のいる織田方は戦うことになりますが、時代を遡っていくと毛利氏と森氏のご先祖様が厚木でご近所様だったとは思いがけない新たな発見でした💡

2024年06月30日 いれぶん武蔵守
堀切・竪堀[七沢城  遺構・復元物]



水汲沢奥を少し登ったあたりの峰筋の両側に深い竪堀があり、峰筋自体も3m程度の堀切を成していて、完全に通行を遮断している。峰筋以外の切岸が厳しく、かなりの防御をなしている。

水源林地となっていて鳥獣対策としてフェンスが設置されているが、立ち入り禁止とはされていませんでした。環境に配慮しつつフェンス扉を開けて入りましたが、古いフェンスがもう一段部分的に残っており、それをかわす為に扉から一度右に10mほど進んだのち、藪漕ぎしなから左側へ悪い足場を登っていくハメに。人が通った形跡は有りますが、道とは言えない山中を山蛭に襲われながらの道中です。ベテランの城友様には大変お世話になりました。

堀切の位置や意図、深さや形状にも大変満足しました。草の少ない時期にもう一度拝見したい

2024年04月20日 いれぶん武蔵守
広沢寺上杉定正夫妻墓[七沢城  寺社・史跡]



最近周辺整備を行なっていて、整然とした様子を見せていて気持を込めてお参りできます。特に表示はありませんし、一般墓参の方と特に通路を分けていませんのでお静かにするべきですが、御住職家内の方に場所を教えていただきました。

2024年04月11日 いれぶん武蔵守
実蒔原古戦場跡・説明板[七沢城  碑・説明板]



伊勢原市指定史跡
実蒔原古戦場
所在地 伊勢原市日向・西富岡
指 定 昭和44年2月27日
 文明18年(1486)7月26日、太田道灌が相模国糟屋(伊勢原市)にあった、主君扇谷上杉定正の館で謀殺されました。道灌没後、山内上杉氏と扇谷上杉氏の間に対立が生じ、ついに長享元年(1487)戦端が開かれました。長享の乱の勃発です。
 相模や武蔵国内などで両者の抗争が続く中、長享2年2月5日、扇谷上杉氏の本拠地槽屋を押えようと武州鉢形城(埼玉県寄居町) から出兵した山内上杉顕定は、軍兵一千余騎をもって押し寄せました。
 山内勢は糟屋の背後に当たる定正の弟、朝昌が守る七沢城(厚木市七沢)を攻め、城は落城しました。
 これに対して、定正は手兵二百騎余で河越城(埼玉県川越市)から駆けつけ、両軍は実蒔原で激突しました。実蒔の地形を熟知していた扇谷勢は、寡兵にもかかわらず、山内勢を打ち破りました。

 定正は後にこの合戦のことを「二度と学ぶべからざる行い」(上杉定正状)と述べています。
 山内勢の中には大田道灌の実子・資康がいました。
 なお、従来朝昌は七沢城落域時に討死したようにいわれていましたが、後に大庭城(藤沢市)を守備するようになりました。
平成22年3月
伊勢原市教育委員会

(図)実蒔原古戦場及び周辺の中世城館址
(説明看板全文)

2024年04月07日 いれぶん武蔵守
七沢城址案内板[七沢城  碑・説明板]



七沢城址の概要

室町時代の中ごろ、宝徳2年(1450)のことです。鎌倉公方(かまくらくぼう)足利成氏(しげうじ)の近臣たちと関東管領山内(かんとうかんれいやまのうち)上杉憲忠(のりただ)の重臣たちとの間に争いが起こります。上杉方に攻められた成氏は、いったん江の島にのがれますが、七里が浜での合戦で上杉方は敗退し、憲忠は七沢(ななさわ)山に要害を構えました。成氏は、この年5月に事態の成り行きなどを記した書状を室町幕府に差し出しました。これが「鎌倉大草子」という書物の中に残っており、初めて文献の中に、七沢城に関する記述が登場することになります。
長享2年(1488)、山内(やまのうち)、扇谷(おうぎがやつ)両上杉氏の間の不和が高じ、山内上杉顕定(あきさだ)が、当時扇谷上杉氏の所有していた七沢城方面に襲来します。扇谷上杉定正(さだまさ)は川越から一昼夜で駆けつけ、七沢城付近の南実蒔原(みなみさねまきはら)において、少数の兵で顕定の大軍を破り、奇跡的な勝利をあげました。これが実蒔原の合戦です。しかしこの時、定正例にも大きな痛手が生じたらしく、一説には、この時七沢城主であった七沢朝昌(ともまさ)(定正の兄弟)が戦死したとも伝えられています。七沢城が最終的に放棄された時期について、はっきりしたことは分かっていません。おそらく、小田原北条氏がこの地域を制圧する16世紀半ばではなかったかと思われます。
城の中心は、現在七沢リハピリテーション病院脳血管センターが建っている部分と思われますが、病院の東側、市立七沢児童館の建設に先立って行われた発掘調査の結果、ここにも15世紀の建物址などが残っていることが発見されました。建物址には、火災を被ったような痕跡があり、16世紀まで下らずに放棄されたようです。もしかすると実藤原の合戦の際に炎上したのかもしれません。七沢城は中世の山城であり、江戸時代の天守閣を備えた城とはかなり違ったものだと思われます。丘陵の地形をうまく利用し、部分的に造成を行いながら、相当な面積にわたって、大規模な砦のようなものを築いたのではないでしょうか。この付近には、七沢城に関連すると思われる古い地名が残っています。

右の写真は七沢城跡景観 中央の松付近が高旗、その手前平坦部が本丸。
右端の山は見城、その左奥が大山、その左手写真中央部は日向薬師裏山。
[昭和18年永江預章氏 撮影)

ここは水汲沢(みずくさわ)
七沢城内の将兵が使用する飲料水をここから汲みだした場所と言われている。
問い合わせ 厚木市産業振部観光振興課 TEL.046-225-2464
[説明看板全文]

七沢城址は医療施設建設に伴い、遺構は無くなったとされがちですが、この水汲沢の奥に堀切が残り、山頂にも曲輪と思われる遺構が先人より伝えられています

2023年07月04日 きた右馬允ひろ
七沢城



事前の情報入手怠ってしまったため、リハビリ病院のすぐ周囲しか見れませんでした。これから出向かれる方、どうもあちこちに七沢城址関連(案内看板)あるらしいので、前もっての情報入手、励まれると良いと思います🎵

2022年10月03日 鎌谷弾正大弼まつどん
七沢城



城跡にリハビリテーション病院がありました。でもなかなかの立地と感じました。

2021年05月23日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
毛利季光屋敷[七沢城  周辺城郭]



毛利季光屋敷は現在の三嶋神社の境内にあったようです、遺構は見当たりません、境内に、毛利氏発祥の地 毛利季光屋敷跡の碑が建っています!
三嶋神社内に車は駐車出来ます!

2021年05月23日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
伝跡部氏の屋敷跡(甲斐武田氏家臣)[七沢城  寺社・史跡]



先達のスポットにクチコミと写真を投稿させて頂きました!
武田信玄に仕え、軍中の使番に任じられ、後に四男の勝頼に付けられて、蜈蚣の指物を許された天正3年(1575年)の長篠の戦いで戦死した跡部重政の子?の跡部政次の館跡と伝わる場所です、甲斐武田氏に関わる所に諏訪神社有り、諏訪神社は周囲を見渡すに適した地形で、ちょっとした山城の雰囲気で、諏訪神社の境内が館跡だったのかなと思いを描きながら散策しました!
(Wikipedia等より)

2021年04月25日 龍馬備中守【】
岡津古久城[七沢城  周辺城郭]



神奈川県の伊勢原市にある岡津古久城☆伊勢原市と民家の裏山が城郭となっています☆
このお家の方の敷地になるのかなぁ〜?多分そうですwピンポーンとインターホンを押してお城見せて下さい〜♪って言ったら『どうぞどうぞ〜♪』と快く見せてくれました☆
ありがとうございました☆
お家がお城跡…何とも羨ましいですね☆

歴史詳細は何にも分かっていません…。。
ただし近隣住民の方々に聞いたら城山と呼んでいて城郭があると言う認識は皆さん持たれていました☆どの豪族様が居たのか?どの武将様に属していたのか?謎ですね〜☆
ただ城郭を確認した感じでは本当小さな城郭で砦程度のもので簡素な印象です☆入り組む独立した丘陵地に立地していて南北に郭が数段展開している程度です☆ただし城郭のある丘陵、谷また丘陵と小高い丘が幾つもある事から此方も城郭として使用出来そうな場所でもあります☆往時の城域は何処までなのか?気になります☆
近隣にある龍散弾寺は弘治3年北条氏綱公(北条早雲の長子)の舎弟である神保宮内郷輝廣公が現在の地に庵を建立しました☆龍散禅寺の寺紋は北条三鱗となっている事から岡津久古城は北条方の城だったか?あるいは砦だったか?はたまた、早い段階で歴史の渦に消えてしまったのか?

う〜ん妄想先行のやつですねw


2021年04月12日 eiki
見城台[七沢城  周辺城郭]



標高375メートルの見城山に築かれた詰め城、七沢温泉から、または広沢寺温泉から登山道が繋がっており、40分程の登りで登城できます。山頂部は郭を築くために施された土盛りと、虎口の門代わりに利用していたであろう大岩を確認しました。山自体が急峻で高い要害性があったものと思います。ベンチが2つあり、説明板も設置された眺めの良い場所でした。写真は相模原の街を見下ろしたものです。右の木の間から見える白い複合建築物は厚木リハビリセンターでここに上杉氏が七沢城を構えていました。

2018年12月23日 自宅療養中の征夷大将軍クララ姫
七沢城

【犬連れ宿泊情報】
七沢城直近にある厚木市七沢温泉、中でも七沢荘という旅館には二重サッシの防音コテージがありペット連れで宿泊出来ます。温泉もヌルヌルの天然温泉で、俗に言う『美人の湯』で、日帰り入浴も出来ます。

2015年03月01日 にゃにゃーにょ豊後守
七沢城

七沢城は大山の東山麓にあった、扇谷上杉氏の重要拠点だった城なのじゃ。
城跡の高台は「七沢リハビリテーション病院 脳血管センター」が建っており遺構は残っておらぬが、石碑と近辺数ヶ所に説明板があるぞい。【注意】神奈川リハビリの方と間違えぬようにの!

『見城(みじょう)』
七沢城の背後の山(見城山375m)にあり、七沢城の物見台・詰城として糟屋館や津古久峠へここから合図や連絡などしてたそうじゃ。山頂には小規模ながら郭跡があるぞい。見城山はハイキングコースにもなっており、ここから相模平野や都心までも一望できるのじゃ♪
【注意】夏はヤマビルがたくさん出没するので冬がおすすめぢゃ!

七沢城跡の北方に徳雲寺と云う寺があり、そこで相模国守護 扇谷上杉家当主であった『上杉定正』の墓を参るとよいのう。

☆厚木バスセンターから七沢・広沢寺温泉行バスで30分程じゃ。伊勢原からもバスがあるぞい。

☆七沢城の南方1.6Kmに『実蒔原古戦場跡』があるのじゃ。
七沢城を落城させた山内上杉顕定の大軍を、扇谷上杉定正が寡兵で撃破した合戦じゃ!石碑と説明板があるぞい。

2013年09月22日 空灯
七沢城

城跡には現在病院が建っています。敷地内に石碑があるようです。周囲何カ所かに説明版があります。


七沢城の周辺スポット情報

 七沢城(高旗)(遺構・復元物)

 堀切・竪堀(遺構・復元物)

 実蒔原古戦場跡・説明板(碑・説明板)

 実蒔原古戦場の石碑(碑・説明板)

 七沢城跡の石碑と説明板(碑・説明板)

 七沢城址説明板(碑・説明板)

 七沢城址案内板(碑・説明板)

 七沢城址案内板(碑・説明板)

 鐘ヶ嶽説明板(碑・説明板)

 門口(かどぐち・説明板)(碑・説明板)

 見城台(周辺城郭)

 岡津古久城(周辺城郭)

 毛利季光屋敷(周辺城郭)

 上杉定正公の墓所(寺社・史跡)

 伝跡部氏の屋敷跡(甲斐武田氏家臣)(寺社・史跡)

 観音寺(寺社・史跡)

 七沢淺間神社鳥居(寺社・史跡)

 日向薬師(寺社・史跡)

 広沢寺上杉定正夫妻墓(寺社・史跡)

 伝小町化粧池(寺社・史跡)

 伝小町井戸(寺社・史跡)

 広沢寺参拝者用駐車場(駐車場)

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