実蒔原古戦場跡・説明板

実蒔原古戦場跡・説明板([七沢城  碑・説明板])

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実蒔原古戦場跡・説明板の口コミ情報

2024年04月11日 いれぶん武蔵守
伊勢原市指定史跡
実蒔原古戦場
所在地 伊勢原市日向・西富岡
指 定 昭和44年2月27日
 文明18年(1486)7月26日、太田道灌が相模国糟屋(伊勢原市)にあった、主君扇谷上杉定正の館で謀殺されました。道灌没後、山内上杉氏と扇谷上杉氏の間に対立が生じ、ついに長享元年(1487)戦端が開かれました。長享の乱の勃発です。
 相模や武蔵国内などで両者の抗争が続く中、長享2年2月5日、扇谷上杉氏の本拠地槽屋を押えようと武州鉢形城(埼玉県寄居町) から出兵した山内上杉顕定は、軍兵一千余騎をもって押し寄せました。
 山内勢は糟屋の背後に当たる定正の弟、朝昌が守る七沢城(厚木市七沢)を攻め、城は落城しました。
 これに対して、定正は手兵二百騎余で河越城(埼玉県川越市)から駆けつけ、両軍は実蒔原で激突しました。実蒔の地形を熟知していた扇谷勢は、寡兵にもかかわらず、山内勢を打ち破りました。

 定正は後にこの合戦のことを「二度と学ぶべからざる行い」(上杉定正状)と述べています。
 山内勢の中には大田道灌の実子・資康がいました。
 なお、従来朝昌は七沢城落域時に討死したようにいわれていましたが、後に大庭城(藤沢市)を守備するようになりました。
平成22年3月
伊勢原市教育委員会

(図)実蒔原古戦場及び周辺の中世城館址
(説明看板全文)

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