真田城(さなだじょう)

真田城の基本情報

通称・別名

実田要害

所在地

神奈川県平塚市真田(天徳寺)

旧国名

相模国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

真田義忠

築城年

応永年間(1394〜1428)

主な改修者

上田氏

主な城主

真田氏、上田氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

岡崎城(神奈川県伊勢原市)[2.6km]
公所ほんの内屋敷(神奈川県平塚市)[3.3km]
糟屋館(神奈川県伊勢原市)[4.8km]
中原御殿(神奈川県平塚市)[5.2km]
波多野城(神奈川県秦野市)[5.4km]

真田城の口コミ情報

戸沢左馬助盛安様[2018年03月24日]
三浦家庶流の佐奈田与一義忠が砦を築いたことが始まり。
石橋山の戦いで義忠が壮絶な戦死を迎えた後は義忠の嫡男、岡崎実忠が継いだらしいが、1213年の和田合戦に巻き込まれて子共々戦死したらしい。

室町時代の真田城は扇谷上杉家(もしくはその配下の上田氏や三浦氏)の砦として機能していたと思われる。
1495年頃、大森藤頼が伊勢盛時(北条早雲)によって居城小田原城を奪われるという事件が発生、藤頼は縁戚にあたる三浦義同の支援を受けて実田城に逃れ戦ったと言われるが、伊勢氏の侵攻に破れ真田城にて自害したと言われる。
また、扇谷上杉家の家臣で相模国守護代の上田氏の居城(?)として整備されたとも伝わるが不明。
1510年 上田政盛が権現山城にて挙兵し伊勢家に寝返ったが、山内、扇谷両上杉家によって攻められ滅ぼされている。このとき山内上杉家によって実田要塞が攻められた記録があるため。少なくとも上田氏の支城として機能していたとは思われる。
その後の真田城の行方は不明

なお真田は後年の当て字であり 佐奈田もしくは実田が正しい

にゃにゃーにょ豊後守様[2016年07月01日]
実はここが「真田発祥の地」なのじゃぞ!

小田急線の東海大学前駅・鶴巻温泉駅が最寄りで、周囲より小高い台地上にある『天徳寺』が真田城の中枢だと云われておるのじゃ。

天徳寺に入ってすぐ左手奥に真田与一を祀る『与一堂』(眞田与一廟所)に解説板があり、天気が良ければ富士山も望める箇所じゃ。
本堂の裏手が主郭とされる曽我郭(ソガクルワ)で現在は墓地が広がっており、北東隅にある櫓台と伝わる土塁から周辺の平野部がよく見渡せるぞい。

堀跡なども残っておったそうじゃが平塚市の区画整理事業による発掘調査後に埋め戻され、現在は残念ながら道路やコンビニなどになっておる…。

他に天徳寺の東側にある鬼城(オンジロ)地区は真田城の出城のような場所で、そこの道路が屈折した形なのも東方からの防御のためと考えられるぞい。

★源頼朝の挙兵に馳せ参じ、石橋山の戦い(治承4年/1180年)で討死した真田与一(佐奈田義忠)が居館を築いたのが始まりなのじゃ。
ただ城としての遺構は後の領主、扇谷上杉氏による改修のようじゃのう。

廃城後、1574年に北条家臣の鈴木隼人が天徳寺を創建したそうじゃ。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore