中村館(なかむらやかた)

中村館の基本情報

通称・別名

所在地

神奈川県中郡二宮町山西

旧国名

相模国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

中村氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

今井陣城(神奈川県小田原市)[7.3km]
高麗山城(神奈川県中郡)[7.9km]
公所ほんの内屋敷(神奈川県平塚市)[8.0km]
小田原城(神奈川県小田原市)[9.3km]
真田城(神奈川県平塚市)[9.4km]
中原御殿(神奈川県平塚市)[9.8km]
岩原城(神奈川県南足柄市)[10.9km]
波多野城(神奈川県秦野市)[11.3km]
岡崎城(神奈川県伊勢原市)[11.4km]
石垣山城(神奈川県小田原市)[12.3km]

中村館の口コミ情報

2021年06月10日 笑門来猫
鴨沢城[中村館  周辺城郭]



伊勢宗瑞(北条早雲)が相模攻略の足掛かりとしたお城。要害という程の堅固さは感じられないのですが、曲輪が多数あり堀切や土塁も見られます。

2021年03月18日 【国替準備】国府左京大夫城介
曽我氏館[中村館  周辺城郭]



曾我兄弟の養父・曾我祐信の館

【歴史】
曾我兄弟の仇討ちで有名な曾我兄弟の養父である曾我祐信の館と伝わる。
築城年は不明だが、曾我祐信の父である曾我祐家が曾我荘を本拠としたことから、平安末期と考えられる。
曾我氏は室町時代には幕府の奉公衆にもなっているが、曾我荘に留まった一族もいたようで、永禄2年(1559)に曾我信正が北条氏康に叛旗を翻したが、逆に攻め込まれ、城に火を放ち、自害したと伝わる。

【遺構】
小田原城から北東6.8kmに位置し、剱沢川と森戸川に挟まれた台地上にあると推定されています。推定場所には、石碑と曾我一族郎党の供養御堂があります。
遺構はほぼ残っておらず、唯一曾我祐信・曾我兄弟の墓がある城前寺に土塁跡が残っている。
「新編相模国風土記稿」によると、方形居館(200~300m四方)で、外構えの土塁や、高さ2.5m前後の土塁で囲まれた館があったと記されている。小田原市が発掘調査をしたが、館にかかる遺構や発掘物は発見されなかった。

【感想】
曾我兄弟の仇討ちで有名な曾我氏の本拠地ですが、遺構自体はほとんどありません。
土塁があるという城前寺は、自分が訪れた時、門が閉まっており入ることが出来ず、曾我兄弟の墓を含め土塁を確認できませんでした。また、この城前寺は保育園になっているので、平日の訪問は難しいかもしれません。また、この城前寺の正面には、孝行阿弥陀と呼ばれる仏像があるのですが、これは赤穂浪士の一人・吉田忠左衛門兼亮の遺児が亡父の三十三回忌に造像したものです。日本三大仇討ちの二つが、この寺に関係しているのは歴史の面白い偶然だと思います。

【アクセス】
JR御殿場線・下曽我駅から徒歩で10分。
居館跡地は細道なので、車の場合は城前寺の駐車場に停めてください。

【写真】
1:曾我氏館跡石碑
2:説明板
3:曾我一族郎党の供養御堂
4:城前寺
5:孝行阿弥陀

2021年02月13日 でんろく刑部卿パルキー
中村館



神奈川県二宮町にある中村館のリア攻めに行きました。中村氏は、明応三年、三浦義同が養父・時高を討ったとき、時高の家臣として名のみえる中村民部少輔の一族とされ、その頃居館として使用されたようです。現在は真言宗東寺派の川匂山密巌院というお寺の一体が跡地のようです。箱根駅伝で有名な国道1号線の川匂神社交差点から少し坂を登ると密巌院があります。お寺は少し高台にあり、更に上がありますが通行止めでした。周囲を半周ほど回り館跡地を感じました。館跡から見た薄靄の夕暮れが綺麗でした。

中村館の周辺スポット情報

 須藤家の門(移築小田原城二の丸幸田門)(遺構・復元物)

 鴨沢城(周辺城郭)

 曽我氏館(周辺城郭)

 城前寺(寺社・史跡)

 千代南原遺跡(寺社・史跡)

 曽我岸本岸遺跡第Ⅰ地点(寺社・史跡)

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