岡崎城(おかざきじょう)

岡崎城の基本情報

通称・別名

相模岡崎城

所在地

神奈川県伊勢原市岡崎(無量寺)

旧国名

相模国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

岡崎義実

築城年

平安時代中期

主な改修者

三浦義同

主な城主

岡崎氏、三浦氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

市史跡

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

真田城(神奈川県平塚市)[2.6km]
丸山城(神奈川県伊勢原市)[3.3km]
公所ほんの内屋敷(神奈川県平塚市)[3.8km]
中原御殿(神奈川県平塚市)[4.2km]
高麗山城(神奈川県中郡)[6.2km]
梶原景時城(神奈川県高座郡)[6.5km]
波多野城(神奈川県秦野市)[7.5km]
七沢城(神奈川県厚木市)[7.9km]
厚木館(神奈川県厚木市)[8.1km]
海老名城(神奈川県海老名市)[10.3km]

岡崎城の解説文

岡崎城は、平安時代末期から鎌倉時代の武将である岡崎義実によって築城された城郭である。

岡崎義実は鎌倉時代になると幕府から岡崎の地を安堵され、岡崎城を居城として周辺を領有した。

だが室町時代になると三浦時高がこの地を領有するようになる。

その三浦氏も北条早雲によって攻略され、同地は後北条氏の領地となる。岡崎城はその後廃城となったとされている。

岡崎城の口コミ情報

2024年08月06日 マグロ常陸介祐平
大森氏頼館[岡崎城  周辺城郭]



太田道灌と並ぶ扇谷上杉氏の重臣、大森氏頼の館です。岡崎古城の東となりに位置しており、別名は岡崎古城と同じ矢崎城となります。館跡に創建された紫雲寺は、氏頼の開基で相模風土記稿にも氏頼の宅蹟と伝わるとされています。

小田原城主の子息(後に小田原城主)がどうしてここに館を構えたのか、不思議な感じもしましたが、三浦氏とは姻戚関係にあり、兄の憲頼も近隣の平塚城に拠っているので不自然ではないようです。

紫雲寺にある「大森寄栖庵氏頼公居館址」の石碑には、「古城研究家の説によると当寺の境内は城郭の相を確実に残している」と書かれていますが(写真6枚目)、主郭と思われる高台は、郭のような地形ではありますが、明確な遺構は見られません(写真1,2,3,5枚目)。

2024年08月05日 マグロ常陸介祐平
岡崎古城[岡崎城  周辺城郭]



岡崎神社周辺が城址となります。別名は岡崎館、岡崎南部方形囲郭群、矢崎城と呼び名の多いお城です。岡崎城(無量寺)の説明板によると、三浦義継の四男の岡崎義実の築いた初期のお城とされています。(鎌倉時代前期に廃城になったとは思えませんが)

お城は西郭と南東郭が東西に並びますが、南東郭は私有地の為見ることが出来ません。岡崎神社が西郭となりますが、神社背後に土塁の痕跡のような土盛りと参道の階段沿いが二段の郭のようにも感じられますが、原形を留めているとは思えません(写真1,2,3,4,7,8枚目)。
階段下の公民館には、岡崎義実の銅像と説明板があります(写真5,6枚目)。

2024年08月04日 マグロ常陸介祐平
岡崎城



三浦道寸が、子の義意を新井城に置き、古城に手を加え居城としたお城で、永正9年(1512年)に北条早雲により落城しています。その後、北条氏の持ち城となったようですが、廃城時期等はわかっていないようです。

無量寺が本丸のようで、東側の段々は曲輪のようですが、整地されていて実感がわきません(写真2,3,5枚目)。
本堂の西側裏手には、畑や薮になっている3つの曲輪が南北に並ぶようですが、立ち入り禁止で見ることは出来ませんでした。お寺と立ち入り禁止の区域の間の堀切は歩道となっていますが、道の先に見られるのは切岸となります(写真1,4,6枚目)。先人様が遺構の写真を投稿されているので、入り口が別にあると思われます。

お城の200m東に、野陣台と呼ばれる見晴らしの良い武士の駐屯場がありますが、どのような施設なのか、よくわかりません(写真8枚目)。

お城から300m程西には、岡崎義実公の墓があります(写真7枚目)。

2024年08月03日 マグロ常陸介祐平
城所城[岡崎城  周辺城郭]



岡崎城から東に1km、浄心寺付近が城址となります。新編相模風土記稿には、『浄心寺境内に在り 方二町許(今は畑となる)何人の居城たるを伝へず 或説に左大臣冬嗣八世の孫 豊後守盛久が四男 城所四郎盛直の居城たりしと云 按ずるに 観応年間の頃 城所藤五郎正揚當初に住せし由 家系にみへたれば(注記省略) 城所氏世々の居城なりしなるべし 其藤五郎直賢の時 三州に移れり(注記省略)』と書かれており、糟屋氏の庶流のお城の可能性があるようです。

浄心寺の裏にあったとされるお城は、昭和40年代に土取りの為、消失したとされていますが、本堂の裏には土塁のように見える土盛り(写真1枚目)や、虎口状の構造(写真2枚目)を見ることができます。

消失した城山(城所山)に接続していたと思われるお墓付近は何となく曲輪感があります(写真4,5,6枚目)。また、消失した部分には大戦中に高射砲が設置されていたようです。

浄心寺自体は、開山の月松宗尖が天正五年に亡くなっており、移転して今の場所にあるようですが、境内には中世のものに見える宝篋印塔の残欠(写真7枚目)が見られます。また、お城とは関係ありませんが、このお寺の石仏(写真8枚目)は見ごたえがあります。

2023年04月24日 左近衛少将てつ
岡崎城

無量寺に岡崎城址の石碑と説明板あります。

2022年12月10日 マグロ常陸介祐平
真土城[岡崎城  周辺城郭]



城址には、真土神社が建っています。遺構は見当たりませんが、台地の先端のような地形でいかにもといった感じです。境内にある真土略誌の石碑には、城主の杉浦藤左衛門など歴代の統治者が記載されていますが、城には触れていません。宝篋印塔の破片のような石造品もあり、歴史を感じます。

2021年03月28日 奥月
岡崎城

公共交通機関派の人は、伊勢原駅からバスが通っています。最寄りのバス停は「岡崎城址入口」です。

2021年01月30日 でんろく兵部卿パルキー
岡崎城



伊勢原市岡崎にある無量寺入口、境内に説明板や石碑が多く残っています。少し高台にありますので、城があった事は地形学的にもわかります。三浦氏ゆかりの城のようです。
帰り道見た富士山が綺麗でした。

2020年12月29日 masayu
岡崎城

平塚市側に岡崎神社がありますが、こちらは鎌倉時代の岡崎城本丸です。岡崎南部方形囲郭 で検索すると出てきます。遺構はほぼ残ってません。

2017年02月02日 まー刑部卿
岡崎城

住職曰く『お城の跡地に建っているため何も観るものもありません』と言われました。駐車場は境内にもありますがその日は午前中から法事があるのと入口が狭かったため住職から『短時間ならOK』の了承を得て境内前の道路へ路駐。但し土曜日でしたが横切る車はほぼありません。先人も言われる通りお墓の裏に空堀・畑が郭跡でした。また境内前の道を少し下り『岡崎四郎義實公墓』の矢印板通りに進むと畑がありそこも空堀跡。なお『岡崎四郎義實公墓』は徒歩約10〜15分ほどです。途中左手に真新しい住宅地が続きますが気にせず進んでください。境内に井戸がありましたが後世のもののようでした。

2011年05月09日 釧路守壱百弐拾五
岡崎城

境内の浦手にあたる方面に三浦氏の墓が在り、そこへの途中の畑がまさに空掘り跡の形をしてます。他にも痕跡がたくさんありそうで〜す。

岡崎城の周辺スポット情報

 岡崎四郎義実のお墓(碑・説明板)

 相模岡崎城跡 野陣台(碑・説明板)

 岡崎城址の碑(碑・説明板)

 岡崎城跡説明版(碑・説明板)

 城所城(周辺城郭)

 真土城(周辺城郭)

 岡崎古城(周辺城郭)

 大森氏頼館(周辺城郭)

 岡崎神社(寺社・史跡)

 曹洞宗 紫雲寺(寺社・史跡)

 貴船神社(寺社・史跡)

 城所三面大荒神社(寺社・史跡)

 岡崎義実像(その他)

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