厚木館(あつぎやかた)
厚木館の基本情報
通称・別名
- 厚木氏館
所在地
- 神奈川県厚木市旭町2(伝承地)
旧国名
- 相模国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 厚木掃部介
築城年
- 室町時代中期
主な改修者
- -
主な城主
- 厚木氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
海老名城(神奈川県海老名市)[2.2km]
早川城(神奈川県綾瀬市)[4.8km]
丸山城(神奈川県伊勢原市)[5.4km]
荻野山中陣屋(神奈川県厚木市)[5.8km]
座間城(神奈川県座間市)[5.9km]
七沢城(神奈川県厚木市)[7.0km]
磯部城(神奈川県相模原市)[7.9km]
梶原景時城(神奈川県高座郡)[8.1km]
岡崎城(神奈川県伊勢原市)[8.1km]
真田城(神奈川県平塚市)[10.4km]
厚木館の口コミ情報
2024年07月01日 いれぶん[⭕️雁雁]
小町神社[厚木館 寺社・史跡]
鎌倉時代、源頼朝の側室丹後の局は頼朝の子を身ごもったことから、政子に恨まれて処刑されそうになりました。それを命じられた畠山重忠(鎌倉初期の武将)の家人本田次郎が心をひるがえして局を連れて、難波(大阪)へ逃げるという事件が起こりました。しかし、一説では、地元の豪族愛甲三郎季隆が局をかくまって、この山里に住まわせたと言い伝えられています。丹後の局は政子の恨みのためか、精神的苦しみからか、今までの黒髪が一夜にして老婆のような自髪に変わってしまいました。非常に悲しんだ局は小町神社の祭神の小町姫にお願いをして数日間祈願を続けたところ、不思議なことに、白髪がまた元のように黒髪に戻りました。それ以来小町神社には、絵馬をあげいろいろな願いをこめて参詣する女の人が多くなりました。
(解説板より一部抜粋)
2024年06月30日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
愛甲三郎再興の小野神社[厚木館 寺社・史跡]
神社の駐車場はありますが関係者専用みたいだったので自己責任で路駐して見学しました。
2024年06月30日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
愛甲三郎関連史跡 御屋敷添橋[厚木館 碑・説明板]
この橋は東京オリンピックに際し建設された屋敷添橋の名称は、この付近一帯が、鎌倉幕府の御家人愛甲三郎季隆の屋敷であったとされる事から、明治九年に中ノ御所から御屋敷添という小字名に変更されることに由来する。
(碑説明より)
とあります。
2024年06月30日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
愛甲三郎関連 縁切り橋の碑[厚木館 碑・説明板]
鎌倉時代に愛甲三郎季隆は、源頼朝に愛されていた丹後の局を案内して安産祈願のために日向薬師にお参りした時に、頼朝の妻政子が差し向けた1千騎の軍に愛甲館を焼き討ちにされるこの急報を受けた季隆は、この橋のたもとまで来るとすでに館は火の海、これを機に季隆は北条方から心が離れてしまい後に和田合戦へと進んでいきます、このことから、村人はこの橋を縁切り橋と呼ぶようになった。
(碑説明より)
駐車場はありませ今回自己責任で路駐しました。
2024年06月30日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
愛甲季隆供養塔[厚木館 碑・説明板]
本堂の左奥にあります。墓地改修誌には、愛甲三郎季隆ノ香華院トシテ供養塔ガ言イ伝エラレテイルと記されていました。
(今回愛甲城(愛甲三郎館)に車を駐車して徒歩で訪問しました)
2022年12月11日 マグロ常陸介祐平
法雲寺[厚木館 寺社・史跡]
法雲寺は、北条氏の重臣で江戸幕府の旗本の山角氏の菩提寺です。墓域には歴代の墓があります。小田原城落城後に家康に仕えこの地を与えられ、館も寺に隣接していたようです。山角氏はメジャーではありませんが、旗本として9家存在していました。
2022年12月10日 マグロ常陸介祐平
厚木館
城址は、墓地のあるお寺の本堂に神社の額がある(鳥居はありません)不思議な空間となっています。遺構も説明板や石碑なども見当たりません。那須与一の供養塔がありますが、こちらも説明はありません。
2022年11月11日 みっちゃん
厚木館
本厚木駅から徒歩12.3分で着きました。今は神社で遺構は何もありませんでした。
2022年05月07日 コロスケコロコロ
厚木館
マンションや住宅に囲まれて、静かに佇んでいます。
2021年05月23日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
愛甲城関連史跡伝遠矢塚[厚木館 寺社・史跡]
愛甲三郎季隆は弓の名人として知られ、源頼朝・頼家・実朝と、鎌倉幕府の将軍3代に仕え、愛甲地区(愛甲城)から2キロはなれた現在の厚木市にある愛名やまゆり園のあたりまで矢を飛ばしたという、愛甲三郎遠矢塚伝説がこの地域に残っていて、この地の伝承に因んでこの公園にとうやずかの名が付けられ伝承を今に伝えています!
(タウンニュース厚木版等より)
2021年05月23日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
愛甲城(愛甲三郎館)[厚木館 周辺城郭]
先達の方のスポットにクチコミと写真を投稿させて頂きました!
愛甲三郎季隆の居城跡と伝わる場所です 、愛甲三郎季隆は武蔵七党の一つである横山氏の一族とされ、また、愛甲三郎季隆は弓の名手として有名で、二俣川の戦いでは畠山重忠を弓で倒した武勇も伝わっています!
車の駐車は石碑の前の空きスペースをお借りしました!
Wikipediaより
2021年05月23日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
厚木の渡し・碑[厚木館 碑・説明板]
先達の方のスポットにクチコミと写真を投稿させて頂きました!
相模川をわたるために設けられた渡船場で, 海老名 市河原口とをむすび, 五隻の船で往来していた場所です!
駐車場は有りません、自己責任で路駐となります!
2021年05月23日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
石田城 馬洗場[厚木館 寺社・史跡]
石田三成のルーツ?と伝わる石田城に行きました、ここは石田城の馬洗場跡であったと言われている場所です、道を挟んだ向かい側に水神様が有り、そこに石田城の想像縄張り図が掲示されていました、そして遺構は先達の方がクチコミを投稿していましたので参考にさせて頂き見学しました、本丸は円光院の境内のようです!
石田城の城主だった石田為久が使っていた旗印が大一大万大吉であったと、伝わる事からもしかしたら石田三成のルーツかなと思いながら城跡を暫し眺めていました、尚、この地の周辺には毛利家のルーツと伝わる場所と鎌倉時代の御家人で弓の名人とされる愛甲三郎季隆の居城と伝わる場所も有ります!
駐車場は有りません、自己責任で路駐になります!
2021年04月25日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
厚木館
神奈川県の厚木市にある厚木館☆別名を厚木氏館とも呼びます☆
城主だった厚木氏は戦国時代に下野宇都宮氏の家臣で真岡城主・芳賀高経の家来でした☆
芳賀一族の芳賀高義の3男・芳賀朝高が、下野・厚木城である厚木氏の租とされています♪出所は下野国なんです☆
主君・芳賀高経はVS壬生綱房との対立からか従っていた宇都宮城主である宇都宮興綱から離反をしようとします☆
この時に厚木朝高は謀反を起こさない様に芳賀氏を説得しようとしますが失敗した為に出奔したと伝わります☆
その後に厚木氏は小田原城の北条氏を頼り与えられた領地が相模・厚木城に土着したとされています☆
ただし厚木朝高は土着後には結城晴朝に従っていて下野・厚木城に復帰しますが水谷勝俊の攻撃を受けて没落したと伝わってます☆
と言う事は相模・厚木城は短期間に使用された居館と言う事なのかな〜??
結城合戦で結城勢として討死した厚木掃部介は厚木掃部介は相模の厚木郷を知行していたともされています☆
結城合戦は室町幕府と関東諸豪族との戦いですので相模から参じていた様です☆
相模・厚木氏、下野・厚木氏?この時期に分家と言うか2つに分かれて行ったのかな〜?この辺は謎です☆
厚木城跡には智音神寺が残ります☆
元々は【智音寺】という寺で戦国時代の天正年間に開山されました☆
徳川家康が江戸城に入城するとここ智音神寺を含めた何個かの寺は寺領3石の御朱印状を受けています☆智音神寺の墓地の奥にある小さな御堂には五輪塔が2基あって那須与一の墓ともされています☆
突然の那須与一の墓?分からない事だらけですねw厚木氏の墓じゃ無いのかな〜?
歴史は分からない事だらけですね☆だから紐解く♪楽しいですね☆
2021年02月19日 三輪左近衛少将直虎
石田城[厚木館 周辺城郭]
平安時代の石田郷は木曽義仲を討ち取った石田五郎為久の本拠地ですが、為久と石田城を関連づけるものはありません。遺構は鎌倉時代のものでないことは明らかで室町時代に改修されたものと考えられています。
最初は圓光院の境内を散策した程度で遺構は何も残らないと思って帰りました。城の中心はもう少し北にあることを後に知り再訪してみると、石田スポーツプラザの北側にある宅地に見事な土塁が残っていました。細い道は空堀の痕跡で台地の東側には水神を祀る池があります。そこには石田城の歴史を簡潔に記した解説板も設置されています。
2020年12月02日 でんろく兵部卿パルキー
厚木館
本厚木駅から朝ランニングして厚木館に攻城しました。入口には知音寺境内と案内板がありますが、本堂?本殿は知音神社⛩と書いてあります。明治期の廃仏毀釈でそのようになったとの伝聞ですが、違和感は拭えません。
本殿の周りにたくさん咲いていたエンジェルトランペットは綺麗でした。
2014年04月01日 にゃにゃーにょ豊後守
厚木館
本厚木駅から徒歩5分ほどの場所にある『智音神社』が厚木館跡と伝わっておるのじゃ。遺構は特に残ってはおらぬ、市街地じゃからのう。
昔は智音寺という寺だった様じゃが明治の廃仏毀釈で廃寺となってしまって…
なので神社なのにお墓があるのじゃ。
那須与一の墓と伝わる五輪の供養塔があるのじゃ!しかし案内板などないのでわかりづらいのう…。
他に鬼子母神堂もあるから参るとよいぞ。こっちは由来の説明板もあるのじゃ。
厚木館の周辺スポット情報
厚木の渡し・碑(碑・説明板)
高札場跡(碑・説明板)
渡辺崋山滞留の地碑(碑・説明板)
愛甲三郎関連 縁切り橋の碑(碑・説明板)
愛甲三郎関連史跡 御屋敷添橋(碑・説明板)
愛甲季隆供養塔(碑・説明板)
烏山藩厚木役所(周辺城郭)
愛甲城(愛甲三郎館)(周辺城郭)
石田城(周辺城郭)
石田城 馬洗場(寺社・史跡)
愛甲城関連史跡伝遠矢塚(寺社・史跡)
法雲寺(寺社・史跡)
伝愛甲三郎の居館跡(寺社・史跡)
愛甲三郎再興の小野神社(寺社・史跡)
小町神社(寺社・史跡)