早川城(はやかわじょう)

早川城の基本情報

通称・別名

早川城山、城山(じょうやま)

所在地

神奈川県綾瀬市早川城山3(城山公園)

旧国名

相模国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

渋谷氏

築城年

鎌倉時代?、室町時代前期?

主な改修者

主な城主

渋谷氏

廃城年

遺構

腰曲輪、土塁、堀切、物見塚

指定文化財

県史跡(早川城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

落合館(神奈川県綾瀬市)[2.9km]
海老名城(神奈川県海老名市)[4.3km]
厚木館(神奈川県厚木市)[4.8km]
座間城(神奈川県座間市)[5.6km]
深見城(神奈川県大和市)[7.5km]

早川城の解説文

現在、城山公園として市民に親しまれている早川城跡は、かつては城山(じょうやま)と呼ばれ、鎌倉武士渋谷氏の居城という伝承のある中世(鎌倉時代から戦国時代にかけて)の面影を色濃く残す山城跡である。

綾瀬市教育委員会は平成元年~6年、早川城跡の学術研究を目的とした発掘調査を行った。これは周辺の区画整理事業の影響が早川城跡にも及ぶことが懸念されたためである。

調査の結果、早川城跡は室町時代初期ないし鎌倉時代にまでさかのぼる可能性のある中世城郭であることが明らかとなった。

県内でも、往時の姿を良好に残す数少ない城郭であることから、その学術的価値も高く評価され、2008年、神奈川県指定史跡となった。

城山は目久尻川に向かって相模野台地の南端が舌状に突き出した先端に位置し、その東~南~西側は急峻な崖で、天然の要害の地となっている。中世の城は、石垣を積み上げる戦国時代以降の城とは異なり、周囲に掘切を巡らし、その内側に掘った土を積み上げ土塁を築いて、主郭(戦国時代の城では本丸に当る部分)が造られた。

早川城跡では三方を崖に囲まれた地形が利用され、北側の台地へと続く部分に深い掘切を設け、内側に土塁を築き、加えて周囲の急斜面にも掘切と土塁が巡らされて主郭が形成されている。

主郭西部には物見塚があり、西側斜面2ヵ所では曲輪(腰郭)が確認された。この城郭は、有事の際に武士が立て籠もる砦としての機能をもった山城だと考えられている。

また、中世城郭遺構のほかに、縄文時代中期及び古代の竪穴住居址も多数確認された。城が造られる以前、この地には大規模な集落が存在していたと推定されている。

調査結果を受けて開発計画の一部が再考され、城跡は現在、城山公園の中で中世城郭の遺構を残した状態で保存されている。

情報提供:綾瀬市教育委員会生涯学習部生涯学習課

早川城の口コミ情報

相模守愛洲久忠様[2016年04月05日]
綾瀬市役所そばの「城山公園」が早川城跡です。城の北東側は平坦な台地で防衛に不向きな為に比較的大規模な空堀を巡らせたようでその名残を確認することができます。反対の南西側は早川との谷の段差を利用した天然の要害となっています。主郭部南西側には比高2㍍の円形土塁があり「物見塚」とされていますが、ちょっとした櫓を立てれば物見櫓の役目を果たしていたのでしょう。出土品から平時には祭祀も行われていたようです。主郭土塁の一部を加工した腰曲輪も数カ所確認されています。
鎌倉時代桓武平氏の流れをくむ秩父党の一派渋谷重国が相模渋谷荘の荘司になったと考えられ源頼朝に臣従すると子の高重と共に鎌倉幕府の御家人となりその所領を安堵されたようです。渋谷氏の支配はその後室町時代初頭まで続いたとされています。

空灯様[2013年09月09日]
公園として整備されているので、しっかりした駐車場があります。
案内板がたくさんありましたが、いまいちわかりにくいです。
遺構もほぼわからず、城跡としてよりは、公園の感じが強いです。
BBQなどができる炊事場なんかもありました。

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