深見城(ふかみじょう)

深見城の基本情報

通称・別名

一の関城山、城ヶ岡

所在地

神奈川県大和市深見120

旧国名

相模国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

山田経光

築城年

宝徳4年(1452)

主な改修者

主な城主

山田氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

成瀬城(東京都町田市)[5.3km]
榎下城(神奈川県横浜市)[6.2km]
座間城(神奈川県座間市)[6.7km]
早川城(神奈川県綾瀬市)[7.7km]
磯部城(神奈川県相模原市)[8.1km]
岡津城(神奈川県横浜市)[8.8km]
中和田城(神奈川県横浜市)[9.2km]
海老名城(神奈川県海老名市)[9.2km]
池辺陣屋(神奈川県横浜市)[9.5km]
沢山城(東京都町田市)[9.7km]

深見城の解説文



深見城(ふかみじょう)は、神奈川県大和市深見字城ヶ岡にあった日本の城。

概要 

大和市の北東、横浜市瀬谷区との市境となっている境川中流の右岸台地縁辺部に立地する、南北約100メートル、東西約150メートルほどの規模の中世城郭。1984年(昭和59年)~86(昭和61年)[1]、1999年(平成11年)~2000年(平成12年)[2]の発掘調査の結果、堀、土塁、虎口、土橋、土坑、井戸などの遺構や、輸入青磁や国産陶器、銭貨などの遺物が出土した。築城・廃城期は不明であったが、発掘調査によって14世紀末頃から15世紀中頃と、16世紀代の2時期の利用が考えられるという[3]。享徳4年(1452年)という説もある。城主については『新編武蔵風土記稿』によれば、隣接する瀬谷の領主「山田伊賀守経光」とする説がある。

現在、城の西側が下水処理場になっている。また南西側は「城山史跡公園」となっている。

参考文献 

  • 大和市教育委員会『大和市文化財調査報告書第30集 深見城跡』1988年
  • 大和市教育委員会・城山史跡公園内深見城発掘調査団『神奈川県大和市大和深見城跡発掘調査報告書』2001年
  • 宮坂淳一・松葉崇「神奈川の中世城館(4)-中世プロジェクトチーム-」『神奈川の考古学-かながわ考古学財団研究紀要17-』公益財団法人かながわ考古学財団 2012年 pp.59-68
  • 藤木久志「戦国時代の戦を生きる-深見城と村の城」『大和市史研究』第39号 2015年 pp.105-133.

深見城の口コミ情報

2024年01月20日 RED副将軍
深見城



首都圏に大規模な空堀が残存する北条氏改修とされる城跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代等の詳細不詳。1452年に山田経光により築かれたとも伝わりますが定かではありません。
山田経光は藤原氏の末裔と云われ、1452年には境川対岸の瀬谷・中屋敷を居館とし扇谷上杉氏の家臣であったとされます。
その後、山田氏は北条氏に従属し、近隣の早川城と同様に北条氏の支城として機能したと考えられています。

見所
境川南岸の河岸段丘上に築かれており、矢倉沢往還と鎌倉街道の交差点からも近い水運と陸運の要衝に位置します。
主郭は北を除く三方に土塁が巡り、南側の東西に2ヶ所の平入虎口が開口。土塁の外側が折れて横矢掛かりとなっています。
北側背後は境川を天然の堀として利用しています。
内堀と外堀の二重の空堀が南側に巡り、西側の天竺坂は堀底道であり現在もそのまま残存します。
空堀は北条建設のテイストが感じられました。

行き方は、深見歴史の森スポーツ広場を目標に設定し駐車場を利用。北東部が深見城跡となります。

2022年02月21日 左近衛少将てつ
深見城

深見歴史の森として保存されていますが、森の中はあまり城址の痕跡が残っていません。深見城の空堀である天竺坂は、とても良い雰囲気はです。近くに鎌倉古道があり、歴史が感じられます。

2020年09月12日 長森原
深見城



深見城がある地は、古代の官道であった矢倉沢往還が東西に走り、境川両岸を鎌倉街道上ノ道ともう一つの鎌倉古道(深見城を通過している)の両道が南北に縦走する古くからの交通の要衝地でした。

さらに戦国時代には後北条氏によって新たに整備された街道がこの地に加わりましたが、それが玉縄城と滝山城を短距離で繋ぐ軍事道路=滝山街道です。
滝山街道は深見城の大手西方700m付近を通過しています。

戦国期に改修の跡が見られる深見城(発掘調査により一部堀底に縦畝型障子が確認されている)は、戦国後期は後北条氏の陣城かつ滝山街道の中継兵站基地として利用されていたのではないかとの見方が強まっているようです。

参考文献・大和市発行「大和市の歴史」

2020年09月11日 長森原
深見城



深見城の天竺坂と交差する城跡説明板が立っている道、一見普通の道に見えますが実はこの道は鎌倉古道です。
この古道は境川右岸(西岸)を相模原台地の縁に沿って南北に通じており、南端は東海道藤沢宿に接続し、北は淵野辺城、片倉城を経て八王子に通じていました。

四万坂古戦場は深見城からこの古道に沿って南下した所に有りますが、その途中には一ノ関、島ケ関という地名が残っており、城との関連性を想像させます。

2020年05月05日 相模守愛洲久忠
妙光寺[深見城  寺社・史跡]



神奈川県重要文化財の梵鐘です。1452年に山田経光により現在の緑区恩田郷萬年寺から、瀬谷区の妙光寺へ寄進されたと伝わります。ちなみに萬年寺さんは現在廃寺です。
何故、萬年寺の梵鐘が妙光寺に移されてしまったのかがとても不思議ですが、実は寺の和尚が賭け碁が好きでそれが高じて寺が廃れ、ある日物乞いの者に姿を変えた仏様に持ち去られてしまったという言い伝えが、まんが日本昔ばなしの「萬年寺のつりがね」の話の中に出てきます。

2020年05月03日 相模守愛洲久忠
深見城



1452年山田伊賀守経光による築城であると新編相模国風土記稿と、山田経光が居館を構えていた中屋敷と同じ瀬谷区にある妙光寺の梵鐘に追刻がされています。
城は西側に二重空堀と土塁が巡らされており、主郭と空堀の間には小さな馬出し郭が南北に四つ置かれ、それぞれが土橋で連結された二ヶ所の並び虎口が主郭への出入り口になっています。
伊勢原市糟屋館の扇谷上杉家・上杉定正の家臣であった小豪族・山田伊賀守経光が、何故主家扇谷上杉家の方角である深見城の西側に防御を施したのか?の疑問を、扇谷上杉家が関東管領・上杉顕定と共に埼玉・五十子陣に在陣し、古河公方・足利成氏と対峙した折の山内上杉家有力家臣・長尾景春の乱に乗じたのではないかと、武蔵松山城の上田友直(扇谷上杉家家臣)に宗教上の理由で同調していたことと、一族と思われる山田右京進(横浜市緑区榎下城主)や、山田伊賀守直安(東松山市青鳥城主)が上田友直の被官だったことなどから推理してみました。
深見城の南方500メートル程の場所に、四万坂合戦場跡がありますが、これは山田家が扇谷上杉家の家宰・太田道灌に攻められた時のものと史料に残っています。

写真① 四万坂古戦場案内板
写真② 二重堀切、主郭寄りの1条
写真③ 主郭
写真④ 土橋
写真⑤ 主郭虎口

2019年05月14日 熊啄木鳥天塩守
深見城



深見城から北5km程(東急線つきみ野駅から徒歩5分程)にある「つる舞の里歴史資料館」で模型が展示されています。
現地の堀や土塁は長年の間に崩れてなだらかになっていますが、展示の模型はある程度鋭さを持たせているので、分かりやすいと思います。
小規模ながら複雑な堀の形状をしていますが、現地ではなかなか分かりづらいです。

2019年04月20日 まさある甲斐守
深見城



思っていた以上に良かったです!訪問方法は、ヨッシーさんの口コミで完璧でした。天竺坂は、案内塔もあり分かり易いし、見応えあります。しかし、各曲輪などが柵の中にあり、入るのに少し躊躇します。ちゃんと遊歩道を作れば良いのに!と感じました。小ぢんまりしてますが見応えあります。

2019年03月09日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
深見城

深見歴史の森スポーツ広場の駐車場を利用しての攻城です!深見歴史の森スポーツ広場の駐車場はちょっと分かりにくかなと大和プレス本社工場の裏側に有ります!駐車場を出て右に行くと野球場が有ります、そこを右に行くと舗装道路が有りそこを左に行くと定番の縄張り図の案内板です、そこが天竺坂の入り口です!某は縄張り図の案内板を正面に見て右に行き畑の中の道を城跡の方へ入り攻め込みました!畑の風景がとても素敵です!深見城跡はこじんまりとした城跡ですが主郭の外に小さな郭群に虎口等の技巧を凝縮した見応え有りの城郭かと思いますので是非攻め込んでみて下さい!

2018年11月21日 愛甲太閤【相模の狂人】
深見城

国道246号にほど近い境川右岸の丘がそのまま城になっています。昼なお暗い森に覆われた一本道が、堀底道である天竺坂で、東隣が主郭の土塁・切岸です。草木に覆われていますが存在はハッキリ分かります。柵で仕切られていますが立入禁止では無いようです。

全体的に草藪に覆われ、空堀も半ば埋まっていますが遺構は明瞭で、廃城感満点です。特に主郭南東側の空堀、小さな曲輪が織りなす造形が見事です。規模は小さいですが、廃な雰囲気を味わいたい向きにはお薦めです。

2011年02月12日 駿河守黒備え馬賊
深見城

以前は、笹薮などで主郭の中央部は、薮でしたが現在は、植生調査で、薮と雑木が刈られ主郭全体を見る事が出来ます(^_^)v

深見城の周辺スポット情報

 天竺坂(遺構・復元物)

 横堀(遺構・復元物)

 深見城跡説明板(碑・説明板)

 天竺坂説明石碑(碑・説明板)

 鎌倉街道上ノ道・説明板(碑・説明板)

 矢倉沢往還・滝山街道道標(碑・説明板)

 新田軍の鎌倉進撃路図(碑・説明板)

 滝山街道・道標(碑・説明板)

 大和市文化財説明板(碑・説明板)

 鎌倉古道(上ノ道)の案内板(碑・説明板)

 鎌倉道・石碑(碑・説明板)

 滝山街道・説明板(碑・説明板)

 滝山街道・道標(碑・説明板)

 下鶴間城(周辺城郭)

 上和田城(周辺城郭)

 妙光寺(寺社・史跡)

 四万坂合戦場跡(寺社・史跡)

 徳善寺(寺社・史跡)

 日枝神社(寺社・史跡)

 善昌寺(寺社・史跡)

 若宮八幡宮(寺社・史跡)

 世谷原(中丸山)古戦場(寺社・史跡)

 公所浅間神社(寺社・史跡)

 鶴林寺(寺社・史跡)

 観音寺(寺社・史跡)

 深見神社(寺社・史跡)

 左馬神社(寺社・史跡)

 鎌倉街道上ノ道・道標(その他)

 下鶴間ふるさと館(その他)

 牢場坂(その他)

 天竺坂〜藤沢を結ぶ古道(その他)

 天竺坂〜藤沢を結ぶ古道(その他)

 天竺坂〜藤沢宿を結ぶ鎌倉古道(その他)

 滝山街道(古道)(その他)

 滝山街道(古道)(その他)

 滝山街道(古道)(その他)

 滝山街道(古道)(その他)

 矢倉沢往還(その他)

 矢倉沢往還(その他)

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