成瀬城(なるせじょう)

成瀬城の基本情報

通称・別名

城山

所在地

東京都町田市南成瀬3-16-3(城山公園)

旧国名

武蔵国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

成瀬氏?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

成瀬氏?

廃城年

天正18年(1590)?

遺構

曲輪、井戸跡

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

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成瀬城の解説文

成瀬城は、鎌倉時代にこの地を領有したといわれる鳴瀬氏の居館とされる。

過去の調査で城郭遺構が発掘されたようだが、現在は宅地開発により消滅してしまっている。

跡地とされる城山公園には城跡の碑が立っている。

成瀬城の口コミ情報

2020年09月04日 長森原
成瀬城



成瀬城跡にある説明板を読むと成瀬城は恩田川対岸の鎌倉街道を見下ろす立地だった事がわかります。
説明板に書かれているこの鎌倉街道とは、鎌倉から二俣川、長津田、成瀬、本町田(井手の沢古戦場)を経て高崎へと向かう鎌倉街道上ノ道の支道の事です。
この支道は古くから使われ、二俣川で非業の死を遂げた畠山重忠も最後にこの道筋を使ったとされています。

戦国期に最終的に成瀬城をこの街道監視拠点として使ったのは、後北条氏と思われます。
恩田川対岸にある龍谷山成就院東雲寺には次のような縁起が伝わっています。
「室町時代後期、小田原北条氏が関東に進攻するに及び、大永四年(1524)頃、それまで廃城となっていた小机城を重臣笠原越前守信為の居城とした。信為は父能登守信隆追善供養のため、曹洞宗臥龍山雲松院を建立、北条氏は更に勢力拡大に伴い小机城の支城を各地に築き、出城として会下山に成瀬城を築城した。
雲松院第三世龍谷性孫(1536・天文五年五月二十七日入寂)は成瀬城外護のため向かい地に龍谷山成就院(後の龍谷山成就院東雲寺)を建立、寺屋敷と称する地なり。」
この東雲寺の縁起に即して考えるなら、戦国末期の成瀬城は後北条氏配下の小机城の支城として、鎌倉街道監視の役目を負っていたと考えられます。

2012年09月29日 ももりんご大宰大弐
成瀬城

井戸跡が復刻されてますが、南側の櫓跡と空堀はフェンスに遮られて確認が難しいです

2011年11月28日 田部朝臣土持安房守
成瀬城

恩田川河岸の段丘上にある。住宅地のただ中。少々の時間なら車を置けなくもない。まともなパーキングは歩く事になる。

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