榎下城(えのしたじょう)

榎下城の基本情報

通称・別名

久保城

所在地

神奈川県横浜市緑区三保町

旧国名

武蔵国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

上杉憲清

築城年

永享年間(1429〜1441)?

主な改修者

主な城主

上杉氏、北条氏

廃城年

遺構

土塁、堀

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

池辺陣屋(神奈川県横浜市)[3.4km]
荏田城(神奈川県横浜市)[5.2km]
茅ヶ崎城(神奈川県横浜市)[5.3km]
小机城(神奈川県横浜市)[5.8km]
成瀬城(東京都町田市)[5.8km]

榎下城の解説文

榎下城(えのしたじょう)は神奈川県横浜市緑区にあった日本の城。

概要
榎下城は恩田川氾濫原に面した舌状に突き出した丘陵の先端に占地し、近辺の眺望に優れる。

憲房系(宅間上杉家)の憲清により築かれたと伝わり、永享10年(1438年)に勃発した永享の乱の際には、憲清の子憲直が持氏方として拠った。幕府方に攻められた憲直は榎下城から退いたが、上杉憲実方に追われ、称名寺において子の憲家と共に自害した。

城域に佐藤小左衛門氏が隠居所を建て、更に慶長8年頃(1603年)舊城寺を開基した。この為城域は比較的良く保存され、土塁上の寺林は県の天然記念物に指定されている。

なお、城名は横浜市営バス停の名称(「榎下城址裏」)として現在も残っている。

歴史・沿革
永享年間、上杉憲清により築かれる。
永享の乱の際には、持氏方の上杉憲直が拠った。
後北条氏時代には、小机城の出城として利用された。
慶長8年頃(1603年)、佐藤氏が城域に旧城寺を開基した。

榎下城の口コミ情報

相模守愛洲久忠様[2016年06月19日]
扇谷上杉氏に仕え、のちに武蔵松山城城主となった、上田氏の被官にある山田氏の一族山田右京進の居城跡であるとされています。
鶴見川の支流のひとつ恩田川の南岸に小支谷によって開析された舌状台地にあり、南北に並ぶ3つの曲輪で構成されています。
南端の曲輪が主郭部分で、現在は舊城寺ですが、その周囲全体に張り巡らされた土塁と空堀の名残りを確認することができます。
この舊城寺の南側の参道が「喰い違いの土手」とされていますが、枡形虎口の役割を果たし、他にも堀跡に面した土塁に3カ所ほど櫓台が、突き出す形で形成されていたとされます。
主郭部東側の谷は自然地形に手を加えた谷堀の面影があり、こちらから全体を眺めると要害地であったことが確認できます。
権現山城、青木城が位置する神奈川湊から八王子方面へ抜ける街道沿いに位置することから、当時の港湾、物流、軍事行動等を監視する重要な拠点だったのではないでしょうか…。

STRADA様[2015年11月21日]
高野山真言宗『舊城寺(きゅうじょうじ)』周辺が城址です。中山駅から徒歩15分、バスなら3つ目です。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore