榎下城(えのしたじょう)

榎下城の基本情報

通称・別名

久保城

所在地

神奈川県横浜市緑区三保町

旧国名

武蔵国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

上杉憲清

築城年

永享年間(1429〜1441)?

主な改修者

主な城主

上杉氏、北条氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

池辺陣屋(神奈川県横浜市)[3.4km]
荏田城(神奈川県横浜市)[5.3km]
茅ケ崎城(神奈川県横浜市)[5.3km]
小机城(神奈川県横浜市)[5.8km]
成瀬城(東京都町田市)[5.8km]
深見城(神奈川県大和市)[6.2km]
中田加賀守屋敷(神奈川県横浜市)[6.2km]
山田城山(神奈川県横浜市)[7.4km]
沢山城(東京都町田市)[7.6km]
有馬城山(神奈川県川崎市)[7.7km]

榎下城の解説文



榎下城(えのしたじょう)または久保城(くぼじょう)は、神奈川県横浜市緑区三保町[1]にあった日本の城。上杉氏の城。現在は久保山舊城寺(旧城寺)の境内となっている。

概要 

榎下城は恩田川氾濫原に面した舌状台地の先端に占地し、近辺の眺望に優れるとされる[2]。北方低湿地との比高差は約7メートル。

宅間上杉家(上杉憲房系)の上杉憲清により永享年間(1429年-1441年)に築かれたと伝わり、永享10年(1438年)に勃発した永享の乱の際には、憲清の子憲直が足利持氏方として拠った。幕府方に攻められた憲直は榎下城から退いたが、上杉憲実方に追われ、称名寺において子の憲家と共に自害した。

戦国時代後期の後北条氏支配下の時期には、後北条被官「山田右京之進」の居城であったとする伝承があり、城西隣の畑には右京之進のものとされる五輪塔があった。

城域に佐藤小左衛門氏が隠居所を建て、更に慶長8年頃(1603年)舊城寺(旧城寺)を開基した。このため城域は境内地となり開発等の改変を受けず、前後2面の曲輪や土塁などの遺構が比較的良く保存されていることが特筆すべき点とされる。

城跡として史跡には指定されていないが、土塁上の寺林は県の天然記念物に指定されている。

また、1935年(昭和10年)に横浜貿易新報社(現・神奈川新聞)が行った県内45箇所の名勝史蹟選定事業に選定されたことを記念した「山田右京之進城址碑」があり、この碑は緑区独自の文化遺産登録制度「緑区遺産」No.15に登録されている。

なお、城名は横浜市営バス停の名称(「榎下城址裏」)として現在も残っている。

歴史・沿革 

  • 永享年間(1429年-1441年)、上杉憲清により築かれる。
  • 永享10年(1438年)、永享の乱の際には、持氏方の上杉憲直が拠った。
  • 後北条氏時代には、小机城の出城として利用された。
  • 慶長8年頃(1603年)、佐藤氏が城域に舊城寺(旧城寺)を開基した。
  • 1965年(昭和40年)とその翌年、日本城郭協会学生研究会によって発掘調査が行われた[3]。この後も数回発掘調査が行われている。

参考文献 

  • 平井聖ほか 1980「榎下城」『日本城郭大系』第6巻(千葉・神奈川)pp.317-318 新人物往来社
  • 【書籍】「小机城とその支城 」
  • 【書籍】「昭和四〇年代の城郭研究の流れについて(中)」
  • 【書籍】「昭和四〇年代の城郭研究の流れについて(3)」

榎下城の口コミ情報

2024年03月03日 弾正一秀
榎下城

寺下城は周りに住宅が沢山有り❗お寺に成って居るので守られて居ますね😁寺内に弓道場とかが有りますよ👍住職さんがいれば御朱印も有りますよそして周りを探索すると発見も有るかと❓

2024年01月24日 敬天武蔵守一征
榎下城



周辺を密集した一般住宅に囲まれて山門の入口さえ見つかりづらい。現在は舊城寺(旧城寺)と言う名前のお寺に姿を変えて、こんもりとした森に守られて貴重な姿を残している。添付の上空からの写真にて南側の赤印地点が山門でその脇に駐車場がある。山門の南へ細い入口となる道があるのだが、周辺の住宅に紛れて分かり辛い。林の西側の赤印地点からも入れる。この林の中に入ると全く別世界が広がり往年の面影が随所に偲ばれる奇跡の地である。人目につきづらく、分かり難い場所だからこそ保存されたものであり、静かにこっそり訪問したいところです。

2024年01月22日 ごこちゃん
榎下城



狭い道路の先でわかりにくいでしたが静かで落ち着いた場所でした。名木のカヤの木があり昔の人がこのお城を生き来していたかを想像しました。

2023年02月19日 マグロ常陸介祐平
榎下城



城跡だったことから舊城(旧城)寺という名のお寺になっています。宅間上杉氏によって築かれ、戦国期には北条氏の家臣山田右京之進の居城となり、主郭の南西の土塁に石碑が建っています。山門近くには喰い違い虎口の痕跡が残り、小さな城ですが縄張り図に近い形で曲輪全体が確認できました。

2022年11月14日 みっちゃん
榎下城



今は神社になってるようで先人の口コミを見たら駐車場があるとのことでしたがうまく辿り着けず。ちょっとだけ路駐し見てきました。素敵な所でした。が慌てたせいか遺構は探せませんでした。写真だけいっぱい撮りました。素晴らしい大きな銀杏の木がありました。

2022年03月22日 Elliott
榎下城



本丸跡や現在は弓道場になっている旧的場、土塁•空堀も確認出来ます。戦国時代以降に成熟する前の時代の特徴を良く留めていると思いました。お彼岸だったのでお墓参りの方が多かったです。

2022年02月08日 左近衛少将てつ
榎下城

中山駅から徒歩15分、舊城寺の中にあります。舊城寺に入ると、お墓、弓道場があり、とても雰囲気が良いです。本堂は二の丸址です。外に出て周りから見ると、往年のお城の雰囲気があります。

2021年12月13日 Tenshi49
榎下城

JR横浜線中山駅から旧大山街道を十日市場駅方面に向かい、三保団地入り口交差点を左折左側の久保山菖城寺境内に榎下城址があリます。

2020年08月18日 前後北条安房守ぷいちー
榎下城

東側から見上げると、要害が実感されます。北東の民間駐車場にも碑があり、そこから見上げることができます。
三の郭は民家なので、うっかり入り込まないようにしましょう。

2016年06月19日 相模守愛洲久忠
榎下城

扇谷上杉氏に仕え、のちに武蔵松山城城主となった、上田氏の被官にある山田氏の一族山田右京進の居城跡であるとされています。

鶴見川の支流のひとつ恩田川の南岸に小支谷によって開析された舌状台地にあり、南北に並ぶ3つの曲輪で構成されています。
南端の曲輪が主郭部分で、現在は舊城寺ですが、その周囲全体に張り巡らされた土塁と空堀の名残りを確認することができます。
この舊城寺の南側の参道が「喰い違いの土手」とされていますが、枡形虎口の役割を果たし、他にも堀跡に面した土塁に3カ所ほど櫓台が、突き出す形で形成されていたとされます。
主郭部東側の谷は自然地形に手を加えた谷堀の面影があり、こちらから全体を眺めると要害地であったことが確認できます。
権現山城、青木城が位置する神奈川湊から八王子方面へ抜ける街道沿いに位置することから、当時の港湾、物流、軍事行動等を監視する重要な拠点だったのではないでしょうか…。

2015年11月21日 STRADA
榎下城

高野山真言宗『舊城寺(きゅうじょうじ)』周辺が城址です。中山駅から徒歩15分、バスなら3つ目です。

榎下城の周辺スポット情報

 倉林城(周辺城郭)

 長泉寺(寺社・史跡)

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