中田加賀守屋敷(なかだかがのかみやしき)
中田加賀守屋敷の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 神奈川県横浜市保土ケ谷区東川島町
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- なし
築城主
- 中田加賀守、中田藤左衛門
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 中田氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
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中田加賀守屋敷の解説文
中田加賀守屋敷の口コミ情報
2022年03月29日 左近衛少将てつ
中田加賀守屋敷
正観寺の入口に石碑に説明があります。奥に行くと観音堂があります。残念ながら、遺構は見つけられませんでした。
2021年11月11日 城廻姫三郎
中田加賀守屋敷
中田加賀守子孫墓所あり。墓碑に、寛永からの子孫ずらり!必見。
2021年03月02日 koshiro
中田加賀守屋敷
面影は全くありません。
寺の前に立つ説明の石碑から当時に思いを忍ばせるのみです。
2021年02月17日 でんろく兵部卿パルキー
中田加賀守屋敷
曹洞宗補陀山正観寺が中田加賀守屋敷跡のリア攻め場所となっています。後北条氏小机衆として家臣であった中田加賀守の菩提を弔うため、その子・藤左衛門は遺骨を分骨して当地に移り、寛永二年(1625)正観寺を建てて塚を築いた。前の道路が旧八王子道て、鎌倉道に交差するようである。
中田加賀守屋敷の周辺スポット情報
さかさ矢竹の由来・説明板(碑・説明板)
白根神社(寺社・史跡)
鎌倉街道中ノ道・鎧の渡し(寺社・史跡)
畠山重忠公首塚(寺社・史跡)
現在、正観寺となっている場所付近が居館跡とされているが、遺構などは特に残っていない。
また正観寺は天正18年(1590)の小田原の役にて討死したとされる中田加賀守の菩提を弔うために建立されたものとされている。