神奈川台場(かながわだいば)
神奈川台場の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 神奈川県横浜市神奈川区神奈川1-17-3
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 台場
天守構造
- なし
築城主
- 伊予松山藩
築城年
- 万延元年(1860)
主な改修者
- -
主な城主
- 伊予松山藩、古河藩
廃城年
- -
遺構
- 石垣
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
権現山城(神奈川県横浜市)[0.6km]
神奈川御殿(神奈川県横浜市)[0.7km]
青木城(神奈川県横浜市)[0.8km]
太田道灌屋敷(神奈川県横浜市)[3.7km]
寺尾城(神奈川県横浜市)[4.3km]
篠原城(神奈川県横浜市)[4.4km]
永田陣屋(神奈川県横浜市)[5.0km]
護国山台場(神奈川県横浜市)[5.3km]
蒔田城(神奈川県横浜市)[5.4km]
中田加賀守屋敷(神奈川県横浜市)[5.5km]
神奈川台場の解説文
[引用元:Wikipedia「神奈川台場」の項目]
神奈川台場(かながわだいば)は、神奈川県横浜市神奈川区にある、江戸時代末期に勝海舟により設計され伊予松山藩が築造した台場。なお、マンション建築に伴う埋め立て工事が進められており、神奈川県と地域住民、歴史学者での話し合いが進められている。
概要
東京湾に侵攻してきた船舶に対する防衛を目的として築造された施設。海岸から東京湾に突き出るように埋め立てられ、他の台場には見られない船溜まりという構造を持っていた。総面積は約2万6000平方メートルで、埋立には付近の権現山(神奈川県神奈川区幸ヶ谷。頂部は現在の横浜市立幸ヶ谷小学校の敷地に該当)の土砂が使われた。
砲台を設置していたが実戦に使用されたことはなく、諸外国の貴賓が港に入った際に祝砲を上げていたという[1]。施設廃止後の跡地は転用され、現在はJR貨物の東高島駅の敷地などとして利用されている。
神奈川台場は、羽を広げたコウモリのような形をしていることから通称「コウモリ台場」とも呼ばれ、欧州の城などをモデルにして造られたとされる。実際は星形の形状で、この形の台場は「五稜郭」(北海道函館市)の台場など国内に3例しかない貴重な遺構である。
歴史
- 1857年4月 - 江戸幕府が伊予松山藩に神奈川宿周辺の警備を命じる。
- 1859年
- 5月 - 神奈川台場の仕様書と入用高内訳書が作成される。現場総指揮は平野弥十郎(中川翔子先祖)。
- 7月 - 工事開始。
- 1860年6月 - 竣工。
- 1866年7月 - 伊予松山藩が警備を免除される。
- 1867年1月 - 古河藩が警備を担当する。
- 1868年4月 - 明治新政府に引き渡される。
- 1871年9月 - 東海鎮守府の管轄となる。
- 1884年12月 - 横須賀鎮守府の管轄となる。
- 1899年2月 - 廃止。
- 1921年 - この頃より周囲の埋め立てが始まる。
上記の月は旧暦によるものを含む。たとえば「神奈川台場跡」の案内板には6月竣工と書かれてるが、『神奈川台場物語』(2018年 公益社団法人神奈川台場推進委員会刊)には8月上旬完成とされている。竣工月が異なるのは前者が旧暦、後者が新暦表示のため。なお、後者では1860年8月5日(万延元年6月19日)に、松平藩主の松平(久松)勝成が完成した台場を視察したという古記録を根拠としている。ただし完成日に視察したのか、すこし前に完成しており、完成後に視察したのかがは古記録から特定できず、完成日は8月上旬と書かれている。
現在
敷地の転用や周辺の埋立が進んでおり、当時の面影を見つけることが難しい状態だが、遺構が一部残されている。
「わが町 かながわ とっておき」のルート8 歴史の道・ポートサイド地区のポイントに「神奈川台場跡」があり、案内板が設置されている。そこでは遺構の一部である石垣を見ることができる。船溜まりのあった場所には神奈川台場公園(http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/park/make/kanagawadaiba.html)があり、石積みが復元され、説明板が設置されている。神奈川地区センターでは、当時の横浜宿付近を再現したジオラマが展示されており、神奈川台場の姿を確認できる。
また横浜開港150周年(2009年)を契機として、コットンハーバー地区の「星野町公園」内で、遺構の石垣が公園内から見えるように整備が行われた。この公園内からは、一部横浜市中央卸売市場本場内に位置する台場の先端部分まで、かなり広範囲に渡る遺構を確認することができる。さらに同公園付近にある賃貸マンション「コットンハーバー ヒストリアレジデンス海舟」では建設中に遺構が発見されており、その遺構や資料などを展示する「神奈川台場資料室」をマンション1階に開設していた。
保全
公益社団法人「神奈川台場地域活性化推進協会」が保全のための活動をおこなっている。同法人は2018年(平成30年)9月1日、神奈川台場を子ども向けにわかりやすく解説した冊子『神奈川台場物語』を発行。2018年から2020年にかけて、毎年、横浜市内の小学6年生約3300人に無料配布した。
地勢
神奈川県横浜市神奈川区神奈川1-17-3
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神奈川台場の口コミ情報
2024年10月13日 治部卿丸に澤瀉
神奈川台場
駅からは少し離れた住宅街の中にありました。現在は石碑と石垣が少し見れる程度です。
2024年08月12日 相模守AQUA
神奈川台場
再開発が進んでいるエリアの住宅街の片隅に台場砲台跡あります。
2024年07月28日 織田上総介晃司
神奈川台場
京急神奈川駅からリア攻めマップを頼りに歩くこと約20分で石垣と石碑に到着。
元々は海上にあったが、埋め立てで台場の石垣の一部しか残っていない。
2024年06月21日 Bug尾張守
神奈川台場
住宅地の端っこに石碑が有るのみ!少し離れた所に駐車場🅿️有るけど…
2024年01月17日 カズ
神奈川台場
権現山城の後に、洲崎神社経由で訪れました。
京急神奈川駅に神奈川宿の史跡の地図があり、神奈川台場も記載されていましたが、道中に案内板が見当たらず、このアプリの地図のおかげでたどり着けました。
線路沿いに台場の石垣がひっそりとあります。
近くのAinomiベーカリーのパンが美味しかったのも満足ポイントの一つです。
2023年10月31日 ヤマ中務大輔
神奈川台場
国道15号、中央市場入口交差点から中央市場通りに行き、最初の信号を左折、橋を渡り、二つ目の路地を右折して、突き当たりを左折、その先に説明看板があります。
2023年06月12日 近江守ゆぅちゃん
神奈川台場
シンプルな史跡で、行き止まりのような場所に立っていました。
2022年12月19日 しゅわ武蔵守っち
神奈川台場
廃屋に挟まれた狭い角に碑があります!拓けた公園は毎年少しづつ工事が進んでいるようで、まだ工事中なのって感じで全体が完成するのはいつなのでしょう!
2022年12月17日 大納言Z周防守369
神奈川台場
台場があった場所は、国鉄の貨物線東高島駅となり、わずかに石垣が残る程度である。
2022年10月14日 漫念中務大輔蛇痔
神奈川台場
勝海舟設計。遺構は埋め立てられているが石垣に当時のロマンを感じさせられる
2022年03月27日 左近衛少将てつ
神奈川台場
遺跡は、石垣が一部残っているだけですが、石碑、説明板があり、当時の雰囲気が少しだけ味わえました。
2021年12月20日 じんしょ
神奈川台場
何かの工事をしていて近くまで行けないが、整備事業なのでひょっとしたら台場の整備かもしれない。
2021年12月19日 ひ〜ふ〜
神奈川台場
横浜中央卸売市場から程近くですが、運河を何度か渡って到着でした。お城エキスポからのプチ遠征は予想以上に距離があります〜〜
2021年05月13日 みっちゃん
神奈川台場
車で行ったのですがとてもわかりやすかったです。突き当たりで車も一瞬停めて見ることが出来ました。説明の立て札もあります。
2021年01月29日 でんろく兵部卿パルキー
神奈川台場
お台場と言えば、東京のお台場を想定されますが、神奈川県にも神奈川台場があります。幕末期に伊予松山藩に命じて勝海舟の設計で築造されたとのことです。今では周辺は宅地化しておりますが、一部の石垣が遺構として残っており、在りし日を偲ぶ事ができました。
2019年07月24日 まさある甲斐守⛄
石垣[神奈川台場 遺構・復元物]
地上部にわずかに石垣が見られます。
2019年07月24日 まさある甲斐守⛄
石垣[神奈川台場 遺構・復元物]
マンション地下に見学出来るように保存されています。
2019年07月16日 まさある甲斐守⛄
神奈川台場跡の碑[神奈川台場 碑・説明板]
裏の柵内に石垣が有ります。
2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
神奈川台場
横浜の市場、出川哲朗の実家の海苔屋さんが近いです。
石碑と説明文の看板はがありました。
2012年09月15日 ぎっちゃん
神奈川台場
星野町公園の隣のマンション「ヒストリアレジデンス海舟」の建設時に見つかった石垣がそのままマンションの一室を資料室とした「喫茶&バー 海舟」に保存されています。(観覧料100円)保存のために一室を提供してくれたオーナーさんに感謝です。歴史ファンとしてはとてもありがたい事ですよね。
台場の形に勝の字を焼き印した銘菓「勝サブレ」も売ってますのでどうぞ。ちなみに勝海舟が神奈川台場を設計。