寺尾城(てらおじょう)

寺尾城の基本情報

通称・別名

馬場城

所在地

神奈川県横浜市鶴見区馬場3

旧国名

武蔵国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

諏訪氏

築城年

永享8年(1436)頃

主な改修者

主な城主

諏訪氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市登録史跡

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

獅子ヶ谷城(神奈川県横浜市)[2.0km]
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潮田館(神奈川県横浜市)[3.3km]
神奈川御殿(神奈川県横浜市)[3.8km]
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寺尾城の解説文

寺尾城(てらおじょう)は、神奈川県横浜市鶴見区馬場3丁目付近に所在する、中世の山城。横浜市登録地域文化財(地域史跡)に登録されている。

概要
鶴見区馬場3丁目付近の、通称「殿山」と呼ばれる台地縁辺部に所在する。15世紀前半に後北条氏家臣である諏訪氏により築造されたと伝わる。

永禄12年(1569年)の、武田信玄による小田原攻めの際、第5代城主・諏訪右馬之助が小田原城の守備に出向いて留守の間に武田軍に攻められ、落城したと伝えられている(『北条記』)が、享保16年(1731年)に記された、建功寺(諏訪右馬之助の開基と伝わる)の過去帳『霊簿』には、「五代目馬之丞の時、天正三年(1575年)に諏訪発落」とあり、1569年と1575年のいずれの記載が史実なのか判然としない。

宅地化が進行し、城の縄張の全貌は不明瞭となりつつあるが、わずかに遺構を残し、台地斜面のマンション内の緑地帯には土塁と見られる高まりが保存されている(私有地のため無断立入禁止)。また東に隣接する「殿山公園」内では竪堀が保存されており、竪堀の発掘調査時の解説版などが整備されている。

参考文献
大類伸監修1967『日本城郭全集』第4集 p165 人物往来社(本書籍内では「馬場城」の名で記載されている)
鶴見区役所公式ホームページ「なぞに包まれた中世の寺尾城(その1)」
徳雄山建功寺HP「諏訪家と建功寺」
鶴見区役所公式ホームページ「なぞに包まれた中世の寺尾城(その2)」

寺尾城の口コミ情報

2020年08月14日 義助相模守
建功寺[寺尾城  寺社・史跡]



諏訪家菩提寺建功寺。こちらで寺尾城御城印をいただけます。

2020年08月13日 栗林安房守義長
諏訪馬之助館[寺尾城  周辺城郭]



寺尾城の北東の丘陵の突端にある寺尾城主諏訪馬之助館跡。

2020年04月14日 関白エリコ
寺尾城

寺尾城は山城だった!? 寺尾城は、1436年に信州の諏訪氏によって建てられたとされる。天守閣があるようなものではなく、砦のような山城だったと推測されている。1569年に小田原城に進軍した武田軍に落とされたという。

2019年07月18日 長森原
寺尾城



寺尾城西麓に今はひっそりと建つ馬場稲荷。元々の名を寺尾稲荷と言い、寺尾城主5代目諏訪馬之助(馬之丞とも)が馬術上達の祈願をし夢に神託を得て見事馬術の名手となったという伝説を持ちます。
面白いのは江戸時代この寺尾稲荷が馬術上達・馬上安全の神として大変有名になった事で、大勢の参詣者の為に東海道の鶴見橋近くに「是より二十五丁、寺尾稲荷道」の案内碑が建てられる程の賑わいでした。
この碑は宝永2年(1705)、寛延3年(1750)、文政11年(1828)の三回に渡って建てられた事が記されており、寺尾稲荷への武士達の崇敬が厚かった事が伺い知れます。

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