権現山城(ごんげんやまじょう)
権現山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 上田蔵人
築城年
- 室町時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 上田氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板(権現山)
周辺の城
-
青木城(神奈川県横浜市)[0.2km]
神奈川台場(神奈川県横浜市)[0.6km]
神奈川御殿(神奈川県横浜市)[0.7km]
太田道灌屋敷(神奈川県横浜市)[3.6km]
篠原城(神奈川県横浜市)[4.2km]
寺尾城(神奈川県横浜市)[4.4km]
永田陣屋(神奈川県横浜市)[4.7km]
中田加賀守屋敷(神奈川県横浜市)[5.0km]
蒔田城(神奈川県横浜市)[5.3km]
小机城(神奈川県横浜市)[5.5km]
権現山城の解説文
権現山城の口コミ情報
2020年10月15日 内膳正範馬刃牙
権現山城
普段は草ぼうぼうな同所ですが、桜の季節には宴会や出店で賑わう城址です。
2020年08月23日 ジョカ中務卿P
権現山城
幸ケ谷公園内にある案内に、権現山合戦の簡単な紹介があります。
所々が錆びていますが、読めなくはないです。
2019年05月09日 長森原
権現山城
神奈川台場公園の説明板に掲示されている「御開港横浜乃全図」(慶応元年〜2年発行)より、権現山と神奈川台場の部分のアップ。
2019年05月08日 長森原
権現山城
神奈川地区センターにある神奈川宿と権現山と神奈川台場のジオラマ。
こちらは幕末の神奈川台場建設後(1860年以降)の権現山です。
先端部の山のピークにあった観音堂をかろうじて残して、神奈川台場埋め立ての為にかなりの土砂が削り取られたように見えます。
2019年05月08日 長森原
権現山城
横浜市歴史博物館所属の江戸期の神奈川宿と権現山のジオラマ。
左奥から中央に伸びてくる丘陵の先端が権現山(古戦場)です。
権現山の裾野を東海道が回っています。
2019年05月08日 長森原
権現山城
戦国時代の青木城と権現山城周辺の地形図です。現代とは海岸線が全く異なっており、権現山の麓近くの神奈川湊は権現山城が押さえてました。
神奈川湊は六浦・品川湊と並ぶ海路の重要拠点だったので、伊勢宗瑞が上杉家の家臣上田氏を調略して権現山城を手に入れようとしたのも頷けます。
写真は横浜市歴史博物館の常設展示より部分抜粋。博物館に問い合わせたところ常設展示は写真撮影・ネットへのUP共に可との事でしたので上げてみました。
2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋左大臣や~きみ
権現山城
住宅街と公園になっています。
トイレの前に説明文の看板はありました。
車や自転車で行くのは不向きですね。
駐車場無し。
坂道です。
徒歩とかバイクの人向けですね。
2012年09月15日 ぎっちゃん
権現山城
神奈川駅前の幸ヶ谷公園が城跡。公園内は段違い平場が2ヶ所。主郭と二郭跡かと思いましたが山ごと削られているので違うかな?幸ヶ谷公園じゃなく権現山公園と歴史を伝える名前にした方が好いと思うのですがね。
この合戦では、もともと扇谷上杉氏の家臣であった上田政盛が北条氏と結んでこの城で挙兵したが敗れた。
現在、城跡は公園となっており合戦跡の案内板がある。遺構は明確でないが、城跡は周囲からも目立つ丘となっており、当時も要害であっただろうことが分かる。