青木城(あおきじょう)

青木城の基本情報

通称・別名

所在地

神奈川県横浜市神奈川区高島台他(本覚寺)

旧国名

武蔵国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

多米周防守

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

多米氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

権現山城(神奈川県横浜市)[0.2km]
神奈川御殿(神奈川県横浜市)[0.7km]
神奈川台場(神奈川県横浜市)[0.8km]
太田道灌屋敷(神奈川県横浜市)[3.6km]
篠原城(神奈川県横浜市)[4.1km]
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永田陣屋(神奈川県横浜市)[4.6km]
中田加賀守屋敷(神奈川県横浜市)[4.7km]
蒔田城(神奈川県横浜市)[5.3km]
小机城(神奈川県横浜市)[5.4km]

青木城の解説文



青木城(あおきじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区高島台にあった16世紀の日本の城。現在の本覚寺付近とされ、小田原の後北条氏被官・多米氏の居城とされる。

概要 

京急本線神奈川駅北側に位置する「高島台」の丘陵は、2020年現在は京急本線やJR線、国道1号により寸断されているが、かつては東側の「権現山」と尾根伝いに繋がっており、権現山側に権現山城、高島台側に青木城があったとされている。

1510年(永正7年)、扇谷上杉氏の被官・上田政盛が、関東進出を狙う伊勢盛時(のちの北条早雲)と通じて上杉氏に謀反し権現山城で挙兵。上杉朝良(扇谷上杉氏)と上杉憲房(山内上杉氏)がこれを攻め「権現山の戦い」が勃発した[1]。両上杉氏は権現山城を落とし、援軍に駆けつけた伊勢(後北条)軍をも撃破して勝利したが、この戦いの際、伊勢側の援軍が「本覚寺の地蔵堂」を根城(本城)として立て籠ったとされており(『鎌倉九代記』)、現在青木城と呼ばれている本覚寺付近も既に城郭の一部として使われ始めていた。

この戦いには破れたものの、その後も伊勢氏(後北条氏)の進出は止まらず、権現山はやがて後北条氏が掌握して対上杉氏の前線となり、大永年間(1521年-1528年)に多米元興(周防守)が青木城主として配置された[2]

以上の経緯から、青木城の正確な築城年代は不明だが『日本城郭大系』では権現山城が先に築城され、大永年間ごろに発展・拡大的に青木城が成立したと考えられている[3]

その後も青木城は多米氏の管轄下にあり、1559年(永禄2年)成立の『小田原衆所領役帳』によると、当時は「多米新左衛門」(多米周防守と同一人物かは不明)が領有していた。

1569年(永禄12年)に武田信玄が小田原を攻撃した際、多米周防守は青木城を捨て、北条氏綱の娘婿である吉良頼康の居城蒔田城(横浜市南区蒔田町)の守備にあたったという。

廃城年代も不明だが、多米氏は1590年(天正18年)の小田原征伐の際に討たれ(『諸国廃城考』)、1830年(文政13年)成立の『新編武蔵風土記稿』では「さして今は城塁の跡の残りたるも見えず。」とあり、江戸時代後期までには痕跡も判然としなくなっていた[4]

城跡 

権現山城のあった権現山は、幕末に神奈川台場造成のための土取り場として削られ、明治時代以降は鉄道等によって開削されるなど地形の変形が著しい。また青木城のあった高島台側も本覚寺のほか住宅地化しており、遺構は破壊されたと考えられている[5]

参考文献 

  • 磯子の史話出版部会 1978『磯子の史話』磯子区制50周年記念事業委員会 pp.63-66
  • 平井聖ほか 1980『日本城郭大系』新人物往来社 pp.284-285
  • 【書籍】「新編武蔵風土記稿」|ref=}}

青木城の口コミ情報

2022年03月29日 左近衛少将てつ
青木城

本覚寺の墓地になっています。遺跡らしいものは見つかりませんでした。

2022年01月05日 ヤマ兵部大輔
青木城

本覚寺会館よりもサカタのタネ側、墓地を入ると、中に涅槃像のあたり

2021年11月05日 萌魏右大臣叡声
青木城



写真は、墓地にあった仏像の浮き彫り。幕末アメリカ領事館があった。線路を挟んで権現山城(幸ケ谷公園)から展望。京急神奈川駅より至近。

2021年02月08日 でんろく左京大夫パルキー
青木城



京急神奈川駅を挟んで東側が権現山城、西側が青木城趾こと本覚寺があります。
本覚寺は幕末はアメリカ🇺🇸領事館にもなっており、立地条件も良かったと思われます。
リア攻めの中心場所は、墓地になっており跡地を探し出すことは出来ませんが、その場所は傾斜地にあり、明治期から大正期にかけての震災関連の碑がたくさんありました。
場所的には何となく、城跡の気分は味わえます。

2020年08月20日 恭任非参議侍従
本覚寺[青木城  寺社・史跡]

曹洞宗、青木山本覚寺。ほんがくじ。
権現山の合戦で荒廃したが、のちに小机雲松院(俳優内野聖陽氏の実家になる)から、禅師を招いて再興。
下田玉泉寺のあと、こちらがアメリカ総領事館となったが、その時、山門彫刻含めて、ペンキ塗りされてしまった。が、日本最初のペンキ塗りというその故事により、全国塗装業者組合との縁がある。
外国奉行岩瀬忠震はこの地において、日米就航通商条約の交渉をしたが、大老井伊直弼により、左遷及び永蟄居となり、失意のまま2年後に病死した。昨今、井伊直弼の再評価という流れもあるが、岩瀬及び川路聖あきら、井上清直への処遇を見ると、自らの手足を切り取る、二流政治家の感は否めないと思う。
御朱印を頂くことができます。「本尊地蔵菩薩」「如意輪観音(小机観音札所)」2種。
駐車場はありますが、青木橋交差点の交通量が大変多い、変則的交差点、急坂、と諸々の難しさがありますので、車でのアプローチは下調べを入念にして下さい。

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
青木城

現在は本覚寺です。
お城だった説明文の看板は門の前にありました。
参拝者駐車場はあります。
国道沿いです。
領事館でもありました。
夕方以降は門がしまり入れません。


2012年09月15日 ぎっちゃん
青木城

青木城跡の本覚寺には城跡を示すものはありません。本覚寺の下にあるコインパーキングは近隣一の安価と謳っていますよ。


青木城の周辺スポット情報

 合戦の説明(碑・説明板)

 アメリカ領事館跡(碑・説明板)

 本覚寺(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 墓地(その他)

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